今までの活動
今までの活動
平成31年3月9日、皇居西500mのホテルルポール麹町にて、150余名の同窓生による白線流しが行われました。
平成22(2010)年から続く本会も、今回で10年目の節目を迎えました。
本会は2~30年の休眠を経て再開されたもので、当初、若い世代を中心に再開させる動きに対して、様々なご意見やお叱りを賜ったことがありました。また、本会運営の基本方針を、どのように具体化するか議論する中で、参加を辞退される方もおられました。
同窓会ですから、参加に必要性はありません。もちろん、いろんな事情で、参加できる時期や参加する気分になるかどうか、皆さんそれぞれです。こうした中、役員・事務局一同、まさにワンチームで本会を運営し、とにかく「続けること」を胸に刻みつつ、続けるためにルールを作り、同じ故郷、同じ学び舎で過ごした者同士、「長幼の序はあっても、先輩・後輩とも互いに敬意を持って接する」というモットーの下、学年、世代を越えて、交流できる場を作り、単に昔を懐かしむだけでなく、母校に寄与できる同窓会を目指してまいりました。
本会には会員名簿がありません。それぞれの学年が何人参加してくれるかは、その学年の人たちに拠ります。年会費がありませんので、通信費やHP管理費等の運営費はできるだけ略し抑えて、少しだけ参加者にご芳志をお願いします。つまり、できるだけ、こうしなければならないという義務感や、費用負担等の重さを除いて、参加できる時期に、参加する気分になった時に参加してもらえるよう、軽快かつ緩やかな結びつきを念頭に置いて運営しています。
思えばこの10年、いろいろありました。2年目には開催日の前週に今も記憶に刻まれる未曽有の東日本大震災を経験し、当時は継続を危ぶむ声や開催を中止せよとの強い意見もありました。また、名簿を作らない、年会費なしという基本方針の実践の中、往復ハガキによる連絡手段を使えないなら参加しないと断られる学年もありました。先輩世代の参加費を高く若い世代を安く設定することや、運営費となるご芳志を会合で募ること、また、有斐会から助成金を受けないといったことは、今でも議論があります。
とはいえ、ほとんどの学年で運営方針をご理解いただき、特に現役大学生や20代、30代の学年の参加も定常化しており、この10年の歩みを思い起こす時、毎年返す返す、母校斐高、有斐会、名古屋有斐会、各学年の幹事・連絡役、参加者の皆さんのおかげと、心から感謝したいと感じております。
心地よい春先の快晴に恵まれ、今回集まった同窓生は、2回(昭和25年)卒の大先輩から70回(平成30年卒)の現役大学1年生まで、70年に亘る先輩後輩。やはり、世代を一つにつないだのは、会合のタイトルとなっている白線流しであり、最後に全員で高唱した校歌でした。
来賓として、有斐会から伊藤松寿会長(19回卒)以下五名、滝村昌也校長先生(31回卒)等にご参加いただきご祝辞を賜りました。また、國島芳明高山市長(20回卒)に「めでた」の前唄をお願いしました。学生は15名参加、道案内等のお手伝いをしていただき、会場では学年配置の中心部分に陣取ってもらって、先輩との交流を活発に進めてもらいました。
いつもどおり和やかな雰囲気の中で会が進行し、盛況のうちにお開きとなりました。改めて、役員・事務局一同、参加者の皆さんに御礼を申し上げます。
今回の「同窓の世代を結ぶ会」は合同学年同窓会のように幅広く学年ごとに声を掛け合って開催する、3年に1度の全体会です。次回は、学年幹事を中心とした学年連絡会で、同窓生による講演会と懇親会を予定しております。令和2(2020)年3月14日(土)、例年と同じ渋谷の國學院大学の院友会館で開催する予定です。
ようやくHPを立ち上げることができました。今後、コンテンツ充実を図ります。「東京有斐会」で検索→「白線流しの岐阜県立斐太高等学校~東京有斐会」です。(東京有斐会事務局 野村真一(34回卒))
~準備中~
平成29年3月11日、東京・渋谷の國學院大學 院友会館におきまして、毎年恒例となりました「白線流しのつどい〜学年連絡会(講演会)〜」を行いました。快晴にも恵まれ, いつもどおり和やかな雰囲気の中で会が進行し,盛況のうちに終えることができました。
