町名は字名に因む。「字徳重」は十四世紀以降得重保があったとされる。保とは国衙(律令制における国司の役所)の管理下にあって地方の有力者が開墾した土地のこと。相原の領地であり、室町時代に人が定着したと推測されている。徳重では花井姓が古く、「花井」から出た花井氏によって開拓された土地であると言われている。
旧字に「青海苔」「通曲」「鳥居ヶ根」「つりゐが根」がある。「青海苔」は当地に合った青海苔池から(淡水藻が生えていた?)。「通曲(とおりがね)」は熊野社の鳥居がある尾根を意味する「鳥居ヶ根」が「つりゐが根」→「通曲」と変化していったものと思われる。
また、徳重のあたりにあった崖のある谷間のことを「ホケ狭」と呼んだ。ホケは崖の意味。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会