元禄までは「花井」の字地も「三皿」であった。もとは「みさ」であり、「三皿」をあてたため「みさら」となった。字城にあった宮簀媛命(みやずひめ)の別業への坂を尊んで「御坂(みさ)」と言ったと考えられる。
過去には「木ノ元町」や「山花町」とも呼ばれていた。「木ノ元」は「城之下」で、城の麓の事。「山花」は「山端」で、山の端の意味。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
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