始めに、ちょうど6年前の3月11日に発生した東北大震災により亡くなられた方を偲び、今なお避難生活を強いられている被災者を想い、1分間の黙祷を行いました。
来賓として、有斐会から高22回副会長小鷹利英子さん、高9回常任理事中村滋さん、高34回財務局長中村竜治さんにお越しいただきました。また高28回堀川厚則前校長先生にも参加いただき、 最高齢の旧制中学57回(昭和20年卒)から大学1年の高68回まで、前回の「つどい(学年連絡会)」を上回る35学年の参加がありました。参加人数では前回を下回る81名でしたが、 初参加の方が20名もいたのは嬉しいことでした。
講演会では,高33回逢坂由昭さん(東京医科大学 消化器・小児外科 派遣教授)から「ロボット手術の最前線」とのテーマでお話しいただきました。手術用ロボット開発の経緯、 全世界の保有台数、日本での普及状況から食道癌の基礎知識、ロボット手術習得のプロセスなど、実際の手術映像も交えて60分の講演でした。ロボットで鉗子を操作してきっちり折り鶴を 折り上げる映像には、一同圧倒されました。
懇親会も幅広い年代が参加したことで盛り上がりました。懐かしい人との再会のほか、同じ大学出身の先輩を紹介したり、同じ地域出身という出会いがあったりと交流を深めることができました。 CDによる惜別の辞に続いて「巴城ケ丘別離の歌」と「校歌」を歌いながら実施した「白線流し」も好評でした。
今年も3月10日(土)に「白線流しのつどい〜学年連絡会(講演会)〜」を行います。いつも参加いただいている方はもちろんのこと、まだ参加したことのない方の参加もお待ちいたします。 (東京有斐会役員会 記)
平成28年3月12日、学士会館において、「白線流しのつどい(同窓の世代を結ぶ会)」が開催されました。学士会館と言えば、あのテレビドラマ「半沢直樹」で土下座シーンが撮影された場所で、 斬新かつモダンで重厚な雰囲気は、歴史ある我が斐太高校の同窓会の会場として華を添えてくれました。堀川校長をはじめ、有斐会、名古屋有斐会から多くの御来賓をお迎えし、盛大に開催することができました。 また参加学年数は41学年、総数146名でうち学生が13名と、多くの世代の方々にご参加頂きました。いわゆる「全体会」である「白線流しのつどい」は、自由参加型で3年に1度開催され今回で3回目となります。 今回初めて参加されたという方も多く、この東京有斐会が初めて開催された平成22年から六年経ちますが、大きく成長したような気がします。
東京有斐会は、東京近郊に住む、あるいは働く卒業生の親睦を深める活動が主となりますが、本来の目的は、斐高の発展に寄与するというところにあります。ここ数年、斐高2年生が毎年夏休みを利用して、 東京大学の見学や都内の大学訪問のために1泊2日で上京しています。東京有斐会として、東京大学のキャンパスの案内や、種類の多い参考書を求めて、ホテルから大型書店の引率のお手伝いをしています。 不慣れな東京で初めて地下鉄に乗る生徒がほとんどで戸惑いも見られますが、「大学そのものを見て、やる気が出た」という声も聞かれ、卒業生だけではなく、在校生のためにも何かしていかなければいけないという思いがしています。
また、東京有斐会が他のOB・OG会の組織と大きく違う点は、大学生も参加できるところにあります。大学生は上京してから数年しか経っていなため、誰がどこに住んでいるのかも分からず、同級生同士でも連絡を取ることが 難しい状況にあります。東京有斐会の発展には、斐高卒業後の大学生の頃から会に参加してもらうことが大事だと考え、学生部を立ち上げて学生同士の親睦の場も作っています。斐高生には「進学や就職で東京近郊で暮らすことになったら、 単なる同窓会でない東京有斐会のことを思い出して、参加してください。」と呼びかけています。
