細根山はかつて地元の豪商下郷家の別荘があり、小山園と呼ばれた。四季折々の景観を醸し出し、細根山十四景と呼ばれ、松尾芭蕉や尾張藩主が訪れたほどの名園であった。小山園の跡地は「細根山オアシスの森」として整備され、東陵中学校の程近く、閑静な住宅街の中に今なお存在している。2025年4月19日撮影。
散策ルート。これを見ないと何がどこにあるのかわからないので、写真を撮っておく事をお勧めする。2025年4月19日撮影。
「歴史広場」には多くの史跡が残されている。2025年4月19日撮影。
2025年4月19日撮影。
2025年4月19日撮影。
三吟塚。嘉永2年に建てられた。
「宵闇や霧のけしきに鳴海かた 其角
旅路かさなる雁の高声 知足
関風の色吹越る山見えて 菐言」
三人とも松尾芭蕉の弟子である。知足は下里知足の事で、下郷家の2代目当主。
※下郷と名乗ったのは3代目の蝶羽からで、知足までは下里と書くのが正しい。
2025年4月19日撮影。
2025年4月19日撮影。
たけのこ。2025年4月19日撮影。
かつて小山園には菅神廟(天満宮)、妙音池、円通閣(寂照庵)、湛然庵、好辞龕(粟塚)、望雪林、紫藤架などがあり、細根山十四景とも呼ばれ、昭和10年代頃までは荒廃したとはいえ家屋が存在していた。しかし、戦後の宅地開発や伊勢湾台風でほとんどの建物で倒壊した。なお、好辞龕(粟塚)は昭和40年~50年頃、紛失を防ぐために下郷家に移された。今は相原町の千代倉歴史館で見ることができる。2025年4月19日撮影。
湛然堂址。下里知足の時代に造った別荘の礎石。建物は昭和34年の伊勢湾台風で倒壊した。下里知足の法名は「知足斎寂照湛然居士」※。湛然堂と寂照庵の名はこの法名による。
※榊原邦彦 著『緑区の歴史』,愛知県郷土資料刊行会,1984.11には「知足斎寂照湛念居士」と記載されている。2025年4月19日撮影。
湛然堂址の奥にもいくつか塚のようなものがあったが、立ち入る事ができないため詳細は不明。2025年4月19日撮影。
知足をはじめ、下郷家の墓。2025年4月19日撮影。
細根山には美しい竹林が広がっている。この日は絶えず竹の古葉が落ちてきた。時々風で竹同士のぶつかる音が聞こえる。なお、かつての小山園の風景を描いた絵に竹は描かれておらず、山全体が日本庭園のような景色であったようだ。千代倉歴史館で聞いたところ、竹は後から生えてきたのではないか?とのこと。2025年4月19日撮影。
妙音池。2025年4月19日撮影。
細根山とその周辺はヒメボタルの生息地でもある。2025年4月19日撮影。
2025年4月19日撮影。
古井戸だそう。2025年4月19日撮影。
竹林の奥に細根天満宮はひっそりと佇んでいる。1752年に創祀とあるが、鳴海城の鎮守の天神社を下里知足が当地に遷したと言われているため、知足の没した1704年以前の創立と思われる。祭神は菅原道真。2025年4月19日撮影。
入口の石碑に「天満宮」とあり、通称も「細根天満宮」だが、本来は「天神社」が正しいようだ。2025年4月19日撮影。
細根天満宮の脇には小川が流れている。どこへ続いているのだろう?2025年4月19日撮影。
これも井戸だろうか?2025年4月19日撮影。
参道には変わった形の燈篭が並んでいる。2025年4月19日撮影。
境内の巨木。2025年4月19日撮影。
苔むした手水。2025年4月19日撮影。
手水の隣に手水がある。2025年4月19日撮影。
美しい境内の様子。2025年4月19日撮影。
印象的な牛の石造物は平成6年に奉納されたもの。2025年4月19日撮影。
社殿。この社殿は平成5年の竣工で、奥に本殿と境内社がある。2025年4月19日撮影。
2025年4月19日撮影。
左は文字が消えているが「山の神様」、右は「かりと様」。この何の脈絡も無くいきなり登場する謎の神「かりと様」の伝承が非常に興味深く、別項で紹介する。2025年4月19日撮影。
榮子稲荷大明神。かつて小山園に存在した細根天満宮の末社である。社殿の左右にこの燈篭がある。2025年4月19日撮影。
2025年4月19日撮影。
2025年4月19日撮影。
梯霊祠には下郷家の霊神が祀られていた。風和霊神(下郷蝶羽)、性清霊神(下郷亀世)、常和霊神、学海霊神、小山霊神(下郷景雄)、葆光霊神(下郷孝雄)。写真の石碑は葆光霊神のものだが、境内の参道脇に無造作に置かれている。他にも同じ形状の石が7個あったが、これらも霊神の石碑だろうか?2025年5月6日撮影。