1.当コンテンツの目的
このwebコンテンツは、京都芸大竹内研究室による常磐津節研究の、成果の一部を公開するものである。平成27年(2015)度から令和元年(2019)度にかけて調査研究した、常磐津家元所蔵の常磐津正本(以下「家元所蔵本」と記す)について、その目録と影印(写真)を掲載する。影印は、所蔵者の協力と意向を踏まえ、公開準備の整ったものから順次、掲載点数を追加していく予定である。
2.研究の経緯と成果
平成27年(2015年)、東京の常磐津節の家元、9世常磐津文字太夫師の自宅から、大量の古版常磐津正本が蔵出しされた。外形は全8巻の合綴本。その大半が虫損に見舞われ、手に取って開くことさえ困難な部分も多かった。懸念を抱かれた常磐津小文字太夫師(家元後嗣)より相談を受けた竹内は、修理と保存を着実に進めるため、京都市立芸術大学特別研究助成(平成28年度)およびJSPS科研費(平成29~31年度)を取得し、京都芸大大学院保存修復専攻の宇野茂男教授の協力を得て、平成28年(2016)度から4年がかりで、正本の修理と撮影を完結させた。
修理の行程は、採寸、丁数の確認、本の解体、本紙の清浄(虫の糞・死骸・埃をピンセット・刷毛・筆で除去)、修理用紙の選定と調達、虫損の繕い、裏打ち、製本等の多岐にわたり、延べ10名ほどが分担した。所蔵者の常磐津小文字太夫師も研究協力者として修理に参加された。
修理と併行して、修理を行った正本の書誌調査、詞章の読み合わせ、初演資料・伝承資料の調査など、初演当時の様式を踏まえた復元的上演に向けた研究を行った。最終年度には、一連の研究成果を活用した復曲制作を進め、その試演および研究報告を、日本伝統音楽研究センター公開講座「240年を経てよみがえる 常磐津二題―常磐津家元所蔵浄瑠璃本の修復と復曲―」(2020年2月9日、京都市立芸術大学新研究棟7階合同研究室1)において実施した。
なお、正本の修理の行程と手法、復曲の概要・台本・出演者等の委細については、『第五六回公開講座資料』(2020年2月、日本伝統音楽研究センター)を参照いただきたい。
3.家元所蔵本の特徴
家元所蔵本について書誌調査を進めた結果、全8巻の合綴本の中に、1770年代から1830年代にかけて出版された浄瑠璃本が、101点(約600丁)含まれることがわかった。その内訳は、富本節の薄物正本1点を除き、すべて常磐津節の薄物正本と稽古本である。それらの書目一覧は、当コンテンツの「目録」に掲載した。
管見によると、家元所蔵本の約6割は、世界に1点しかない新出の稀覯本とみられ、いわば50年に一度のレベルの稀覯本の大量発見である。初めて存在が確認された稀曲(「緑増常磐寿」など)、現行曲に関わる新出本(「両顔月姿絵」薄物正本)もある。常磐津正本のコレクションとして、世界有数の質を備えることは間違いない。
伝存の経緯と素性については、合綴本の表紙に「文字太夫」の署名や年記があること、本紙の余白にしばしば常磐津家元の捺印および江戸期の家元行司役の「須賀太夫」の署名があることによれば、代々の常磐津家元が業務用途で収集してきた資料であると考えられる。拙稿(「新出稀覯の常磐津正本『緑増常磐寿』」『日本伝統音楽研究』第16号、2019年)に記したように、第二次世界大戦以前の一定の期間に何らかの理由で家元の手を離れていたらしく、それが幸いして、大正12年(1923)の関東大震災による日本橋の家元宅全焼の災禍を免れたと考えられる。そして、戦争中は疎開先で戦火を逃れ、戦後は日本橋の家元に戻され、その後も家元の転居に伴われたと推察されるが、平成27年まで家元のごく一部の者しか存在を知らず、長らく大切に保管されてきたのである。
一連の調査研究に理解と協力をいただき、将来の学術研究および演奏研究のため、目録・影印を広く公開することに快諾いただいた常磐津家元に、厚く御礼申し上げます。