次回の「白線流しのつどい」は、平成29年3月11日、國學院大學の院友会館で開催されます。この会は「学年連絡会(講演会)」と称して、卒業生による講演会があり、学生幹事を中心に各学年3〜5名の参加を 呼びかけていますので、興味のある方は、是非、ご参加ください。(東京有斐会 学生担当・34回卒 橋戸 弘)
平成27年3月14日、東京・渋谷の国学院大学院友会館にて、恒例となった「白線流しのつどい 学年連絡会(講演会)」を行いました。
第1部で講演会、第2部で懇親会を催すという今や定番となったプログラムでしたが、今回も、講演会の時点で満席となる盛況でした。前年に続き、斐高42回 切手有香さん、斐高50回 熊崎惣太さんの司会でつどいが始まりました。
『第1部講演会次第』
・主催者挨拶
(斐高30回 田中範弥会長)
・活動報告
(斐高17回 流田俊一郎副会長)
に続き、講演が行われました。
最初に、母校斐太高校の創立記念日でも講演された 斐高22回 慶応大学医学部教授大前和幸さんに、「環境と健康」と題し、在籍する医学部衛生学公衆衛生学教室でライフワークとして取り組んでいる、 労働環境に於ける健康被害を未然に防ぐ取り組みを語っていただきました。
次に、斐高35回 洗足学園音楽大学教授岩本伸一さんに、「音楽の恵」と題し、ヨーロッパの歴史に果たした音楽の役割と生活の中での音楽の楽しみ方について語っていただきました。 論より証拠、演奏いただいたサクソフォーンの響きに参加者一同聴き入りました。
さて皆様が待ち望んでいた懇親会です。
『第2部懇親会次第』
・来賓挨拶
(斐高26回 斐太高校校長堀川厚則さん)
(斐高22回 有斐会副会長小鷹利英子さん、及び、 斐高34回 有斐会財務局長中村竜治さん)
・乾杯
(斐高60回 新井真梨子さん)
・3分間スピーチ
・校歌斉唱
・模擬白線流し
(斐高36回 原一文副会長)
・閉会挨拶
(斐高29回 丹後洋副会長)
各テーブルの代表者による3分間スピーチも年を追うごとにバラエティーに富んできました。自薦あり、他薦あり、そのテーブルでの最年長者或いは最年少者への押しつけあり、ですが、 多方面で活躍されている方が多くて、驚きと同時に斐太高卒者ここにありという頼もしさを大いに感じさせられました。
今後のスケジュールといたしましては、平成28年3月12日(土)に、「白線流しのつどい(同窓の世代を結ぶ会)」と題して、いわゆる総会に当たる全体会を約300名で行う予定です。 皆様のご参加をお待ちしております。(東京有斐会役員会 記)
平成26年3月8日、東京・渋谷の国学院大学院友会館にて「白線流しのつどい 学年連絡会(講演会)」を行いました。
多数の校友にご参加いただき、第1部で講演会、第2部で懇親会を盛大に催すことができました。
東京有斐会の特徴のひとつは、幅広い学年から参加いただくことで、特に現役学生には参加しやすくするために、3年ごとの総会は会費無料、学年連絡会は会費千円としています。
今回は残念ながら学生の参加は初めてゼロとなりましたが、33の学年から86名の方にお集まりいただき、参加者の平均年齢は49歳と他の同窓会にはない年齢構成となり、当会の特徴を十分に表す結果となりました。
以下、当日の次第です。
『講演会』の部
・主催者挨拶
(高30回 田中範弥会長)
・活動報告
(高17回 流田俊一郎副会長)
・講演「だまし絵と錯覚」
(高19回 明治大学教授杉原厚吉氏)
・講演「世界一周のスゝメ」
(高52回 シンガーソングライター 谷澤智文氏)
杉原氏は、「ベスト錯覚コンテスト」で優勝された際の映像や、錯覚トリックを使った作品の紹介ビデオなどを使い、素人にもわかりやすくユーモアたっぷりに解説してくださいました。
谷澤氏は、テレビアニメのテーマソングなどで著名な方ですが、今回は世界一周旅行でご自身が体験したエピソードなどを、ユーモラスに、また熱く語ってくださいました。 また、懇親会でも参加者からのコールに応え、快く数曲を披露してくださいました。
『懇親会』の部
・乾杯挨拶
(高59回 田中利幸氏)
・校長代理挨拶
(高27回 長尾彰教諭)
・3分間スピーチ(各テーブル代表)
・校歌斉唱
(音頭:高52回 谷澤智文氏)
・模擬白線流し
