地理院地図
出典:堺市美原区役所企画総務課(編)『美原区まち歩き魅力発見マップ 美原 未来・まちデザインひろば』(令和5年3月)
美原区に三つある延喜式内社の一つで、この地を本拠地とした丹比連の祖と伝えられる火明命を祭っています。
境内にある井戸の水は反正天皇の産湯に使われたと伝えられています。その時、産湯の中にタチ(いたどり)の花がこぼれ散ったため、この地をタチヒ野と呼ぶことになったそうです。 「夜泣き石」 や樹齢1,000年を超えると言われるクスノキもあります。
9世紀に弘法大師が開いた徳泉寺の跡地でもあります。徳泉寺は、築城のために松永久秀によって伽藍が破壊され、久秀の敗退後再興されたようですが、昭和14(1939)年に火災で焼失しました。
徳泉寺の前には、7世紀後半に建立された寺院があったことが出土した瓦から分かっています。道の両側に高さ約1.2mの土壇が分断されて残り、丹比廃寺塔跡とされています。
恵日山満徳寺と号し、宗派は高野山真言宗です。本尊は大日如来像です。
満徳寺は弘法大師が開いた徳泉寺の小院の一つだったそうです。徳泉寺は、 火事で焼失し、その後は再建されませんでしたが、火事の時に本殿にあった傘などが満徳寺に運ばれました。運ばれた傘などは、現在も満徳寺で大切に保管されているそうです。
東除川の西側の堤防沿いにある、長さ約700m、幅3mのレンガ敷の歩道です。鋳物の梵鐘の一部や鋳物のモニュメント板、花壇、小公園、 屋根付きベンチなどがあります。
東除川は、土地への侵食作用が活発で、段丘面を深く切り込んで流れるため、川から両岸の田畑に直接水を引くことができませんでした。
黒姫山古墳から高速道路を挟んですぐの所にあるのが聖福寺です。この付近一帯が黒山廃寺跡と呼ばれています。出土した瓦から丹比廃寺と同じ頃に創建されたと考えられています。黒山廃寺の瓦を焼いた窯跡が廃寺より北の真福寺遺跡で発見されています。
奈良時代後期に焼失後、鎌倉時代に再建されましたが、南北朝時代の動乱で焼失したようです。