吉福ヤスから声を掛けられ入信した丑松・トミ夫婦。その後熱心にお話を聞くようになり、大正6年には繁盛していた焼き芋屋をたたみ、全てを納消して夫婦で西鎭分教会に入り込んだ。
大正9年8月21日、吉福米太郎の命により、池田トミはひとり若松への単独布教に出る。3ヶ月ほどで、現在地に居を構え、丑松と、丑松のひとり息子稔との、3人での布教生活が始まった。
大正10年には一人息子の稔が21才で身上をお返しするという大節となったが、そこから一念発起しておたすけ活動に燃え上がり、大正12年1月28日、教祖40年祭に向かう時旬に、池田丑松を担任として山手分教会が設立された。
その後、池田トミ、池田修、池田修嗣、池田信人と代を重ね、現在に至る。
山手分教会略年譜
明治末ごろ 池田丑松・トミ入信
大正6年 西鎭に入り込む
大正9年8月21日 池田トミ、若松へ単独布教
大正12年1月28日 山手宣教所設立
昭和21年3月15日 池田トミ、2代会長就任
昭和23年4月26日 池田修、3代会長就任
昭和61年9月26日 池田修嗣、4代会長就任
平成28年3月26日 池田信人、5代会長就任
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