・閉会挨拶
(高22回 坂口年男副会長)
着席形式の懇親会場では、できる限り同年代で固まらないよう配慮した成果か、非常に年が離れた校友同士でも会話が弾み、東京有斐会らしさがここにも表れていました。
また、各テーブルから1名ずつ代表を選び、テーマを決めずに3分間スピーチをしていただきましたが、若い方々の話しぶりが堂々としていたのが印象的です。 会場を笑いの渦にするほどの技量を持ったスピーチも聞かせていただくことができ、大変頼もしく、斐高パワーここにあり、と感じ入った次第です。
今後のスケジュールといたしましては、平成27年3月14日(土)に、今年と同じく「白線流しのつどい 学年連絡会(講演会)」を学年幹事を中心に約100名で、 平成28年3月12日(土)には「白線流しのつどい(同窓の世代を結ぶ会)」と題して、いわゆる総会に当たる行事を約300名でそれぞれ行う予定です。
皆様のご参加をお待ちしております。(東京有斐会役員会)
平成25年3月9日、東京・渋谷のフロラシオン青山にて、「白線流しのつどい・同窓の世代を結ぶ会」を3年ぶりに行いました。 参加者は、有斐会役員の皆様、斐太高校の先生方など、遠方からのご来賓11名を含んで、47学年におよぶ272名でした。
最初に、土川前東京有斐会長(昭和26年卒)に替わって新しく東京有斐会長に就任した田中会長(昭和53年卒)から主催者挨拶があり、 引き続き、上木有斐会長、岩崎名古屋有斐会長、加藤斐太高校校長、下屋育友会長から来賓挨拶がありました。
39名も参加してくれた学生さんが登壇し、学生代表の長田さん(平成21年卒)が乾杯挨拶を行いました。
咽が落ち着いた頃に、飛騨地方恒例の「めでた」を北村有斐会副会長に発声いただき、和気あいあいの雰囲気の中で歓談することができました。
次は斐太高校恒例の白線流しです。この日のために準備した純正の白線と名古屋有斐会から借用したスカーフを結び合わせ、現役時代は黄団の応援団長だった 原さん(昭和59年卒)が、ほぼ30年ぶりの学生服と学帽で登壇し、巴城ヶ丘別離の歌を口上と共に熱唱してくれました。
最後に皆で校歌を歌い、大先輩の垣水さん(昭和20年卒)が閉会挨拶を行って楽しいつどいを終えることができました。
高山から参加いただいた方々からは「大盛況ですばらしい会であり、なにより老若男女約300名による校歌の大合唱は涙が出るほどの感動ものだった。 学年層と参加者数の多さには驚いた」などとお褒めいただきました。
34回生(昭和57年卒)参加者の家族である、学生のお子さんたちが参加してくれました。今年50歳になる34回生がこんなことを言っていました。 「同級生と同じ遺伝子を持ち、同じ顔をした学生さんとお話しすると、本人と会っているようで、懐かしくもあり、自分だけが歳をとったような複雑な気持ちがした」逆に、 お子さんは、「親の同級生と話ができるとは思っていなかったので、嬉しかった」と言っていました。
また、28回生(昭和51年卒)、29回生、30回生は、たまたまテーブルが同じであったことから近日中にもう一度集まることになり、輪が一層広がりました。
このように異世代交流を深めることができ、「同窓の世代を結ぶ」とのつどいの目的を果たすことができました。
遠方からはるばるご参加いただいた有斐会役員の皆様、斐太高校の先生方、名古屋有斐会役員の皆様に深く御礼申し上げます。さらには、つどい開催にあたって呼びかけの労を 執っていただいた学年幹事などの皆様、お忙しい中をご出席いただいた参加者の皆様に感謝申し上げ、つどいのご報告とさせていただきます。(東京有斐会役員会)
我々世代が若かりし頃に「東京有斐会」が活動していたといった話を仄聞しますが、ある程度の幅の学年に跨っての活動は私自身聞いたことがありませんし、 少なくとも今日まで継続している活動は見あたりません。岐阜県にゆかりのある在京の団体で構成する「在京岐阜サミット」には、岐阜高校はじめ十八校の高校 同窓会が参加する中、わが校の名がないのは寂しい限りでした。
