「城」は文字通り鳴海城の跡(根古屋城との記載している書もあるが、根古屋は城を築いた後の雑兵の泊まる小屋であり、鳴海城が正しいとのこと)。かつては「き」「じょう」と読んだとのこと。現在は鳴海城跡公園になっている。鳴海城は応永年間に足利三代将軍義満の幕下で統治を領した安原備中守宗範によって築かれた。もともとこの地には成海神社があったが、これを字乙子山に移し、跡に鳴海城が築かれた。
また、「城」の東部および周辺一帯には鳴海廃寺があったとされており、出土した瓦から奈良時代末期に創建されたと考えられている。この廃寺について伝承や文献は残っていないそう。
旧字に「天神」「乙子山」がある。「天神」はおそらく字城の旧字だと推測されているもの。天神社のあるところを意味する。「乙子山」は現行の字であるが、「字城」に成海神社あった時は「字城」を「乙子山」と呼んだ。成海神社移転の際に地名も移したとのこと。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会