海岸近くの低湿地であった。名前の由来は天白明神の社による。古くは「てんはく」「てんばく」と読んだ。また、字三王山にかつて天白社があり、山王社の左隣に鎮座していた。海岸沿いの低湿地である字天白は神社の鎮座する場所ではないため、字天白に天白社は無い。天白社の多くは河川に近い高地にあり、祠は川の方向に向けて祀ってあるとされる。
旧字は「あをりかけ道」「田中」「姫崎」等。「姫崎」は小さな岬の事で、早く陸化して鳴海潟に突き出ていたところ。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会