伝統ある母校の同窓生が全国各地各分野で活躍する中、なかなか郷里の同窓会に出られず、東京で独自に同窓会を開催している学年も多いと聞きます。
こうした学年ごとの在京者の学年同窓会を縦につなぎ、東京・関東近辺に在住もしくは勤務している同窓生を中心に、「東京有斐会」を再開することはできないものか。 その願いがこの会の源流となりました。
「各学年の同窓会をつなぐ」といった基本方針により、東京有斐会(以下、「本会」と略)にとっての最も重要なルールが決まりました。 それが「会員名簿を作らない」と「年会費なし」です。
通常の同窓会組織であれば、まず「会員名簿」があり、往復ハガキ等で直接「会員」に総会等催しの「案内状」を送りますが、本会はこのやり方を採っていません。
まず、「事務局」から各学年の連絡担当者である「学年幹事」にEメールで「案内状」を送ります。「学年幹事」は当該学年内で、Eメールや携帯電話等で連絡が付く 同窓生に「案内状」を転送し、当該学年の出席者数を把握、「事務局」に報告します。
往復ハガキの「案内状」には郵送費だけでかなりの費用を要するので、これを年会費として徴収したり、総会等催しの会費に上乗せするなどして捻出するのに対し、本会の 場合は通信費ゼロですので年会費はありません。また、「事務局」から連絡を取るのは「学年幹事」だけですので「会員名簿」は不要です。
具体的な活動は、年一回の「白線流しのつどい」です。いわゆる「合同学年同窓会」のような大会合は「同窓の世代を結ぶ会」と称して三年に一回、それ以外の年は「学年 連絡会」と称し、学年幹事を中心に集まって、卒業生を講師に迎えて「講演会」を開催します。いずれも母校の卒業式後、毎年三月に開きます。また、十二月に「つどい」準 備のための幹事会があります。
本会運営の基本は、役員会が各種行事の開催計画や会運営の基本方針の案を作り、幹事会にてこれを決定します。
現在の役員会は、正副会長六名による合議制の下、事務局十名がサポートする体制ですが、年数回開く役員会には、「役員」という名称にかかわらず参加を呼びかけ、いろん な人の意見を集約し、運営に反映するよう努めています。
もとより、本会はまったくのボランティア組織であり、出納上も全く独立していますので、「長幼の序はあっても、先輩・後輩とも互いに敬意を持って接する」をモットーに、 ヒエラルキーを作らない組織を目指しています。
同級生が相集い旧交を温め、青春を懐かしむことにとどまらず、世代を越えた同窓生の交流・親睦をはかり、さらには何といっても母校の発展に積極的に寄与することを目的 としています。昨年募った震災義援金三十万四千六百円も、本会の名で募金するのでなく、扱いを母校に託し母校の名で「高山市民時報社」に寄託していただきました。
今後も、様々な活動を通じ、母校「斐太高校」の名を、東京・関東を中心に高めるよう努力し、郷里飛騨との架け橋となるよう同窓生に呼びかけあってまいります。(土川宗一 高校3回卒・東京有斐会会長(当時))
東日本大震災から一年が経過した平成24年3月10日、東京・渋谷の國學院大學「院友会館」をお借りして「白線流しのつどい・学年連絡会(講演会)を開催しました。 いまだ順調な復興の槌音もままならないなか、被災から一年後のその時期は被災直後の雰囲気のままで、「つどい」開催の意義をあらためて議論するところからその準備は始まりました。
東京有斐会の再開から3回目の催しとなった「つどい」、第1部は斐高11回卒の岩崎建弥さん、斐高29回卒の清水由美さんに講師をお願いして講演会を開きました。
岩崎さんは、【三月十日 そして 三月十一日】を演題にお話されました。『67年前の今日(3月10日)、東京大空襲で約10万人が死にました。全国の都市でも大勢が命を落とし、 その多くは民間人でした。しかし、民間の空襲被害者にはいまだ国の援護がないのです』。岩崎さんは新聞記者だった目線から、民間人の戦争被害への援護を求める運動の歴史をお話しされました。 『そして昨年3月11日の大震災では約2万人が死亡・行方不明、34万人余が避難生活、福島の原発災害では約16万人が故郷を離れました』。家族、友達、そして故郷も消えた。 何をよりどころにして生きていけばよいのか、不安な日々に無責任な風評や差別が追い打ちをかける。そして岩崎さんは次のようにお話しされました。『空襲被害と東日本の災禍は66年の時を 隔てて繋がっている。人として生きる権利、尊厳が脅かされている。私たちがなすべきことは「痛みを共有し、一緒に歩む」こと』だと。講演の副題は「飛騨とともに 母校とともに」でした。
