「東京烤鴨」第二回「集まれ!日本と中国の作曲家たち」が2024年8月16日に開催されます。そこで、委嘱新作「月暈」を作曲した余鋳恩さんにインタビューをしました。余鋳恩さんはつい先日にも6月28日に日本のアンサンブル・ノマドによって作品が演奏されるなど、国内外で広く活躍されている方です。今回は余鋳恩の音楽的なルーツや作曲に対する考えを伺いました。
インタビュアーは作曲家の佐藤伸輝が担当しました。
「東京烤鴨」第二回「集まれ!日本と中国の作曲家たち」が2024年8月16日に開催されます。そこで、委嘱新作「月暈」を作曲した余鋳恩さんにインタビューをしました。余鋳恩さんはつい先日にも6月28日に日本のアンサンブル・ノマドによって作品が演奏されるなど、国内外で広く活躍されている方です。今回は余鋳恩の音楽的なルーツや作曲に対する考えを伺いました。
インタビュアーは作曲家の佐藤伸輝が担当しました。
余铸恩(ヨ チュウオン)
上海音楽学院で作曲を学ぶ。 AIMA 作曲コンクールでのグランプリ、第19回中国・成都「陽光杯」学生作曲コンクールで1等賞(審査員 長:近藤譲)など受賞多数。ロマンティシズムの美学の影響を受けたその作曲は、劇的なダイナミズムと緊張感に富み、多彩な音色の使用が特徴である。
Facebook:Zhuen YU
佐藤:音楽を始めたきっかけを教えていただけますか。
余: 小さい頃から家に誰も使わない電子ピアノが置いてあって、MP3プレイヤーの中にもクラシック音楽がいろいろ入っていたので、気づいたらピアノを弾いていました。それが一番最初でした。
佐藤:ピアノはどこかの音楽教室で習ったのですか?
余: いいえ、全くの独学でした。最初は楽譜すら読めなくて、MP3プレイヤーで曲を流しながら覚えていった感じです。ショパンのエチュードとか、ベートーベンのソナタとかを弾きました。
佐藤:それはすごいですね!その耳の良さはまさに作品に反映されているように感じます。それで、なぜ作曲に転向したのでしょうか。
余: 作曲を学び始めたのは高校の時で、理由は単純に一般大学に受験をしたくなかったからです(笑)。あの頃は広西省にいて、多くの中国の後進地域と同じように、学校教育では衡水モードのような軍事化に近い管理をされてきました。(※衡水モード:河北省衡水中学が発案した詰め込み教育に最適化した教育方法で、学生をまるで加工工場の機械として扱うことで悪名高い)
佐藤:中国のテスト教育は恐ろしいですよね。地方では特に競争が激しくて、本当に勉強に命を懸ける感じがします。
余: はい、そうした環境は私には合わず、勉強を強制される日々にうんざりしていました。試験教育に縛られない生活に憧れ始めました。当初はピアノ専攻を目指していたのですが、あまりうまくいかずに断念。そこで、作曲なんじゃないかなって思いました。
佐藤:なるほど。ベートーヴェンやショパンを好んで弾いていた少年が、どうして今の作風に変わったのですか?影響を受けた作品や作曲家はいますか?
余: 例えば武満徹とかですかね。
佐藤:やはり、中国の音大では中国の民族的な要素の使用が推奨されているのでしょうか。西村朗さんや細川俊夫さんを、民族音楽と現代音楽をミックスした好例として、それらの作品を模範としている中国の作曲の学生が最近多いと聞きました。
余: はい、中国のコンクールにおいてほとんど作曲コンクールでは、題材なり編成なり民族的な要素が求められます。
佐藤:コンクールがそうでしたら、もう作曲を学ぶ人にとっては民族的なものを取り入れることが当たり前のような雰囲気になっているのですね。そこで、やはり余さんの本当のオリジナリティというものが存在すると思いますが、そこらへんはどう折り合いをつけましたか。
余: はい、それまではその民族的な要素を信じて疑いませんでしたが、大学3年生の時に「楚祀·恋歌」という作品を書いて、初めて自分のオリジナリティと民族的な要素との葛藤を覚えました。この作品は屈原という中国戦国時代の詩人による詩を題材にしています。一見、民族的な題材のように見えますが、その題材を引用することが目的ではなく、もっと生々しい自分の情念のようなものに結びつけて作曲しました。この詩の本来の意図とはかなり違うものになっています。創作自体はイデオロギーのためでもなんでもなく、まずは自分のためだと初めて思いました。
佐藤:「個人の感情と結びついて」という部分ですが、具体的にはどのようなことでしょうか。
余: 例えば、梁雷という中国の作曲家はご存知ですよね。「月亮飘过来了(月が漂ってきた)」というピアノ曲では、作曲家がドライブ旅行をした際、5歳の息子が不意に言った言葉からインスピレーションを受けています。それを聞いた梁雷さんは北京の月を思い出して、中国的な民謡を取り入れました。そこでの「中国民謡」は、プロパガンダ的なものではなく、自分の心にある郷愁が呼び起こした純朴な感情です。「中国的」なものを避けるのでも、意図的に使うのでもなく、あくまでも自分の数多くの人生体験の一つであることにすぎません。それを息を吸うように、ごく自然な形で音楽にする。そういうことです。
佐藤:すごく腑に落ちました。ただ単に虚な民族情緒のようなものを掲げるだけでは、リアリティが欠けているんですね。そういう意味では、今回の東京烤鴨第二回公演で発表される作品も「月」を題材にしていますが、そのようなリアリティを追求しましたか?
余: はい。「月暈」という作品は、故郷への複雑な感情を表現しています。私の故郷広西と今私がいる上海とは、経済水準、生活習慣などにおいてまるで違います。時には忙しすぎて、両親との連絡が疎かになることもあります。故郷の旧友たちはすでにそれぞれの道を歩んでおり、私はあの世界からこの世界に突然放り込まれたような感覚にいます。故郷で過ごした時間を振り返ると、生活の中で気づかなかったことが一つ一つ浮かび上がってきます。例えばフルシチョフ楼や都市と農村の結合部、半田舎の生活です。大都市で生活するようになると、分裂感を感じると言いますか。
新作「月暈」の冒頭、大変静謐で美しい
佐藤:最後に、普通に作曲家として気になるのですが、余さんは作曲にあたって、どれぐらいの感性、どれぐらいの理性を持って音を書くのですか。
余: 感性はいつまでも絶対的な支配者だと思います。
佐藤:かっこいいなぁ(笑)
文責、翻訳:佐藤伸輝
余さんは以下のコンサートにて、新作「月暈」を初演されます。是非お越しください。
【後援】(公社)日中友好協会
【お問い合わせ】duckdongjing@gmail.com
【助成】公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京 [ スタートアップ助成 ]