「東京烤鴨」第二回「集まれ!日本と中国の作曲家たち」が2024年8月16日に開催されます。そこで、委嘱新作「Drupiastett」を作曲した喬瀚さんにインタビューをしました。喬瀚さんはモンゴルに音楽的なルーツを持つ作曲家で、優れた馬頭琴演奏家でもある。作品は国内外の様々なコンクールに受賞するほか、現代音楽実験室(Dmew)という団体を立ち上げ、毎年一週間以上にわたる現代音楽フェスティバルを開催している。今回のインタビュアーは作曲家の余鋳恩が担当することになりました。
「東京烤鴨」第二回「集まれ!日本と中国の作曲家たち」が2024年8月16日に開催されます。そこで、委嘱新作「Drupiastett」を作曲した喬瀚さんにインタビューをしました。喬瀚さんはモンゴルに音楽的なルーツを持つ作曲家で、優れた馬頭琴演奏家でもある。作品は国内外の様々なコンクールに受賞するほか、現代音楽実験室(Dmew)という団体を立ち上げ、毎年一週間以上にわたる現代音楽フェスティバルを開催している。今回のインタビュアーは作曲家の余鋳恩が担当することになりました。
喬瀚(キョウ カン)
中央音楽学院作曲専攻学部在学中。2005年に内モンゴル自治区フフホトで生まれた。13歳の時に馬頭琴を学び、 民謡演奏アルバム『天上の風』を制作し、多くのミュー ジカルや舞台で馬頭琴の演奏に参加。その創作活動は、 音響の連続性と音の微細な性質の探求に基づいており、 モンゴル音楽からの精神と思考を追求している。2022年 に「現代音楽実験室」を設立。作品はEnsemble Nomad,Ensemble Borneo,Ensemble Dmewなどによって、中国、マレーシアなどで演奏されている。
ホームページ:https://hanqiaomusic.com/
過去作品:https://www.youtube.com/@HanQiao/videos
https://space.bilibili.com/503209466/channel/collectiondetail?sid=1885227
Facebook: Han Qiao (喬瀚)
余:こうやってちゃんと喋るのは初めてかもしれませんね。前回私達が会ったのは昨年11月の成都でしたが、その後お互いに忙しく、なかなか深く話す機会がありませんでした。今日はとても良い機会ですので、早速始めていきたいと思います。作曲を始めたきっかけは何ですか?
喬:それは一人の師匠について話さざるを得ません。彼の名前は杜兆植といい、内モンゴルに移住した広東出身の方で、民間音楽の研究に従事していました。彼は多くの内モンゴルの音楽家に影響を与え、私の父もその一人でした。父は作曲家となり、彼の革新的的な創作理念を継承しました。私はそのような家庭環境の中で育ち、同じく「反逆者」となりました。4歳でピアノを学び始め、12歳で作曲を始め、15歳から本格的に作曲理論の教育を受けました。
余:おお、今「モンゴル民族音楽」に言及されたと思うのですが、実は喬さんのSNSアカウントをフォローしていて、馬頭琴(モンゴル族の弦楽器)をよく演奏している印象があります。喬さんは優れた馬頭琴奏者だと思いますが、馬頭琴が喬さんの作品にどのように影響を与えているのか、非常に興味があります。
喬:まず、最も直感的に思いつくのが、楽器法上の影響ですね。(馬頭琴のような)弦楽器を一つでも詳しく知ることができれば、他の弦楽器に応用することができ、弦楽器の含んだ作品の創作に大きな助けとなります。次に、内面的な影響もあります。この点について、まずは私の家にある七つの馬頭琴について紹介させてください。
余:はい、どうぞ。
馬頭琴を演奏する喬さん
喬さんが持っている馬頭琴
喬:1つ目の馬頭琴は、劣悪な工芸品で、私の初学時代を共にしました。2つ目の馬頭琴は、正式に手に入れた最初のもので、かなり良いものです。3つ目の馬頭琴は、モンゴル国の展示会で購入した非常に高価なものです。4つ目の馬頭琴は、現在使用している内モンゴル製のものです。5つ目の馬頭琴は、羊皮を使ったもので、非常にレトロな音色を持ち、馬尾の弦で、音量は小さいですが色彩豊かです。6つ目の馬頭琴は、伝統的な潮尔琴で、こちらも羊皮を使用し、古代の音色を持っています。今持っている7つ目の馬頭琴は巨大なもので、工芸的には失敗作と言えます。製作者は通常の馬頭琴よりも大きく設計したため、演奏が非常に難しく、半音間の距離が遠く、設計上の欠陥から1.7メートル以上の高さがあっても最低音はチェロのG弦の音にしか達しません。
余:とても興味深いですね。喬さんが馬頭琴に対して非常にこだわりを持っていることがわかります。