清水さんの演題は【飛騨人の知らない飛騨方言】でした。飛騨出身の日本語教師として、外から見た「母語」(飛騨弁)を実例を交え面白くお話されました。例えば飛騨弁で「バスが来るでよ!」 「バスが来よるぞ!」「バスが来とるぞ!」。さて、みなさん、バスは今どういう状況(位置)にあると想像しましたか?このように、「来る」という一つの動詞が三つの状況(位置関係や完成度)を 表すのを「三項対立」と言い、西方方言の特徴なのだそうです。標準語では「来る」「来ている」の「二項対立」で、飛騨弁の方がより複雑で、奥行きのある表現が可能であるということでしょうか。 清水さんの、身振り手振りにネイティブの発音を交えたお話に笑いを誘われ、楽しい講演となりました。
第2部の懇親会は、母校から駆けつけて下さった桐山吾朗先生、大屋進校長先生からご挨拶をいただいた後、学生代表61回卒の長田君の元気な乾杯で始まりました。各テーブルでは飛騨の地酒・ しな漬なども並び、長幼隔てなくすぐに馴染みます。やがて36回卒越山さん、38回卒寺田さんによる、緩急組み合わせた名司会が笑いを誘うなか、テーブルごとの三分間スピーチが始まり、 始終和やかに楽しい時間は過ぎて行きました。そして最後は全員で校歌斉唱。やはり一番盛り上がる瞬間でした。次会は3年に一度のいわゆる全体会「同窓の世代を結ぶ会」です。より多くの同窓生が 集うことを誓い、会はお開きとなりました。
最後に、今回も役員・スタッフのみなさんには、準備から後片付けまで大変な尽力をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。(東京有斐会役員会)
平成23年3月19日、東京・渋谷の国学院大学「院友会館」にて、「白線流しのつどい・学年連絡会(講演会)」を行いました。
3月11日の東日本大震災では東京にも様々な影響がありました。計画停電、食品やトイレットペーパーの不足と買占め、ガソリンの供給不足、 放射能汚染の恐れなどがあり、通常の勤務や生活ができない中、つどいを開催してよいものか、役員で議論となりました。自粛または延期すべきとの意見もありましたが、 こんな時だからこそ同窓の仲間が集まって絆を確認したい、自分たちにできることを行いたいと考え、規模を縮小して開催しました。
講演会では、斐中57回卒の垣水孝一さんより「牧野英一先生との想い出」と題して、若い同窓生が生前のお姿を知らない牧野英一先生(斐中7回卒)とのふれあいを 語っていただき、今もなお母校の校庭に立つ牧野先生の歌碑の裏話はじめ貴重なお話をお聴きできました。さらに、斐高49回卒の同級生、瀧上伸一郎さん、中島仲英さんの お二人で構成する、新進気鋭のお笑いコンビ「流れ星」によるトークライブがあり、時節柄設定が難しい中、心温まるコントを披露していただき、参加者がホッとできる空間を作ってくれました。
その後の懇親会では、大屋進校長、桐山吾朗元校長からのメッセージ披露に続き、母校からお越しいただいた有斐会担当教諭で斐高21回卒の渡邊正康先生よりご挨拶をいただき、 余震や計画停電で参加者にも不安が感じられる中、先生方のやさしいお心遣いが身にしみました。
今回のつどいは元々会場費・飲食費を抑えて計画していましたが、震災による急な出勤、学生の早期帰省などにより、参加者は当初予定していた100余人から62人(うち学生5人)と大幅減となり、 講師への謝礼ができない状況になってしまいました。にもかかわらず、講演を快く引き受けてくださった垣水さん、流れ星のお二人には心から感謝いたします。 また、万難を排して当日お集まりいただいた会員の皆さま、ありがとうございました。
