歴史

HISTORY

山岳信仰=立山の歴史


立山は登山や観光のほかに信仰の山としての一面を持ちます。


立山開山は今から約1300年前の平安初期とされ、開山の由来も信仰によるものとされます。


開山以前、万葉集に「皇神の領(うしは)き坐す」(※神による統治の意)山とあり、もともと信仰の対象であったものに平安初期の真言宗・天台宗の山岳仏教がミックスされ、山岳宗教の対象となったという説が有力です。


仏が衆生を救うためにこの立山に地獄と極楽を現したとされ、日本中にその教えを布教したのが麓の芦峅寺や岩峅寺の人びとであります。実際、立山の中腹から山頂までには餓鬼田や地獄谷、みくりが池など、地獄や極楽を想像させる景観が連なっており、情報や科学の力が少なかった時代、徒歩による長時間の登山の末に目に入る景色は死後の世界を具現化しているものととらえて当然といえるものであったことでしょう。


彼らが布教のために利用したのが「立山曼荼羅(写真)」。下層には麓の芦峅寺や岩峅寺にある諸社堂、中層には閻魔大王の裁判や数多くの地獄絵図、上層には左から剱岳、別山、雄山、浄土山などが描かれ、極楽浄土を表現しています。


一般的な地獄極楽図に加え、立山開山の由来とされる伝説(仏の胸に矢)や称名滝、女人禁制伝説や畜生道伝説なども織り交ぜられ、布教のツールとしては非常に合理的に作られたものといえます。


立山開山から現在までの1300年を振り返ると、観光やスキーでの歴史はごくわずかであり(明治以降)、永く信仰の対象として存在してきたことがわかります。文面に書ききれないことは天狗平山荘スタッフにお尋ねいただければ、また、麓の芦峅寺にある立山博物館や立山カルデラ砂防博物館で深くご理解いただけます。


天狗平山荘の歴史


初代:佐伯間左衛門

Founder : Mazaemon Saeki


多くの山小屋が地元自治体により建てられはじめた昭和初期、天狗平には『天狗の小屋』という名の建物が建てられました。


地元芦峅寺の佐伯間左衛門は管理人として小屋に入り、山小屋および周辺の整備を進めました。



2代目 佐伯 守

The 2nd generation : Mamoru Saeki


二代目の佐伯守は、山小屋の権利を譲り受け建て替え。現在の天狗平山荘が完成しました。


元立山山荘組合の理事長で、過去には多くの遭難救助にも出動した経験を持つ。立山を職場として約50年という生粋の山男。日に焼けたいかにも山男という風貌に似合わぬ、やさしく気さくな人柄は、常連客に「お父さん」と呼ばれ慕われていた。


3代目(現在) 佐伯賢輔

The 3rd generation : Kensuke Saeki

The present owner.

中部山岳国立公園、立山の標高2300mに位置し、立山三山、北は劔岳、西には日本海と富山平野。海抜0mから3000mの眺望が素晴らしく、夕日の名所でもある天狗平周辺の環境を整備し、厳しい自然環境に合わせて建物をメンテ、進化させ、山小屋でありながら個室対応中心の山荘としてお客様にできる限りゆっくりと過ごしていただけるように努めています。



芦峅寺 -Ashikuraji area-

富山市内から、立山の入口である富山地方鉄道立山駅に向かう途中、立山駅手前4kmに芦峅寺という地区があります。

天狗平山荘のオーナー佐伯家の本宅もある場所ですが、ここには「山岳信仰の聖地」である立山に関係する施設が新旧織り交ぜ多く存在します。


立山へ入る前、もしくはお帰りの途中に立ち寄ってくだされば立山についてさらに深く理解していただくことができるでしょう。

まずは「雄山神社」。室堂から2時間ほどの主峰「雄山」山頂にあるのが峰本社、


こちらは芦峅寺にある中宮祈願殿です。

次に立山博物館。

これは芦峅寺一帯に広域に施設を持つ博物館で、その中心となるのは雄山神社に隣接する近代的な建物「立山博物館展示館」。

テーマは「立山の自然と人間とのかかわり」。

立山の歴史や山岳信仰についての知識を得ることができます。


同じく立山博物館の施設ではありながら、展示館から5分ほど歩いたところに位置するのが「まんだら遊苑」。「立山曼荼羅」の世界、つまり立山の地獄(地界)極楽(天界)を疑似体験できる施設で、こども連れの観光にもぴったりです。