コラム


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■アートとビジネス(2) 2023年12月

アートワールドとは

チクタク先生「今回のテーマですが、アートワールドとテクノロジーの関係についてです。アーティストでもあるテックジー先生にお話ししてもらいます」

テックジー「テクノおたくでもあるテックジーだ。前回はアート思考というテーマだったが、今回はアートワールドについて話してみることにしよう」

ゴリくん「前回は、アートワールドのルールでアートが高額売買されている、という意外な話でした。しかし聞いたことがないアートワールドという言葉の説明からお願いします。普通のビジネスパーソンが対象なので、芸術論ではなくビジネスやテクノロジーも交えてください」

テックジー「分かっている。アートワールドなどという言葉は、大半の日本人には関係のない世界での言葉だからな」


Gerhard Richter Graues Bild II


テックジー「ではゴリくん、この絵を知っているかね?」

ゴリくん「絵?これはただの四角です。グレーで塗りつぶされていますが」

テックジー「何を言っているんだ。この絵画は、ドイツ最高峰の画家であり現代アートの代表的作家であるゲルハルト・リヒターの有名な絵画だ。2800万円という値段がついているのだぞ」

ゴリくん「そんなバカな話はないですよ。これなら小学生でも描けます。なんでこれが絵画で、しかもそんな高額で取引されるのですか?」

テックジー「なぜなら、これがアートワールドでの話だからだ。アートワールドとは、ギャラリー、美術館、キュレーター、評論家などのアート制度を支えている欧米白人男性だけの、いわばギルド的団体のことだ。アート業界でもよいのだが、この言葉のニュアンスでは閉鎖的タコツボ的特徴が伝わらないのでアートワールドと言っている」

チクタク先生「ちょっと待ってください。アートワールドが白人男性だけとは、聞き捨てならない話です。女性や有色人種の画家は、そこに入れないのですか?」

テックジー「そうだ。つい最近まで女性が描いた絵画は、無視され評価対象にすらなっていない。だから売買対象にならず美術館に女性画家の作品はなかったのだ。ただ近年のフェミニズム運動の結果、このジェンダー差別は遅々としてだが解消されつつある。この話は重い別テーマなので、ここでは止めよう」

ゴリくん「そこは了解しましたが、なぜただの四角形の図が絵画とされるのですか?」

テックジー「端的に言うとだな、アートワールドの権威者がこれは重要な絵画だ、とのたまったからだ。この業界では、何を描いたかは問題ではなく、誰がいつ描き誰が評価したか、で絵の価値が決まるのだ。世界中の美術館は、このアートワールドのルールに則ってアートを収集している。大半の日本人には理解できないところだな」

ゴリくん「それだと、どんなに素晴らしい絵を描いても、その権威者に認められなかったら評価されないじゃないですか」

テックジー「ゴリくん、素晴らしい絵とは、どんな絵だね?」

ゴリくん「えーと、綺麗で美しく、感動的でさえある絵ですか・・・?」

チクタク先生「その感想では、あまりに曖昧すぎて基準になりませんね。客観的に評価するには、評価基準が必要なはずです」


 

テックジー「この図はだな、我輩がアート作品を制作しようとした際に、アートはどのように評価されているのかを自分で考えて図にしたものだ。我輩は美術を系統的に習っているわけではない。これは独自の考えなので、美術評論家たちの考えとは異なると思う。はじめは、この程度のことならアートの世界では教科書的な考えがあるだろうと思い、探してみたのだが見つからなかった。そこで仕方なく自分で考えたという経緯がある」

チクタク先生「一見すると一般の社会人にはわかりやすい図ですが、これは評価の観点にすぎません。ここから客観的に数値化しようとしても、直観が大半なので絶対的評価はできませんね」

テックジー「手厳しいがその通りだ。”美しさ”とか”面白さ”は、しょせん個人の好みだ。歴史的宗教画の場合、その宗教の知識が無いと、その絵が描こうとした物語の意味が理解できないしな。ではどうするかな、ゴリくん」

ゴリくん「そんな先生たちが分からないものを、ボクが分かるわけはないですよ。でも良いか悪いか決められないときは多数決ですね」

チクタク先生「さすがゴリくん。素晴らしい答えです。正解が不明の場合には、統計的処理を施すことによってより正しい答えに近づきます。AIの原理であるニューラルネットワークは、多層ネットワークの最終段で、複数ある選択肢の中から確率が高いものを選び出力します」

