天理教のめざすもの
天理教が目指すもの、それは世界中の人間がともにたすけあい、陽気ぐらし世界をこの世につくり上げることです。では、どうすれば陽気ぐらし世界が実現するのでしょうか。天理教ではその方法として、私たち一人ひとりの心を澄ますことが強調されています。そして、心を澄ましていくためのより具体的な手段として教えられているのが「つとめ」と「さづけ」です。
*目的は陽気ぐらし世界の実現
「天理教教典 第三章元の理」には、
“この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。”
とあります。
私たち人間は、陽気ぐらしをするために親神・天理王命(てんりおうのみこと)によって創造され、神の守護のもとに長い年月をかけて進化を遂げ、現在の文明をつくりあげてきました。しかし、私たちはいつしかこの陽気ぐらしという人間創造の“元”を忘れ、家庭内から国家間にいたるまで争いが絶えることはありません。天理教の信仰は、「人間が陽気ぐらしをするのを見て、神もともに楽しみたい」という元なる神の思いに、私たち人間一人ひとりの心を沿わせていき、神人和楽の陽気世界をこの世に実現していくところに大きな目的があります。
*心を澄ます生き方
では、どうすれば陽気ぐらし世界はこの世に実現されるのでしょうか。天理教の原典の一つ『おふでさき』の中に、
ほこりさいすきやかはろた事ならば あとハめづらしたすけするぞや
(おふでさき 三号98)
心さいすきやかすんた事ならば どんな事てもたのしみばかり
(おふでさき 十四号50)
とあります。“ほこり”とは、陽気ぐらしに反する心遣いのたとえで、をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまんの八つの心遣いを「八つのほこり」として教えられています。水が濁っていると何も見えなくなるように、心が濁ると大切なことに気づけなくなります。心さえすっきりと澄んできたならば、すぐそばにある喜びに気づけるようになり、どんなことでも楽しみに感じて陽気に生きることができるようになってきます。
また、あらゆる病気や災難は、私たちに心のほこりを掃除させ、心を澄み切らせて陽気ぐらしをさせてあげたいとの神様からのメッセージです。どんな困難な状況でも、自分自身の心を見つめ、心のほこりを自ら払うことで、陽気ぐらしに向かう、たすかりの道が開けてくるのです。
*教会から聞こえてくる音の正体は?
皆さんのお住いの地域では、朝や夕にどこからか太鼓の音が聞こえてくることはないでしょうか。その音をたどっていくと、もしかしたら天理教の教会にたどり着くかもしれません。陣内分教会をはじめ、世界各地に約1万4千か所ある天理教の教会では、毎日決まった時間に「つとめ」とよばれる礼拝が行われています。
「つとめ」は、第一義的には、毎月26日に奈良県天理市の天理教教会本部で、人々のたすかりと、陽気ぐらしの世への立て替えを祈念してつとめられる「かぐらづとめ」を指しますが、この「かぐらづとめ」にならって、各地の教会でも、日々感謝と祈りをささげる「つとめ」がつとめられています。
この「つとめ」を通して、天理教の信仰者は、日々、人のたすかり・世の治まりを祈る中に、自分自身の心のほこりを払い、一歩一歩心を澄ます歩みを進めています。
*天理教はなぜ布教をするの?
天理教の教祖(おやさま)・中山みきは、御年41歳(天保9年)から90歳(明治20年)までの50年間、世界中の人々をたすけて、陽気ぐらし世界を実現するため、身をもってたすけ一条のお手本の道を通られました。この間、「つとめ」の完成に向けて人々を教え導かれるとともに、たすけられた人々に対しは、
「救けてもらい嬉しいと思うなら、その喜びで、救けてほしいと願う人を救けに行く事が、一番の御恩返しやから、しっかりおたすけするように」
と、神様への御恩返しの方法を明確に示されました。さらに、病気で苦しむ人に直接取り次いで、回復のご守護を願う「さづけの理」を人々に渡されました。
たすけ一条に歩まれた教祖(おやさま)の「人をたすける心」を自分自身の心として、一人でも多くの方々に“陽気ぐらし”という元なる神の思いを伝えるとともに、身近で病気に苦しんでいる人には「さづけ」を取り次いで、そのたすかりを真剣に願うことは、天理教の信仰者にとって大切なつとめです。そして、ひたすらたすけ一条に歩む中に、いつしか自分自身の心が澄んできて、自らが明るく陽気に救われていくのです。ここに天理教の布教の動機があります。
そうして、寄り集まった多くの人々とともに、一つ心に「つとめ」をつとめ、陽気ぐらし世界に向かって、また一歩進んでいくのです。
(天理教ホームページへリンクします)