県道36号線沿いにある諏訪社。諏訪社は狩猟神としての性格が強く、鎌倉時代以降武士から信仰された。相原郷の諏訪社は本多右馬允定助氏によって建武3年以降勧請されたものと推測されている。鳴海八幡宮が管掌していた。所在地は相原郷一丁目だが、旧字は大形山。2025年2月15日撮影。
神社内での禁止事項。2025年2月15日撮影。
2025年2月15日撮影。
この鳥居は明治40年3月に建てられたもの。
2025年2月15日撮影。
鳥居の脇に智鯉鮒(ちりゅう)明神社の小社がある。もともとは明治時代に池鯉鮒神社で働いていた人が版木を持ってきて、相原郷に堂を立てて祀ったもの。昭和初年に諏訪神社の隣に移され相原郷公会堂と相原消防団詰所の間に大きな堂があったが、平成17年に取り壊され、この小社が建てられた。蝮除けの霊験があるそう。
2025年2月15日撮影。
参道。2025年2月15日撮影。
参道の燈篭には村中安全と書かれている。村は相原村の事だろう。2025年2月15日撮影。
2025年2月15日撮影。
諏訪神社には西側からも入る事ができる。
2025年2月15日撮影。
樹木置き場。伐採した樹木は神事に使用される。ちなみに諏訪神社では持ち込みの樹木の投棄は禁止されている。2025年2月15日撮影。
獻燈。少し字が違う気もするがそういうデザインなのだろうか?昭和8年4月のもの。
2025年2月15日撮影。
拝殿に続く階段。2025年2月15日撮影。
明治時代の燈篭。2025年2月15日撮影。
手水舎。2025年2月15日撮影。
手水舎の後ろに蛙がいた。平成元年に奉納されたものらしい。2025年2月15日撮影。
神楽殿。2025年2月15日撮影。
「秋葉」と読めるが、他の文字は判読できなかった。2025年2月15日撮影。
古神札納所。2025年2月15日撮影。
2025年2月15日撮影。
御神木。2025年2月15日撮影。
神楽殿の西の坂に社務所がある。
2025年2月15日撮影。
神楽殿の奥に本殿へ続く階段がある。
2025年2月15日撮影。
本殿の手前には末社が並んでいる。
2025年2月15日撮影。
西側の末社。右が山神社、左が八幡社。2025年2月15日撮影。
東側の末社。手前から神明社、金刀比羅社、御嶽社、秋葉社、稲荷社、津島社。
2025年2月15日撮影。
熊野社の燈篭。2025年2月15日撮影。
熊野社。境内の東端に熊野社がある。もともと相原村の氏神は熊野社であったが、戦いの神として信仰の厚い諏訪社を勧請したため、熊野社は神の倉へ移された……というのが名古屋市ホームページの記載である。榊原邦彦氏の著書(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』に「熊野社を徳重の氏神として譲った」と書かれている。神の倉の熊野社は鳴海八幡宮の宮司が管掌していたそう。神の倉の熊野社は室町時代初期には鎮座していたと推測されている。2025年2月15日撮影。
本殿の奥の雑木林は大形山緑地に続いている。
2025年2月15日撮影。
大形山緑地。写真右の階段から雑木林を散策できる。2025年1月2日撮影。
観音山弘法堂と相原観音堂も諏訪社と同じく県道36号線沿いにある。2025年2月15日撮影。
相原観音堂。明治時代には浄蓮寺の山門隣接地に移設されていたが、平成20年に元の場所に移転新築された。建立年代は不明である。
2025年2月15日撮影。
観音山弘法堂。文化10年11月に篤志家二人により寄贈された。緑市民病院交差点から相原郷へ向かう坂の途中に祀られていた弥陀堂で、昭和42年に移転。名を弘法堂に変えた。
2025年2月15日撮影。