俺は二階に上がると、ジュリーにあてがわれた部屋のドアをノックする。
「ジュリー、いる?」
「いるよ」
ジュリーがドアを開け、俺は部屋に入る。
俺の記憶では、この部屋は物置として利用されていたはずだが、今はすっかり寝室へと変わっていた。元々客用の寝室に改装しようと考えていたところに、俺からの手紙とアルベルトさんからの手紙が来たので、この機会に一気にリフォームした、とルーナが俺たちを部屋に案内した時に言っていた。
俺はベッドに腰掛けているジュリーの隣に、同じく腰掛ける。
「しばらくここでくらすことになるけど、かいてきにすごせそう?」
「うん、だいじょうぶだよ」
「そっか……ほら、うちはジュリーの家とくらべて小さいからさ。しつじもメイドもいないし」
強いて言うのなら、門番がそれに当たるのかもしれないが、彼らはただ俺たちの家を警備しているだけで、それ以外のことには一切介入しない。
そのため、使用人がたくさんいる暮らしをしている人からすれば、かなり物足りないと感じているかもしれない。
「……たしかに、しようにんがいないのはちょっとビックリした」
「やっぱり、ふつうはいるものなのかな?」
「うん。テクラスのハルクさんのところだっていたでしょ? ちゅうおうきぞくも、ほとんどの家にはしようにんがいるよ」
「そうなんだ」
やっぱりうちはかなり特殊みたいだ。
それは、金銭的な問題が原因ではないだろう。テクラス州知事のハルクさんのところにはたくさんの使用人がいる。つまり、それだけの人数を雇えるだけのお金を稼いでいるということだ。
ラドゥルフ州知事の給料が、テクラス州知事の給料に大きく及ばないということはないはずだ。むしろ、ラドゥルフ州は州内の大半が豊かな農業地帯だから、大半が砂漠のテクラス州よりも税が取れるはずだし、知事の給料も多いはず。
だから、やろうと思えばハルクさんのところ以上の人数を雇えるはずだ。
そうしないのは、やはり家の大きさの問題だろう。ドン・ガレリアス伯爵邸やフロイエンベルク伯爵邸、さらに元々俺たちの邸宅だったフローズウェイホテルに比べれば、この家は小さすぎる。
大量の人を雇ったら、人が多すぎてかえって過ごしにくくなるだろう。
それでも、例えば家事や掃除を手伝ってくれるメイドさんが一人や二人、いてもおかしくはないと思う。だが、俺が学園に入る前と同様に、現在も全部自分たちでこなしているようだ。
やはり何か他に理由がありそうだな……。
「そういえば、フォルのお母さんってわかいよね。今何才なの?」
「えーっと……今年で二十七だね」
「おお……わたしのお母さんより十五こくらい下だ」
「それはジュリーがじじょだからじゃない?」
「そうかも。それに、フォルのお母さん、きれいな人だよね」
「そうかな?」
「そうだよ。フォルのお父さんもイケメンなのかな」
「うーん……そうなのかもね。わかんないや」
「わかんない?」
「……じつは、わたし、お父さんに会ったことないんだ。どこにいるのかもだれなのかも知らないの」
「……なんか、わるいことを聞いちゃった。ごめん」
「いいよ、気にしないで」
とはいえ、俺の父親が誰なのか、心の片隅ではずっと気になっていた。
しかし、俺はそれを今まで誰にも聞いてこなかった。
学園に入ってからは、単に尋ねる機会が無かったのだが、学園に入る前は、父親がいなくても何も困らなかったし、他の家族と接することもほとんどなかったので、父親という存在に羨望を抱くこともなかった。もしかしたら、父親への拘りの薄さは、前世で父親が空気だったことも影響しているのかもしれない。
また、今もそうだが、俺は家族に『俺の父親がいないこと』を尋ねるのはタブーではないか、と慮っていたところもある。今まで、向こうから俺の父親について話題に上げたことは一度もなかったからだ。
だから、俺は今までそのことに一度も触れてこなかった。いや、忌避していたのかもしれない。
しかし、俺の父親を知ることはかなり重要なことのように思える。俺自身のルーツを知るため、というのもあるが、血統を重視する貴族の身分に生まれてしまった以上、必ずどこかでそれが関わってくるだろう。
それならば、大人になるまで待つよりも『子供の無邪気さ』という免罪符が有効である期間のうちに聞いた方が、俺にとっても、相手にとってもダメージが少ないのではないか?
