「かりと様」のお引越し
地元出身の方(以下A氏)から往年のかりと様の位置や天満宮の境内に移る前の様子についていただいた情報を当時の空中写真も交えながら書いていきます。
地元出身の方(以下A氏)から往年のかりと様の位置や天満宮の境内に移る前の様子についていただいた情報を当時の空中写真も交えながら書いていきます。
1.かりと様の位置は二度変わっていた
現在細根天満宮の境内に鎮座しているかりと様について、前の記事で「かりと様も「南隣の堂」も当初天満宮の境内には無かったと思われる」と記載したが、A氏の話によるとかりと様の位置は現在の地に至るまでに二度変わっている。
1950~1960年代、かりと様は現在の東陵中学校のプールの南側あたり(右画像内「かりと様①」を参照)に建っていた。「当時は現東陵中の敷地は概ね竹藪、その南西あたりに祖父が耕していた畑、その脇にかりと様とその祭壇があった」「今の米塚北の交差点の脇から人一人が通れるくらいの細い階段状の道があり、登った先の脇にかりと様があった」とのこと。
1970年代に入ると中学校建設のための整地が始まり、かりと様は現在の東陵中学校と東陵中学校の間あたりにあった「山の神様」の隣(右画像内「かりと様②」を参照)に移された。
2010年、細根山オアシスの森整備が整備されると、宅地開発のためかりと様は山の神様と共に細根天満宮の境内に移され、現在まで当地に鎮座している。
◆「かりと」が出現した位置
かりと様が建立~1960年代まで位置を変えていないのであれば、「かりと」が出現したのは右画像の「かりと様①」の場所という事になる。東陵中学建設の際何かが出土したのであればニュースになっていると思うが、そのような話は聞いた事が無い。「かりと」はどこへ行ったのだろう?
ちなみにかりと様の建立時期はおそらく1887年~1897年頃であるとのこと。
当初のかりと様の位置が字米塚に近いのは興味深い点だ。字米塚には円墳があったとされており、この円墳を米塚と呼んだ事が字名の由来である。堀田氏は「かりと」の正体について「死んだ所」を表して「かりと」と言ったのではないかと推測している。
「米塚」は県内に同じ字名は無く、大分県の「米塚」に由来については、「祖先たちが豊作を祈願した祭壇である塚の名称」と考えられている。
A氏から頂いた地図をもとに、国土地理院の「地理院タイル」を加工して作成したもの。「分校」は鳴海中学校の分校の位置。
2.当時のかりと様とその周辺
A氏によると、「かりと様には白っぽい石が山のような形で積まれていて、その脇に石柱か木の柱が建っていたようです。脇には祭壇(畳2畳分くらいの建物で、中でお祈りをしていた)があって、団扇太鼓を持った女性何名かが何の信仰なのかはわからないが、お経を唱えていたのを(父が)見た事があるそうです」とのこと。
◆御嶽講とかりと様
「石柱か木の柱」は堀田氏の資料にあった「五尺程の木の角柱」の事だろう。この木柱は御嶽講信者が石碑の下に埋まっているものを占った際、元昭正眞命のものであると告げられたため、昭和3年4月18日に「元昭正眞命墓標」と記して建てたものだ。石積みといい、この地は御嶽講信者にとって特別な意味を持つ場所であったのだろうか?元昭正眞命の正体は未だに不明だが、御嶽講はその謎を解く鍵になるかもしれない。ちなみに石積みは山の神様の隣に移った後も存在したとのこと。
◆南隣の堂
堀田氏の言う「ふさき堂」と「南隣の2mくらいの堂」は同一の物と考えて良さそうだ。堂の中には春埜山大白坊大権現、八百姫大明神明治神宮、秋葉大権現、元昭正眞命が祀られていたとされるが、気になるのは「団扇太鼓を持った女性何名かが何の信仰なのかはわからないが、お経を唱えていた」という事だ。団扇太鼓は日蓮宗や法華宗で題目を唱える際に用いられる仏具である。堂の中には仏も祀られていたのだろうか?古地図に載っていない堂だが、ある程度の規模と文化の定着が伺える証言のように思える。ちなみにA氏もA氏の父も、「ふさき堂」なる名称は聞いたことが無いとのこと。
A氏による当時のかりと様の様子。祭壇(堂)やその中の祭神についても謎が多い。
A氏からは幼少の頃、祖父に連れられ、同じ部落の住民と夜に提灯を持って山の神様に参拝していたことや、東陵中学のあたりを「かりとさん」と呼んでいた事など、山の神様とかりと様が住民たちに親しまれてきた事がわかるエピソードも聞くことができた。この二つの小さな石碑が二度の移設を経て今日まで守られてきたのは、細根の住民たちが伝承を受け継いできたからに他ならないだろう。
最後にはなりましたが、貴重な情報を提供してくださったA氏並びにA氏のご家族の方に改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
参考文献
三元社 編 萩原正徳 編『旅と伝説 第5年第4号(通巻52号)』 三元社 1932.4
榊原邦彦『緑区史跡巡り (名古屋史跡巡り 1)』 中日出版 2021.10
国際日本文化研究センター『怪異・妖怪伝承データベース』 2025.05.05閲覧
榊原邦彦『東海道鳴海宿』 中日出版 2019.3
谷 謙二(2017) 「今昔マップ旧版地形図タイル画像配信・閲覧サービス」の開発.GIS-理論と応用,25(1),1-10. 2025.05.05閲覧
榊原邦彦 『緑区の歴史』 愛知県郷土資料刊行会 1984.11
名古屋市緑区役所『緑区誌』2025年6月8日閲覧