テックジー「まぁロジカルに考えればそうだな。しかしアートワールドの住人は違う。先ほども言ったが、アートワールドの権威者が”これはアートだ”と言ったものがアートなのだ。便器に著名なアーティストがサインしただけで美術館に飾られるアートとなる(便器事件)。2022年秋のブリロボックス騒動は、鳥取県の美術館が3億円で購入したのが、なんとアメリカで大量に販売されている普通の家庭用タワシの箱だったので、納税者が怒って騒動となった。まぁ当然だな」

ゴリくん「なんでそんな箱に税金を使ったのですか?」

テックジー「それはもちろん、ポップアートの巨匠とされるアンディ・ウォーホルが、これはアートだと主張したからだ。発表当時アメリカでも、それでは工場に大量にあるブリロの段ボール箱もアート作品なのか、と批判されている。日本の美術評論家はアートワールドの住人なので、これは歴史的意義があるので安いとと言っていたがね。美術研究員とやらは、”目を喜ばせるだけの絵画は網膜的であると否定”までしている。アートに美しさを求めてはいけないようだ。しかし美しさの対極にあるような陳腐な箱に歴史的価値があると言い張るなら、美術館ではなく博物館に置くべきだと、我輩は主張するな。それに英語の"Museum"は、博物館・美術館・科学館の総称だ。アメリカの”The Andy Warhol Museum“は、美術館ではなく博物館としてアメリカ人は見学しているのかもしれないぞ」

ゴリくん「それにしてもボクが聞きたかった答えではないですね。アートとは何か、と聞いたらエライ先生がアートといったものがアートだ、では情けない話です」

チクタク先生「私も、そこまでアート業界が権威主義だとは知りませんでした」

テックジー「それが一般大衆の健全なる感覚だな。現在のモダンアート業界は、数千億円が飛び交う金持ちたちだけの道楽にすぎない。富裕層が大勢いる国力のある国に、美術品が集まってくるのは大昔からある有名な話だろう」

チクタク先生「印刷された紙のカードにすぎないトレーディングカードが、数百万円で売買されている趣味の世界と同じ理屈だとは理解できます。しかしそこに我々の税金が使われるとなると腹が立ちますね」

テックジー「そうだろう。納税者は常に眼を光らせねばならないのだ」

ゴリくん「そうだ、すっかり忘れていましたが、アートにおけるテクノロジーの話がまだですよ」

テックジー「そういえば、当初はその話をする予定だったな。閉鎖的なアートワールドに戦いを挑むアーティストたちの話や、アートワールドに苦心惨憺して潜り込んだ日本人アーティストの話をしようと思っていたのだが、それは別の機会にするかな。それでは我輩も使っている生成AIの話をしよう」

チクタク先生「生成AIの原理や画像生成の仕組みは、以前の講座で説明しています。ですから、アートとAIに関してだけで大丈夫です」

テックジー「それは助かるな」

■AIアートの評価基準とは

テックジー「最近公開された論文に面白いものがあった。”AIアート vs Humanアート 〜人はどちらを好むのか〜 “という、刺激的なタイトルの論文だ。要約すると以下の通りで、詳しくはオリジナルの論文で確認してくれ」

【実験内容】

・人はAIが作ったアート作品に対して、どう感じるのかという課題

・すべて生成AIを使って制作したアート作品30枚を、具象絵画15枚と抽象絵画15枚に分け,AI-createdラベルかhuman-createdラベルのどちらかをランダムに付与し,150人の被験者の応答がどう変化するかを調査

・評価指標は、好み(Liking)、美しさ(Beauty)、奥深さ(Profundity)、価値(Worth)の4項目を5段階で評価

【実験結果】

・4つの指標いずれにおいても,human-createdラベルがAI-createdラベルより、高く評価された。

・具象絵画が抽象絵画より、高く評価された。

・すべて生成AIを使って制作した画像にもかかわらず、誰もAI生成物であることに気づかなかった。

チクタク先生「結果に意外性はなく、予想の範囲ですね。しかし被験者が150名では、サンプル数が足りません。統計学上、標本誤差5%以下が有意水準とされているので400名の被験者が必要です」

テックジー「まぁそうなのだが、我輩がこの論文を取り上げた理由は、結果より評価指標なのだよ。好み、美しさ、奥深さ、価値という4つの観点をどのようにして決めたのか知らないが、研究者らしい評価観点だ。好みや美しさは分かるが、奥深さ(Profundity)を被験者がどう解釈するか、価値(Worth)とは金銭的価値なのだろうか。なかなか興味深い。美術関係者なら、テクニックとか独創性という観点を必ず入れるだろうし、アートワールドの美術批評家なら前例のない革新性でしか評価しない」

