鳴海村の二つの枝村の一つ。平部山に住んでいた人々が志水(石堀山)の谷に移り、低地に降りてきて前之輪に住んだ。古くは「善ノ庵」「善之庵」「前ノ庵」「前之庵」などと書かれ、いくつかの呼称が混用されていた。牧野家文書に「元ハ民家三四軒有て其中に念仏申の道心者ことをとり給候ゆへに此処を自から善之庵と称しとの事也」の記載があるそう。
旧字は「郷蔵前」「郷畔(ごうくろ)」「森崎」等。「森崎」は鳴海八幡宮の森の先の意味。
【鳴海八幡宮】
かつては伊副神社であったが、伊副神社廃絶後八幡が継承したものと思われる。字前之輪に移る前は北の山の方(現在の小松山)にあったとの伝承がある。明治五年に八幡社となったが、昭和四十四年に鳴海八幡宮に戻った。社務所は明治三十六年の建造物を昭和三十一年に移したもので、名古屋市地域建造物資産に登録されている。
参考文献
名古屋市立緑小学校ホームページ(2025年1月2日閲覧)
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会