このページは、Alain Vaillant, L'Amour-fiction --Discours amoureux et poétique du roman à l’époque moderne, Presses universitaires de Vincennes, coll. « Essais et savoirs », 2002.(全文ネット上で参照可能:https://doi.org/10.4000/books.puv.6391)の要旨をまとめるためのページです。2025年11月1日から読解して加筆していき、一週間に一章ずつ完成させるペースで進め、大体2か月で読み切ることを目指します。
抒情的な伝統(詩、劇、小説)が恋愛を美的・詩的なものにした
=恋愛を元に文学作品が生まれていたのが、文学作品を通して恋愛を感じるという転倒(conversion)が起こる。
→仏文においては、プレイヤード派(ロンサールら16世紀のフランスの詩人集団)によってこの転倒が起こり、 ロマン主義で感情的レトリックはエロティックなものに 、20世紀に自己陶酔的になっていく。(詳細は今後語られると思われる)
なぜ、恋愛のテーマは文学において卓越するのか?→理由二つ
文学作品は主に女性を対象としていたため
〜作品は読者を誘惑し惑わすséduireものと考えていたので、恋愛をテーマとしていたとしても真に受けてはいけないという前提があり、それゆえに作品の形態もtopique poétique(詩において、恋愛はすでに一般的な題材で、個人的な強い感情を歌うものではなかった)や、récit fictif(愛について話す(parler)のではなく物語る(raconter)なので悪影響は少ない)などに限られていた。
恋愛とは他の分野の学問によって説明できないものなので、文学作品のみが、恋愛を扱いうる唯一のものになったため。
〜心理学によって文学の危機が訪れた?(現在の心理学的問題は元々文学が扱っていた主題)
しかし、心理学=恋愛の奥にあるpulsions, apprentissages, perversions, peursなどを分解して分析してくれる
文学=恋愛は分解不可能(insécable)な一つの理想
さらに、小説は恋愛に関する言説discoursではなく(写実主義のせいで生まれた誤解)、恋愛が言葉として表現される空想の場espace imaginaireなのであり、どこかに愛が存在する正当な理由づけが必要ない。そういう意味で、恋愛の扱われ方が心理学と全く異なる。
→ 小説=le double miracle = l’instrument et le décor =恋愛を分析する道具でもあり、恋愛を飾るものでもある これを研究するのがこの作品の目的。
恋愛小説=人々が「あなたのことが好きです」と思う種類のテクスト また、それを言ったことによって起こる結果に関するテクスト
le roman est incapable de faire son office de machine affabulatrice si on n'accorde pas un atome de vérité a l'amour que s'y promettre les amants 小説が真に仕事をするのは、読者が真実の核を登場人物の恋人らが誓い合う愛に結びつけるときである。=恋愛小説は物語でありながら、何かしら真実の核心をついている。
例えば、恋愛が現実には存在せず、完全なる人工物として小説に描かれていると仮定してみよう。
→ しかし、だとしても、小説に描かれるだけのle discours amoureuxは存在している。
『ボヴァリー夫人』において理想の恋愛は存在しなかったが、ボヴァリー夫人を殺してしまうような恋愛の言説は存在していた。恋愛は何がしかの形で確かに実在している。
→小説の作り出す恋愛を、読者は半分真実、半分空想として捉える。
恋愛とは潜在的virtuelであって、空想的illusoireでも現実的actuelでもないので、小説(を含む文学作品)にピッタリ。
18世紀、19世紀に小説という文学ジャンルが卓越していったのは、感情が論じられ、言語活動と見られるようになったため。
恋愛を語ることは、それ自体が大事というより、それによって読者がその語り手に遡ることができるから大事なのである。
=抒情の際の「私(je)」は、個人の話でありながら、潜在的に普遍である。これによって、読者と筆者の間に叙情的な繋がり(le pacte lyrique)が生まれる。
14 小説とは、発話者なき発話である(少なくとも、完全にフィクションの中に入っている発話者はいない)
→「あなたが好きだ」という言葉は、主体の存在とその感情の存在を同時に示している。
→これによって、愛の言説は心理学や生理学と異なるものになる。その上、この言説に真実味や正統性が生まれる。
→愛の言説が真理であるために、小説は、人間の真実を追求する文学の営みの中に再統合される。
〜「あなたが好きだ」というのが真実だからこそ、小説が嘘として機能できる。
!つまり、愛という真実に迫るものであるという軸が、単に嘘の話をしているだけのはずの小説に意味を与えているということ。愛は小説を単なる作り話ではなくするものなのだ!