ゴリくん「たぶんそこが、一般人と美術界の人との差なのでしょうね。ボクは、好み・美しさ・奥深さ・価値という指標に疑問はないですよ。テクニックなどは分からいし、そもそもアートの知識がないのでユニークなのかありきたりなのかの区別はできません」

チクタク先生「全部生成AIの画像だったことに、誰も気が付かなかったということは、いかに今の生成AIが優秀だということですね。それにしても、具象画の方が抽象画より好まれていることが判明して安心しました」

テックジー「画像生成AIは、発表からわずか1年程で大幅に進化し、プロのイラストレーターと区別できないほど品質が向上した。しかし現時点では、指示された画像を統計上高確率な画像を複数出力しているだけだ。自ら評価しているわけではない。判定はユーザーの選択に任せている。これは客観的評価基準がないからだ。だから我輩はアートに関する客観的な評価基準ができないものかと探しているのだよ。もしこれが出来たら、生成AIはイラストの世界的な需要を満たしてくれるだろう」

 ゴリくん「そうなると、世界に大勢いるイラストレーターたちは、みな失業してしまいますよ」

テックジー「まぁ全員ではないが、大半はそうなるな。“現在のAIが担うのは、イラストのような見る快楽に奉仕する芸術です。エンターテイメントのような需要に応えるアートをAIに任せることで、人間はそうした需要から解放され、芸術の本質を問う活動に専念できるようになる。”

この言葉は、人工知能美学研究会 中ザワヒデキ氏のものだ。19世紀に写真が発明されると、多くの画家たちは絵を描くのを断念したり、写真家に転身した人もいた。しかしあきらめずに印象派のような新しい表現方法を獲得した画家が、その後のアートブームを興したのだよ。人間の創作意欲は、過去の遺産からしか画像生成できないAIなど、きっと乗り越えられるさ」

終わり

アートとビジネス(1) 2023年12月

□アートとは何か

チクタク先生「今回の話のテーマですが、AIではなくアートになります」

ゴリくん「今度はアートですか。意外ですね。AIネタがなくなったのですか?」

チクタク先生「いえ、AI関連の発表や論文は相変わらず大量にあるのですが、従来の考え方を否定するような話が出てきたので、確認できるまで少し様子見する必要があるのです。このテーマに関しては。しばらくお待ちください」

ゴリくん「そういうことですか。で、アートといえば、油絵のような絵画を思いついてしまいますが、デジタル分野の最先端にあるAIとは対極の分野ですね。チクタク先生の専門外じゃないですか」

チクタク先生「そうなのです。そこでアートに詳しい人をお呼びしていますので、ご紹介します。アーティストのテックジー先生です」

テックジー「ご紹介ありがとう。テックジーと呼んでくれ。この名はテクノ爺を略して屋号にしたものだ。老舗の美術団体に所属しており、自称アーティストだ。もっともキャンバスの代わりにタブレット、絵筆の代わりにマウスやスタイラスペンでCGを制作販売している程度で、最近は生成AIなども利用しているからテック系なのだ。ただし、この芸術分野に関しては一家言あるぞ」

ゴリくん「お手やわらかにお願いしますが、”いっかげん”とはなんでしょうか?聞いたことがないのですが」

チクタク先生「その人独特の意見や主張という意味です。最近あまり聞きませんが、ゴリくんも一般常識として覚えておいてください」

ゴリくん「常識かどうかはさておいて、テックジーさんのご意見とは?」

テックジー「さん付けでは呼ばないように。爺さんと言われているようで気分が悪い。ところで今回のコロナ禍の中で、政府から”不要不急の外出は控えろ”と言われ、あらゆるコンサートや劇場、美術館などでのイベントが中止に追い込まれた。このため多くのアーティストたちは、自分の存在意義まで見失ってしまったのだ。芸術活動は、社会にとって実は不要不急だったのかとな」

ゴリくん「そういえば、そんなこともありましたね、というかまだ去年のことでしたか」

テックジー「洋の東西に関わらず、芸術が花開くのは裕福で芸術に理解があるパトロンが存在しているからだ。社会が豊かで余裕がないと、娯楽や芸術にまでお金が回ってこないのが現実だ。ハプスブルグ家の庇護がなかったら、モーツアルトやベートーベンたちの偉大な交響曲は生まれなかったし、茶会を茶道として大成させた千利休は天下人である豊臣秀吉の側近だった。

しかしハプスブルク家がフランス革命によって滅亡しても、クラシック音楽は現代でも活況で、豊臣家が没しても茶道は連綿と引き継がれている。一度誕生した芸術は、たとえ直接何かの役に立たなくても、数世紀も生き永らえることができた。なぜだね?ゴリくんとやら」

