佐藤: では、まず音楽を始めたきっかけを教えてください。
斉: 6歳の時にピアノ教室に連れて行かれました。それが始まりです。
佐藤: 斉さんは天津音楽院のピアノから卒業されたと聞きました。つい先日も、「調性音楽の階段」という二台ピアノのコンサートを開催したりとピアニストとしても大変活躍されております。斉さんの場合、ピアノは作曲にどのような影響を与えていますか?
斉: 作曲の際には、必ずピアノを弾いてから始めます。Sibeliusなどのソフトウェアを使ってプレイバックはできますが、パソコンの音源ではハーモニーの感覚や色彩を完全には再現できません。音は私の曲にとって非常に重要で、絶対音感がないのでピアノがないと音響や和音を正確に想像できません。ピアノは私にとって、作曲のインスピレーションの源であり、作曲の過程で不可欠なツールです。ピアノの音色が、私の創作の基盤となっています。
佐藤: 作曲を始めたきっかけを教えてください。
斉: 大学時代に中国の天津音楽院のピアノ科で学びましたが、クラシック音楽だけでは物足りなく感じました。ピアノ科では20世紀以降のレパートリーに触れる機会が少なく、もっと多様な作品に触れたいと思いました。そのため、より様々な時代を自由に扱える作曲科に興味を持ち始めました。まぁ、本格的に作曲科を目指し始めたのが大学卒業後ですね、それから日本の東京音楽大学に行きました。
佐藤: それは素晴らしい。ちなみに、影響を受けた作曲家はいますか。
斉: 潘行紫旻、吉松隆、フィリップ・グラス、サーリアホ、カプースチンとかですね。ちなみに、潘行紫旻先生は僕の一番最初の作曲の師匠です。
佐藤: 潘行紫旻先生の作品は何曲か聴いたことあるのですが、何というか、調性感というか、音選びのセンスが凄く似ている気がします…。
斉: はい、師事していた時は、本格的な調性音楽の訓練はされませんでしたが、先生はより自由な創作を勧めていました。潘先生からは主に、「音高の操作」の技法について色々勉強しました。先生の「和音を考える時は既成の概念から離れて、音程から考えなさい。」という言葉が今だによく覚えています。オルガヌム、それから対位法、機能和声やスペクトラル解析のように、昔から人々は音の縦の配列に規則を与えようとしてきた。そうではなく、規則からまず自由になって、自分の審美眼を持って、好きな音程の組み合わせを用いて縦を設計する。そしたら、自分の個性というのが自然と浮かび上がってきます。
佐藤: 斉さんは具体的にはどのように縦の響きを設計しますか?
斉: 僕は3度の重なりによって和音を作っている点においては、先生とは違いますね。かなり伝統的と言えるかもしれません。でも、潘先生の「縦をデザイン」する考え方の影響なのか、ナインスとかサーティンスとか、複合和音だとにか、複雑な響きを偏愛する傾向があります。かと言って、完全な不協和音というわけではなく、和音単体だとむしろ調的な響きがするかもしれません。和音が目まぐるしく変化していくことによって、大きく捉えた時はぼんやりとした無調が現れます。これが僕の方法論なのかもしれません。
佐藤: 斉さんの作品の音選び、僕は大好きです。何とも言えないメランコリーを感じます。また、最初から調性と無調の違いがなかったかのような、フラットな視線で見ている感じだとか、それは潘行紫旻さんの作品から感じられる気質と近い気がします。
斉: まぁ、無調を追求すること自体が物凄く古臭いことですから。あらゆる技法は手段であって目的ではありません。私にとって、調性音楽も無調音楽も、その時々の表現手段に過ぎません。とあるピアノ科の人から「技術は音楽のためにある」と聞いたことがありますが、作曲も同じです。何か技法のために深く勉強することは尊敬に値しますが、最終的にはその技法が音楽のためにどう使われるかが重要です。
佐藤: 私が大好きな作曲家チャールズ・アイヴズが言う「調性とか無調とかは、入れるか入れないのは温度に応じて服を脱いだり着たりするのと同じ」という言葉を思い出した。本当に良い曲を作ろうとする人にとっては、無調と調性にまつわる議論はなんてしょうもないと思うでしょうね。まぁ彼の場合は、アカデミックな場から身を引き、アマチュアで居続けられたから辿り着いた境地でしょうね。
斉:僕は保険会社の経営※はできないので… 一生アマチュアにはなりたくないと思うけどね(笑)
(※チャールズ・アイヴズは保険会社の経営者でもある)