会場で集まった義援金は、その後の銀行振り込みの寄付と合わせて30万4千6百円。大屋校長と相談した上で、これを母校の募金活動に加えていただくべく、4月中旬に斐太高校の指定口座に送金しました。 次回のつどいは予定どおりの開催ができることを願っています。(東京有斐会役員会)
平成22年3月6日、斐高の卒業式から5日後、東京・南青山にて300名余の同窓生による白線流しが行われました。
会場あふれんばかりに集まった同窓生は、斐中卒の大先輩以下現役大学生まで六十年以上に亘る先輩後輩。世代を一つにつないだのは模擬白線流しであり、最後に全員で高唱した校歌でした。
おおよそ4か月の準備期間を経て、「東京有斐会」はこの日、会場に咲いた同窓生の笑顔となって復活しました。
当初「学年を縦につなぐ」「世代を越えて集う」という趣旨に理由付けが必要、とのご意見も多少はありましたが、実際には日頃フランクな付き合いのない世代との「良きご縁」が広がって楽しい会となりました。
以下、当日の次第です。
・校歌斉唱
・主催者挨拶(土川宗一東京有 斐会長)
・来賓挨拶(上木靖司有斐会長、岩崎建弥名古屋有斐会長、道下 利九郎斐太高等学校長、堀江誠 岐阜県東京事務所長)
・乾杯挨拶(学生代表)
・めでた(有斐会代表)
・学年紹介(十名以上参加の学年の代表者)
・白線流し
・別離の歌
・閉会挨拶(垣水孝一先輩)
・もう一度、校歌斉唱
最後まで和やかな雰囲気で盛 り上がりました。
さすがに斐高生は校歌も別離の歌も歌えます(当たり前ですね)。
白線を持つと、自然と結びに かかります。
酒もよーけー飲みます。
知らない人との話では、その相手の生まれや親戚から、自分との「ご縁」を聞き出します。
楽しそうな顔が会場に満ちていました。それこそ大成功の源です。
やはり参加者の多い学年は盛り上がってました。何十年ぶりに会っても、同級生ならばすぐに高校の頃の記憶がよみがえる。それはどの世代でも、何歳になっても同じです。
参加の少ない学年でも、上下の学年との会話がはずみました。
世代を越えた先輩や後輩とも話しました。同級生の親戚や家族だったり、自分の親戚と同級生だったり。そういう話ができるのも幅広く学年が参加したおかげです。
今回の声がけでは、ある高山 在住の方に大変ご協力いただきました。
学生くんたちが大勢来てくれたのも、元はといえばその人のおかげです。
その人の息子さんは現役大学生。当日お父さんの学年のテーブルに連れて行きました。
「えー!あの○○くんの息子さ ん?」
「へー、お父さんよりかっこいいね・・・」などなど盛り上が りました。
日頃、父親を外から見ることはありません。学生くんはお父さんの話を聞いて照れてました。
ある方には懐かしい再会がありました。
40年前。新宿で一人の大学生が困っていたところ、たまたまその場で出会った人が斐高の先輩。その先輩が助けてくれました。
「いやー、懐かしい!」
「その節は大変お世話になりま した」などなど盛り上がりました。
その先輩はそれまで忘れていて、その人の顔を見て思い出したそうです。本当に嬉しそうに話してくれました。
会場内は終始笑顔でいっぱいでした。それも満面の笑顔。あんなに大勢の笑顔は見たことがありません。
帰りのホテルロビーでの会話が聞こえました。
「白線流しも良かったけど、最後の校歌には感動した。涙が出てきたわ」
反省すべきところはたくさんありましたが、事務局としてはみなさんの笑顔や感動の涙が何物にも代え難い喜びでした。ありがとうございました。 遠く高山からご来臨賜りました有斐会役員の皆様、斐高の先生方、名古屋から駆けつけて下さった名古屋有斐会役員の皆様に深く御礼申し上げ、また、総会ご参会皆様すべての今後ますますのご健勝ご多幸を祈念して、 さらには総会開催にあたって呼 びかけの労を執って下さった皆 様に心より感謝申し上げ、本会 ご報告とさせていただきます。
最後に、学生代表の乾杯挨拶から一言拝借。 「我々の世代が会長になるまで、 この会が長く続くことを願って 乾杯したいと思います」
後輩に負けないよう頑張ります。(東京有斐会事務局 )