ゴリくん「なぜかと急に問われてもわかりませんが、やっぱり何かに役立っているのでしょうね。娯楽かな」

チクタク先生「そもそも、役に立つものだけが残り、役に立たないものは消える、というシンプルな考え方が間違っているのではないでしょうか。もしくは芸術・アートは、社会にとって有用性が高いものなのかしれません。イギリスの社会思想家ジョン・スチュアート・ミルは、功利主義(utilitarianism)における幸福や快楽とは、肉体的・即物的快楽だけではなく精神的・知性的な効用も含まれるとしています。この学説に従うと、アート・芸術は人々に精神的豊かさを与えてくれるので役に立つということになります」

テックジー「うむ。ごく常識的というか健全な考え方だな。もっとも功利主義という日本語では、物事を経済的価値だけで判断するように聞こえてしまうが。

アート、特に絵画は昔から金銭で売買されている。したがって、絵画には当然経済的価値がある。もちろん画家も霞を食べて生きているわけではないので、売れる絵を描かなければならない。職人である宮廷画家なら、王侯貴族からの依頼を受けて肖像画を描いていれば食べていけた。しかしフランス革命以降、依頼があって絵を描くのではなく、内なる欲求から絵を描く芸術家としての画家が増えていきたのだ。産業革命が進み、経済的に余裕がある人々が増えてくるとアートに対する需要も増えて、ロマン派や印象派の画家たちの絵も人気が出て売れるようになった」

ゴリくん「ちょっと待ってください。絵画の歴史も興味深いのですが、一般のビジネスパーソンが対象です。ビジネスパーソンにも役立つアートの価値、で解説お願いします」

テックジー「おや、そんな実利向きだったのか。我輩は教養主義派なので、それならチクタクでもできるだろう。最近流行りのアーチ思考について簡単に説明したまえ。我輩は後ほど、ビジネス抜きのアートの価値について話そう」

チクタク先生「せっかくお呼びしたのにしかたがないですね。アート思考なら理解していると思うので、簡単に説明しましょう。テックジー先生は補足願います」

ビジネスにおけるアート思考

チクタク先生「図を参照してください。昔はビジネスにおいても経験と勘で決めるアナログ思考が全盛の時代でした。しかし経済成長が鈍化しコンピュータがビジネスでも日常的に使われるようになってくると、もっと科学的な事実ベースのロジカルシンキングが広まってきます。

さらにダイナミックに動いていく現代社会では、すぐに変動してしまう大量の情報を、正確に把握しようとしても困難です。ソフトウェア開発が、仕様をきちんと決定してから開発するウオーターフォール型から、試作を繰り返すアジャイル型に変わっていったのもこの理由からです。デザイン思考は、顧客視点から情報収集とアイデア出し、試作によって課題解決をする手法ですが、変化に追従する手法として、次第にビジネス世界で普及していきます。

しかし生成AIがビジネスに急速に普及していく時代においては、シンプルなロジカルシンキングで解決できるような業務は、生成AIに任せた方が早く処理できます。AI時代において貴重な人材には、人間にしかできない高度な思考方法が求められるようになります。それが次のステップ”アート思考”だと思います」

ゴリくん「突然、アート思考とかいわれても、せっかく経験と勘のアナログからデジタルに脱したのに、また直観だの美意識だのというアナログに戻るのですか?」

チクタク先生「そうではありません。ロジカルシンキングや分析力があるうえでの、美学であり創造性です。ここでは諸説あるアート思考を、私なりの考えで話すことにします。なぜAI時代におけるビジネスに、アート的な思考方法が必要なのかですが、まず枠にとらわれない自由な発想力です。現在の生成AIでもアイデア出しは可能ですが、原理的に与えられたキーワードと関連性の高い言葉・意味の距離が近い言葉(註)の中から選んで出力しています。このため生成AIは、模範解答をするのは得意ですが、突飛でユニークなアイデアは出せないのです」

テックジー「その通りだ。CatGPTに書かせたラブレターは使えるが、ギャグは下手で使い物にならん」

ゴリくん「そうなんだ。じゃあボクもラブレター書かせてみよう」

チクタク先生「もっとも、柔軟な発想でアイデアを出しなさい、と言われて出せる人は少ないでしょう。ユニークなアイデアとは、意外な組み合わせから生まれるケースが多いので、大きな研究所では数学者と生物学者と経済学者のように、できるだけ異分野の研究者たちが集って自由に会話できるようにしています。仕事一筋の会社員より、多彩な趣味を持つ人の方がアイデアマンであることが多いのも事実です」

