語源は「高畑」であり、「たかはた」が変化した。本来は高いところにある田の意味だが、貝殻が散布していたので、「蛸畑」への変化は人々に受け入れられたとのこと。現在の若田三丁目のあたりもかつては字蛸畑であったため、若田三丁目には「蛸畑公園」に字名が残っている。
旧字は「欠下」等。「欠下」は「七双子」「若田」「蛸畑」の旧字で、崖の下の意味。
【余談】
その時代蛸畑は鳴海潟の入江であったため地名のみでなく実際に蛸は釣れたようだ。大きな蛸(たこ)が里芋畑を荒らしているのを通行人が見つけて驚いた顔をしている絵もあり、百姓は蛸を見つけると長い竿で捕まえるそう。蛸は昼夜を問わず芋を食いに来た。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
鳴海商工会ホームページ 緑区なび 2025年1月3日閲覧
谷 謙二(2017) 「今昔マップ旧版地形図タイル画像配信・閲覧サービス」の開発.GIS-理論と応用,25(1),1-10 2025年1月3日閲覧
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会
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