「字大清水」が町名の由来。『鳴海日記』の「田楽ヶ窪」は「字大清水」を指す(濁池一帯とも)と考えられており、「田楽ヶ窪」は間米村の百姓が田楽を催したため地名になったのだそう。『尾張旧廻記』の田楽ヶ窪の条に、「其所に清水出るといへり」とあり、これが字大清水の由来となっている。
旧字は「峠脇」「大ひたい」「大ぶたい」「濁池」など。「峠脇」は大清水の東端、二村山の下を指す。「大ひたい」は扇川と大清水川とが落合い大きく岸が突き出たところ。大清水川は現存しない。ひたいは崖や岸の突き出たところを指す。「大ぶたい」は水広下池の近くの山の中で一段高く平らになった場所が「大ぶたい」「大舞台」と呼ばれていた。「濁池」は字大清水南部の旧字で、池の名前にちなむ。
また、「潮見坂」と呼ばれる坂があった。二村山からは海が見えたそうなので、それが由来と思われる。
参考文献
榊原邦彦(2021)『名古屋史跡巡り一 鳴海史跡巡り』 名古屋市 中日出版株式会社
榊原邦彦(1984)『緑区の歴史(名古屋区史シリーズ;6)』愛知郷土資料刊行会
榊原邦彦(2000)『緑区の史蹟』 名古屋市 鳴海土風会