ゴリくん「そこは理解できますが、柔軟な発想力が必要だという話だけなら、わざわざアート思考という名前にする必要もない気がします」

チクタク先生「アーティストが作品を創造する方法は、既存のデザイン思考と大きく異なるところがあります。それはデザイン思考がクライアントやユーザー視点に立って、その要望を受けてから発想を始めるのに対して、アーティストの思考方法は内発的な動機からアートを創造するところです。しかもそのアートの是非の判断は、アーティストの持つ美学に依っています」

テックジー「まぁそこはアーティストを買いかぶりすぎているな。”無”からなにかを創造することはできない。大自然を観たり他のアートに出会うなど、何らかのきっかけがあって描くべきモチーフは生まれるものだ。が、ここはビジネスの話ではないので後程しよう」

ゴリくん「チクタク先生が説明した、アーティストの制作方法をビジネスで使ったら、独りよがりだと非難されてしまいますよ」

チクタク先生「アート思考とデザイン思考の、どちらが優れているという話ではありません。各々の手法には特性があるので、ビジネスの場面によって使い分けることが大切です。

新しい商品やサービスを開発する際に、今までは各社とも市場動向調査やユーザーニーズの深堀のようなデータ解析手法で商品開発をしてきました。その結果、市場には似たような商品が氾濫してしまい、差別化が困難になったのです。そこでデータ至上主義から離れ、本当に自社で創りたいオリジナルの商品やサービスのコンセプトやビジョンを創造するための手法として注目されたのが、このアート思考なのです」

ゴリくん「なるほど。特定の製品やサービス単体の開発ではなく、もっと上位レベルの企業理念やビジョンを創る際に利用するなら役立ちそうですね。もっとも、考えたビジョンの根拠を問われて、”直観”としか言えない恐れもありますが」

チクタク先生「確かに自分が時代感覚として漠然と捉えた概念を、単に直観だと言ってしまうと他人には理解されないかもしれません。ですから自分の直感でも、言語化は必要です。ビジネスでは大勢の人と協同で行うものなので、その言葉が共感され、周囲の人たちを巻き込むことが出来ることで、初めてビジョンやコンセプトとして完成するのです」

テックジー「そこがアート業界と最も異なるところだな。”アートワールド”と呼ばれているタコツボのように狭く閉じられているアート業界では、そこの住人だけしか理解できないルールでアートが制作され高額で売買されている。部外者がそのアートの価値を理解できなくても、無視するような業界だからな」

ゴリくん「本当ですか!アートの世界は、そんなところだったのですか」

テックジー「そうだ。では次回のテーマとして、このアート業界とテクノロジーについて我輩が話すことにしよう」

■ABSTRACTION展 見学記  2023/08/21

アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)で開催されていた「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」という美術展を観てきた。アーティストのハシクレの我輩としても、アブストラクション(抽象化)とは何ぞや、ということで酷暑の中にもかかわらす涼しい東京駅地下道を使って美術館にたどり着いた。

中学生の頃からサルバドール・ダリや横尾忠則の画集を買っていた変人の我輩だが、あまり系統立てて抽象画を鑑賞していない。昨年は、東京国立近代美術館で開催されていた抽象絵画の巨匠・ドイツ最高峰の画家と称されているゲルハルト・リヒターの「大個展」に行ってきたのだが実に退屈だった。やたら長いキャプションを読まないと、何を表現したいのかも分からない絵画ばかりだからだ。ということで、抽象画にリベンジすべく「ABSTRACTION展」に行ってみたのである。

で、結論から言うと「面白かった」。日本人が大好きな印象派の画家たち、セザンヌ・マネ・モネ・ゴッホから、フォーヴィスムのマティスや人気の無いキュビスムのピカソを経て、次第に抽象画に移っていく。年代を追ってこれらを鑑賞していくと、あら不思議。具象的モチーフが皆無の抽象的な表現方法の登場が、必然に思えてきてしまう。この流れでリヒターの巨大絵画を観ると、面白い表現だなとも思ってしまったのだ。

ま~ようするに、画家たちは過去から連綿と連なる膨大な絵画を鑑賞してきているので、できるだけ他人と違うユニークな絵画を描こうとして、様々な実験的手法を模索してきたのだ。初めのころは、美しい自然をキャンバスに写し取るだけだった絵画は、画材の進化や写真の登場によって、様々な表現方法を駆使することで画家の個性をキャンバスに表現したのだろうな。などと、徒然なるままにイニシエの画家たちに想いを馳せながら帰途に就いたのであった。

■アートとは何か?