「……ふぁあ」
俺が思考の沼に沈み込んでいると、ジュリーがあくびをした。
「……そろそろねよっか。ジュリー、おやすみ」
「うん、おやすみ……」
俺はジュリーの部屋を出て、自室に戻る。そして、ベッドの上で横になると、ブランケットを被った。
俺の父親はいったいどうしているのだろう? そのことで俺は目が覚めてしまい、全然眠れなかった。
まず、ルーナが現在独身なのはほぼ間違いないだろう。
ルーナとバルトの姓が一致しているため、他の家に嫁に入ったという可能性は無い。
また、貴族の家督は基本的に男子が相続するルールになっている。女子が相続するのは、きょうだいやその子に成人男子がおらず、かつ自分を含めきょうだい全員が未婚である場合のみ、例外的に認められる。
ルーナはバルトから家督を継いでいるため、俺の父親が婿入りしている可能性もこれでなくなった。もし婿入りしているのなら、父親が家督を継ぐはずだし、父親が何らかの理由で業務ができないのなら、ルーナの肩書きには『代行』がつくはずだ。
いずれにせよ、一つ確実なのは、父親との別れは全て俺が生まれる前に起こった、ということだ。生まれてからのことをはっきり覚えている俺に、父親の記憶が無いのが何よりの証拠である。
そういえば、ルーナは俺に、どうして自分らが王都から追放されたのかということを隠していたな。ルーナが泣くくらい辛いことだったらしいし、確か、俺が生まれる前年の出来事だったはずだ。もしかしたら、それが俺の父親が姿を見せない理由に繋がっているんじゃないか?
生きているのか、死んでいるのかすら分からない俺の父親。どんな人なのか、もし生きているのなら一度くらいは会ってみたいが……。
……気になって眠れない!
いっそのこと、今聞いてしまおうか。
俺はブランケットを跳ね除けるとベッドから降り、自分の部屋を出る。そして、階下に向かおうとしたとき、ちょうど階段を上がってくるルーナと遭遇した。
「フォル、どうしたの? おトイレ?」
「ううん……あのね、ママに聞きたいことがあるんだけど」
俺が意を決してそう言うと、ルーナは俺の手を引いて自分の部屋に連れ込んだ。
もしかして、俺が何か重要なことを聞こうとしているのを察したのだろうか? ルーナってこういうところ、勘が鋭いよな……。
「……それで、何を聞きたいの?」
ルーナはベッドに腰掛けると、俺に尋ねてくる。
俺は色々と言い方を迷ったが、慎重に言葉を選んで問いかけた。
「……わたしのお父さんって、今、生きてる?」
「…………」
一番知りたいのは、父親が誰か、ということよりも、父親の生死だ。
すると、ルーナは目を伏せた。
「……残念だけど、もう会えないわ。あなたが生まれる前に、亡くなってしまったから」
「……そっか」
何となくそんな気はしていたが、改めて宣告されると、何とも言えない気持ちが込み上げてくる。
俺の父親はもうこの世にはいないのか……。
「……どんな人だったの?」
「……強くて、カッコよくて、ママのことを、大切にしてくれた人だったわ」
ああ、本当にお父さんのことが好きだったんだろうな。そのことは、ルーナの様子から一目瞭然だった。
俺は、父親の情報の核心に迫るべく、さらに質問を重ねようとする。
「それで、名前──」
「ごめんなさい、フォル」
すると、ルーナは申し訳なさそうに俺の言葉を遮った。
「これ以上は、今は言えないわ」
「……それは、うちが『ちゅうおうからついほうされた』こととかんけいしてるの?」
「……それも言えないわ」
関係しているんだろうな、きっと。
でも口の固そうなルーナのことだから、絶対にうんとは言わないだろう。
「……じゃあ、大人になったら教えてくれるの?」
「ええ。約束するわ」
「わかった。……聞きたかったのはそれだけ。おやすみ」
「おやすみなさい、フォル」
父親について少しだけ収穫を得た俺は、自室へ戻ったのだった。