喬:はい、その通りです。これらの馬頭琴はどれも非常に個性的です。ちなみに、馬尾の弦は非常に多くの細い弦で構成されており、それが「一本の弦」を形成しています。まるでバイオリンの弓の毛のようです。この構造によって、非常に不安定な倍音列が生じます。また、制作工芸の違いから各馬頭琴も大きな違いがあります。私は一回だけ、師匠の家でモンゴルの製琴師が作った優れた馬頭琴を弾いたことがあります。それは素晴らしく、コントラバスのよりも美しい共鳴を持ち、部屋全体を満たし、人の心を震わせるほどでした。内モンゴルの馬頭琴はモンゴルの品質に追いつこうと努力していますが、残念ながらほとんどがその水準に達していません。
余:深いですね。でもまさにそれぞれの楽器の違いや音響の不確定性こそが馬頭琴の本質だと思います。
喬:もちろんです。作曲の話に戻ると、作曲において音の追求と馬頭琴の音の質や音色の追求が似ていると考えています。
余:では、モンゴル音楽が喬さんの創作にどのような影響を与えているのでしょうか。
喬:モンゴル音楽には他の民族音楽にない特質があります。それは縦の響きの豊かさである。低音の持続音の上に旋律が演奏されることが多いので、私は音楽の中で縦方向に対して敏感になりました。また、モンゴル音楽の旋律パートは持続音の倍音列に基づいていることが多く、これは最初期のスペクトル音楽かもしれません。モンゴル音楽のホーミーも「基音+倍音列」の構造を持ち、これらは私の創作に深く影響を与えています。
余:本当に素晴らしいですね。初めてモンゴル音楽を聞いたときも、とても前衛的だと感じました。
自作の歌曲を馬頭琴で伴奏する喬さん
余:ちなみに、影響を受けた作曲家はいますか?
喬:Rebecca Saundersは、私が最初に非常に熱中し、好きになった作曲家です。最初は彼の楽譜や音響に惹かれましたが、大量の知識がない初期には主観だけである作曲家を好きになるのは普通のことです。しかし、何年も経った今でも彼への興味は衰えていません。時間が経つにつれて、最初は表面的な理解や模倣だけだったが、徐々にそれが内面的な共鳴へと変わりました。
余:そうですね、好きな作曲家について話すとき、必ずしも似た音楽を書くわけではなく、しばしば「精神の友」という感じですね。
喬:もう一人の作曲家はショパンです。彼の影響で、私は作品において「響き」、「技術」、「論理」と「美」を重視しています。
余:私もショパンが大好きで、ピアノを学んでいる間に彼の多くの作品を自発的に弾きました。バラードやスケルツォのような劇的な大型作品が特に好きで、私にも大きな影響を与えました。
喬:ええ、ただ私は様々な人から影響を受けながらも、一つの(音楽的な)言語習慣や思考に縛られないようにしたいです。
余:完全に同意します。作曲は想像力を試すものであり、束縛は死を意味します。そして、喬さんが「東京ダック」Vol.2で演奏する作品は、「Drupiastett」?これはどういう意味なのですか。
喬:「Drupiasttet」は観客の思考に挑戦する作品であり、そのタイトルは「Drum」、「Piano」、「String」、そして「Quartet」という4つの単語から取られた4つの音節を組み合わせたもので、特に実質的な意味はありません。私はこの作品を通じて、芸術作品の外観やタイトルが私たちの評価にどのように影響を与えるのか、またシンプルな作品がより深い考察を喚起できるかどうかを問いかけたいと考えています。このようなタイトルを用いることで、私は信頼に基づく音楽交流の関係を築き、作曲者が自分の作品をより誠実に紹介することを促したいと思っています。また、観客には作曲者の説明を信じ、さらにそれを超えてより豊かな自主的思考を行うことを促したいと考えています。この作品は、カテランの「Comedian」やケージの「4分33秒」といった現代アートを参考にしており、芸術作品の真の価値と意味についての再考を促します。
Drupiasttetというポップなタイトルと裏腹に大変シリアスな作品である
余:ははは、喬さんは聴衆の想像を縛りたくないタイプの作曲家なのですね。以前の喬さんの「図像の解体」という作品の解説を読んだ時も、言葉では説き尽くせない何かを感じました。
喬:私の作品の存在意義は、思考を引き起こすことにあると思います。
余:素晴らしい、この言葉を聞けただけで今日はインタビューして良かったと思います。演奏会が成功するように祈ります!
喬:はい、成功を祈ります!
文責:余鋳恩
翻訳:佐藤伸輝
喬さんは以下のコンサートにて、新作「Drupiastett」を初演されます。演奏は、本多悠人、水谷ヒカル、高橋得愛、中川美羽、山田理子、青柳麟によってなされます。是非お越しください。
【後援】(公社)日中友好協会
【お問い合わせ】duckdongjing@gmail.com
【助成】公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京 [ スタートアップ助成 ]