【その2】アート思考はビジネスに役立つ   2022/09/10

出展:谷田部卓(著)MdN社「未来IT図解 これからのAIビジネス」

変化の速度が遅い時代では、事実ベースのロジカルシンキングは確かに有効でした。しかしダイナミックに動く現代では、大量かつ変動する事実を、正確に把握しようとしても困難です。ソフトウェア開発が、仕様をきちんと決定してから開発するウオーターフォール開発から、試作を繰り返すアジャイル開発に変わっていったのも同じ理由からでした。

このデザイン思考は、次第にビジネスの世界で普及してきています。サバイバル競争において、さらに差別化をするためには次の手が必要です。私はこの図にあるように「アート思考」だと思っています。せっかく経験と勘から理性的・論理的になったのに、また非論理的な世界に戻るのか、という批判が聞こえそうです。しかし、決してそうではありません。ロジカルシンキングができて、創造性もあるうえでの美学であり美意識です。価値観が多様化し移りゆく現代社会では、判断するための基準で迷うことが多くなりました。大企業で不正経理や品質問題など不祥事が頻発しているのは、判断を他人任せにしているからです。美意識があれば、自ら判断できるのです。

前述の文章と図は、我輩が先駆的ビジネスパーソン向けに2018年に書いて、MdN社から出版した「未来IT図解 これからのAIビジネス」という書籍からの抜粋だ。当時からデザイン思考という言葉が流行っていたが、アート思考という言葉はなかったはず。少なくとも我輩は知らなかったので、アート思考という言葉は我輩の造語だと思っている。別に我輩に先見の明があると言っているわけではなく、2017年に出版された山口周(著)「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか? 」に触発されたものでしかない。ベストセラーとなった末永幸歩(著)「13歳からのアート思考」は2020年出版だから、拙著の2年後の出版だ。またイェール大学で開発された「絵画観察トレーニング」を紹介した神田房枝(著)「知覚力を磨く──絵画を観察するように世界を見る技法』も2020年出版。

とにかく、これからのビジネスパーソンならデザイン思考はもちろん、リベラルアーツを身に着けてアート思考にまで達しないと、過酷な生存競争に勝てないぞと煽っているのだ。まぁ本音は、理由はどうあれ多くの人がアートに興味を持ってもらいたいと思っただけなのだが。

それにしても、人工知能の本なんぞを書いている我輩の周りは、エンジニアばかりなのだが、大半は一般教養がない。美術館に行ったことがある人は皆無で、文学を語れる人も少数派だった。これは年代に関係がなく、老いも若きもゲームかアニメ、もしくはスポーツが趣味だ。別にこれらの趣味は我輩も好きなので否定するつもりは全くないのだが、興味の範囲が狭すぎる。マネ・モネ・ルノアールの印象派が大流行していた頃、中学生の我輩が初めて買った画集がサルバドール・ダリで次が横尾忠則という変態ぶりだ。高校生になると運動部だったのだが、高校の図書館の年間貸出記録ホルダーを持つ乱読派でもあった。

しかしインターネットだのメタバースだのと騒がしい時代に、一般教養などという言葉は時代錯誤かもしれない。アニメとゲームで育った世代にとって一般教養があるとは、「ウマ娘 プリティーダービー」や「刀剣乱舞」のキャラクタの知識の量なのかもしれないな。

もっとも現代の日本では、一般教養というカビの生えた言葉だと流行らないので、「リベラルアーツ」という言葉を持ち出してきている。前述のイェール大学「絵画観察トレーニング」でもリベラルアーツの重要性を説き、絵画を集中して鑑賞することで「知覚(perception)」が磨かれ、クリエイティビティやイノベーションにもつながるとしている。先行きの不透明な時代では、論理思考ではなく知覚力が必要だといっているので、前述した拙著の図版にあるデザイン思考からアート思考へ、と同じ考え方となっている。我輩は「知覚」ではなく「直観」という言葉を使っているが、意味することは同じだろう。

ということで、ここでの我輩の結論は、アート鑑賞はビジネスの役に立つということなのであった。しかし「その1」ではアートの価値は精神的豊かさを与えてくれると書いたのに、ビジネスの役に立つという経済的有用性を強調したのでは矛盾ですかな。

【続く】

■アートとは何か?

