神の倉の神は熊野社を指し、この神社のある山が神の鎮まる座、御神座の山を呼んだことによる。熊野社は全国に存在し、沿海性の傾向があると言われている。現在の神の倉の地域は海とは何ら関りが無いように見えるが、熊野社の祭礼は船で渡したとの記録が残っており、鳴海潟がこの地まで入り込んでいたことが伺える。
「神の倉」の旧字は「伊副ケ根(いふがね)」「祝ケ根(いわいがね)」などがあるが、これは熊野社がもともとイブクマノ神社の名で呼ばれていた伝承により発生したものだそう。この地一帯は江戸時代に尾張藩の御林だった山で、明治以降官林から民間に払い下げられ、宅地化が進む前は雑木林だった。
また、東神の倉の旧字に「広湫」がある。これは「広い湿地」という意味。
参考文献
名古屋市緑区ホームページ (2024年12月13日閲覧)
名古屋市ホームページ(2024年12月13日閲覧)
名古屋市ホームページ 神の倉学区地区防災カルテ(2024年12月13日閲覧)
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会