15 愛があるから小説がある。小説があるから愛がある。という存在の相互依存関係。
16 この本では、ディドロからプルーストまで、18世紀から20世紀までの小説しか扱わない。=この時代は、フィクションが、存在するものとしないものが混ざる空間を作り出し、次第にそれしか作らなくなっていく時代だからである。
17 ラクロ:le libertin(道楽者)とは女性に、彼女が知らぬ間に抱いていた感情や欲望を暴く存在である。
18 本稿のコーパスとなったすべての小説は、愛の言説に与えられた曖昧さにおいて際立っている。
D’une part : 内省的な言葉によって、非現実性を露出させている。
D’autre part : 愛の言説は、それに特有の神秘的な効果を持っている。それは理性では語りえないものだ。
→そんな小説のプロトタイプは『ドン・キホーテ』である。騎士道という虚構にあり、彼以外には見えない真実を発見していく物語。
19『ドン・キホーテ』は成長小説 roman de formationの最初でもある。
〜恋愛言説小説 Roman du discours amoureux の概念はroman de formationの変化形なのではないか?
Roman de formation の理論はドイツ観念論由来の文学理論によって利用されている。
→この概念を導入しても、小説の歴史の中で登場した一段階に過ぎないものを優遇privilégier しているだけに過ぎないのではないか?
20 反論しま〜す(l’objection est substantielle)
まず、成長小説はすべて恋愛小説であることは認めます。
=旅でも成長できるけど、なら旅しながら恋させればいいわけなんで、やっぱり恋が出てくる。
野望を持った青年が現実を知る話なんで、恋愛は格好のテーマ。(l’espace du virtuelを扱う点で『恋愛言説小説』と同じ)
21 しかし、同じ潜在的なものle virtuelではない。
成長小説=現実と自分の希望の違い
恋愛小説=「恋愛の言説によって発見される潜在性は、全くの話し言葉paroleの潜在性であり、それが言うことでないということのみによって存在する潜在性なのである」(?)
▶恋愛小説は成長小説をカテゴリーの一つとして包含しているが、それを超えている。なぜなら、「もはや世界に期待するものがなくなった後も、話し続けなければならないからである」→もっといえば、話し言葉が必要になるのはまさにその時なのである。
例)『感情教育』の最後:フレデリックとデローリエは、恋愛は終わらないという話をする。
22 「成長小説はフィクションの言説によって現実を問う」
→恋愛小説も同じようだが、さらに、フィクションと現実とを用いて言説le discoursを問うということをする。(?)
→愛の言説le discours amoureux は小説の歴史の要le point névralgique なのだ!
▶18世紀フランスに誕生した「恋愛言説小説」は、根本的な文学の変容に結びついている。
23 - 24 テクストのジャンル分けに関して
フィクションの種類は大きく、叙述的なフィクション(fiction narrative):diégétique
劇的なフィクション(fiction dramatique):mimétique
フィクションのテクストに関する最初の理論書はアリストテレスの『詩学』
→その後、歴史を踏まえないで考えたくせに歴史を踏まえたっぽくしたジャンル分けの理論が生み出されていったせいで、文学史は軟弱な学問science molleと謗られることになった。
25 だから初めからやり直そう。
まず、文学作品は「テクストたち」から作り上げられるのではない。