その1】アートは役に立つのか? 2022/08/20

しかし「アートが役に立つのか?」などというタイトルでは、アーティスト連中に喧嘩売っているようなもんだな。コロナ禍の中で、政府から「不要不急の外出は控えろ」と言われて、あらゆるコンサートや劇場、美術館などでのイベントが中止に追い込まれ、多くのアーティストたちは、自分の存在意義まで見失ってしまっていた。芸術活動は、社会にとって実は不要不急だったのかと・・・

洋の東西に関わらず、芸術が花開くのは裕福で芸術に理解があるパトロンが存在しているからだ。社会が豊かでないと、娯楽や芸術にまでお金が回ってこないのは確かだろう。ハプスブルグ家の庇護がなかったら、モーツアルトやベートーベンたちの偉大な交響曲は生まれなかったし、茶会を茶道として大成させた千利休は天下人である豊臣秀吉の側近だったからだ。

しかしハプスブルク家がフランス革命によって滅亡してもクラシック音楽は未だに活況で、豊臣家が没しても茶道は連綿と引き継がれている。一度誕生した芸術は、たとえ直接何かの役に立たなくても、数世紀もの間生き永らえることができるのだ。なぜだ?美意識か?

日本は、いつのまにか先進国の中でも貧乏国に成り下がってきたが、それでも過去の栄華による膨大な資産があるので、伝統文化はまだまだ生き永らえている。時の権力者が好んだ完成された様式美の「能」、大衆が熱狂した変幻自在の「歌舞伎」、世界でも人気の「浮世絵」「大和絵」「着物」等など。第二次世界大戦に敗れて、日本中が焼け野原になり、国民の大半が飢餓状態になっても、伝統文化・芸能はしぶとく生き残った・・・。


そもそも、「役に立つ」ものだけが残り「役に立たない」ものは消える、という前提が間違っている?それとも芸術・アートは「役に立つ」ものなのか?はたまた、役に立つ/立たない、という単純な2項対立という設定、現代人の悪癖が悪いのだろうか。

役に立つ=有用性=功利(utility)だが、19世紀の学者ベンサムの学説・功利主義(utilitarianism)では、人間の行為の善悪は、その行為の結果としてもたらされる功利によって決定される、と説いた。イギリスの社会思想家ジョン・スチュアート・ミルは、功利主義における幸福や快楽とは、肉体的・即物的快楽だけではなく精神的・知性的な効用のことも含めて「快楽」とした。これが、まあ俗にいう「太った豚よりも痩せたソクラテスになれ」という言葉になるのだが。

最初の話から横道に逸れてきてはいるが、「役に立つ=有用性」には昔から精神性も含まれていると考えられているようだ。この学説に従うと、「アート・芸術は人々に精神的豊かさを与えてくれるので役に立つ」ということになるな。まぁ健全な考え方だが、日本語で「功利主義」と言ってしまうと、徹底した即物的利益の追求のように聞こえてしまう。特に現代の「出来るビジネスパーソン」は、物事の価値判断を「経済的価値」という単純な価値基準でしか判断しないので、経済的価値のないアート・芸術は役に立たない、となってしまう。特にどこの馬の骨か分からないような新人作家のモダンアートなんぞに、価値があるとは思わないだろう。しかし高名な評論家や画廊が推薦したとたんに、市場価格を勘案した取引価格で扱うはずだ。モダンアートの価値は、誰がどんな人物が描いたか、誰が推薦したか、どんな賞を受賞しているのか、人気があるかなどで決まり、作品そのものが内在しているはずの美的価値とは無関係なのだ。

しかし自分で書いていて、実に情けない考え方だと思うのだが、現実にはこんなもんだろう。アーティストは霞を食って生きているわけではないので、どうしても自分のアート作品をマーケットで売らなければならない。このためマーケットが望む嗜好に寄り添うことになり、似たようなポップなカラーのアニメ調イラストが増殖していく。やがて「Midjourney」「DALL-E 2」のような画像生成AIの普及によって、アニメ調のポップアートが大量生産・大量消費され、イラストレーターという職業は消滅していく・・?

【続く】

■画像生成AI「Midjourney」のインパクト   2022/08/14

今年の8月に発表されたばかりのアメリカ製の画像生成AI「Midjourney」が、爆発的に流行っている。上の4つの画像は、我輩が早速利用して生成したものだ。まだ使い勝手が分からず無料のβ版を使ったので、クオリティの低い画像しか生成できていない。それでも半日程度調べて、欲しい画像の単語を入力するだけで、このような画像を1分で生成してくれたのだから恐れ入る。ちなみにこれら画像は「未来の東京に立っている巨大ロボット」や「花にとまる蝶」などの指定だ。俗にこの指定コマンドは「呪文」と呼ばれている。

無料版は回数制限があるので、それほど試行錯誤できないが、月額10ドル程度支払えば数百回の画像生成が出来るので、世界中の人々が競ってクオリティの高い面白い画像を大量に生成している。あまりにクオリティが高い画像を得られるので、プロのイラストレーターが描いたものと区別ができないほどだ。著作権は利用者にあり有料版なら商業利用もできるので、最初はプロのイラストレーターがアイデア出しのツールとして利用するだろうが、すぐにイラストレーターに依頼する側のクライアント自らこのツールの利用を始めるだろうな。β版なので使い勝手や機能がマダマダなのだが、AIの世界では数か月もあれば急速に進化できるはずだ。

それにしても、AIというかディープラーニングを利用したGANを代表とする画像生成技術は、数年前から脚光を浴びていた。それが人と会話ができるGPT3のような高度な自然言語処理技術と融合させることで、一気に進化したようだ。創作はAIが唯一できない領域だと思われてきたが、ユニークな画像を瞬時に生成してくるこのツールを見せつけられると、人間の持つ創造性とやらも、こんなもんかと思えてくる。

このMidjourneyは、原理的には膨大な量の教師画像を学習しており、指示コマンド(言葉)に近い候補画像を複数選び、その画像に近似した画像を生成していると思われる。だから教師画像にない言葉だと、どうしてもクオリティは下がる。しかも画像生成に乱数を使っているはずなので、同じコマンドでも毎回違う画像を出力してしまう。このMidjourneyが得意とする画像は、ファンタジーやホラー、怪獣やロボットのような現実にない分野、しかもダークな雰囲気を得意としている。これは学習させた教師画像の多くが、ダークファンタジーのコミックやゲームのイラストが多かったかだろう。アニメファンが喜びそうな教師画像を大量に投入することで、人気を得ようとした作戦は成功しているように思える。しかし我輩が期待した「蝶」のリアルの画像は、やはりどうしても出せなかった。

このMidjourneyと同じような画像生成ツールは、OpenAIが「DALL-E 2」のベータ版を既に発表している。この出力画像も素晴らしく、アニメーターが不要になるレベルのクオリティになっていた。ユーザーにとっては喜ぶべきことだが、プロのイラストレーターやアニメーターにとっては脅威のテクノロジーとなる。このような画像生成AIは、数千万枚にも及ぶ莫大な量の既存のイラストを学習することで、「新しい」イラストを自動生成するが、学習画像の「利用料」は支払っているのだろうか?もしネットでスクレイピングして画像を収集していたとしたら、イラストレーターたちから集団訴訟を起こされることになるだろうな。


Independent Tokyo 2022出展記 2022/8/10

8/6(土),8/7(日)に竹芝で開催されたモダンアート展示即売会Independent Tokyo 2022に出品した。180名のアーティストが参加した大規模なアート展で、朝から大勢の観客が訪れて盛況である。2日間で数千名の来場者があったようで、終日ほとんど座る間もなく自分の作品の説明をするような状況。この展示会は初参加であったが、購入希望者も複数いて好評であった。

洋画や日本画の世界では画家の大半が高齢者で私は若手になってしまい、観客も高齢者ばかりだ。しかし、このモダンアートの展示会に行くと、アーティストは若者ばかりで私が高齢者となり、観客も子供づれが多くにぎやかな展示会でである。

モダンアートでは、その技法や表現媒体はそれこそなんでもありなので、非常にバラエティに富み刺激的。180名のアーティストが参加していたが、ひとつとして似たような作品はなく個性的な作品ばかりなのであった。

伝統的な油絵や日本画の世界だと、その技法や大きさまで制限があり、作品のモティーフも限られてしまう。そのため最近、大規模な美術展に行くと、どれもどこかで見たことがあるようで、退屈になってしまう。もちろんこれは個人的感想なので、現実には古典的絵画のほうが人気があるのだが

このようなアート展に参加して楽しいことは、様々なアーティストたちと技法やモティーフについて語れることにある。しかしアート制作だけで生活が成り立つ人はほとんどなく、数か月かけて制作したアートでも、数万円から数十万円で売るしかないため、正業がないと生活できない人が大半であろう。洋画・日本画の画家が高齢者ばかりなのも、年金生活になってやっと時間の大半を好きな絵画制作に費やせるようになるからかもしれない。日本のアートマーケットが、世界的に見て非常に低価格なのが、その根本にあるのだ。日本の作家の作品を海外に持っていくと、けた違いに高く売れることが多い。海外に進出できるような作家しか生き残れないのがモダンアートの現実なのだ。