田んぼ染め・発祥の謂れ
トンネル抜ければそこはまさに自然の宝庫、この地に祖先が遺した
「田んぼ染め」これを復活し後世に残す事は、縁人の大切な使命です。
泥染め(黒染め)の歴史
奄美を発祥とする大島紬の染色技法は、千三百年以前にさかのぼり
我が国の「泥染め」方法により作られた代表的な染色織布なのです。
釣部「田んぼ染め」は藩政期に柴野美啓が記した地誌「亀ノ尾の記」の
釣部の項に「釣部の黒染めは、けんぼうよりも強い」とある。
けんぼうとは慶長(一五九六―一六一五年)の頃、京都で生まれた染め
で生地を染める染料の“乗り具合”が強いことで知られていた。
そのけんぼうより釣部の泥染めは染料の乗り具合が良かったのだろう。
加賀のお国染めの中で「幻の黒染め」と言われてきた染物が、釣部町の
「田んぼ染め」であり、唄・踊り、共に再現されており地域の宝として
保存、伝え残す大切な伝統文化財です。
尚、再現には皆様のご協力とご支援を賜り、心より感謝申し上げます。
令和二年吉日
田んぼ染め保存会一同
石川県・地域文化活性化事業
亀の尾の記巻十一
○釣部村
河北郡山王坂を登り、少しく往けば追分あり、碑立つ。左
は車村七面道なり。又右ヘ入りて少しくゆけば追分にて、
右は二俣への道、左へ下れば二俣川つゞきの谷にして、釣
部村なり。釣部の黒染とて染物をす、けんぼうよりは強し
と云ふ。寺屋敷並に古墳あり。今の松任一向宗聖興寺跡な
り。舘跡あり、斎田何某持城と云ふ。此家臣の筋目といふ
家、今二・三軒あり
○権殿の森
北方村領にして、上に小祠あり。小高き山なれども松樹茂
り、いづくよりも能く見えたり。魔所なりとて恐れしに、
近年松を蘯く伐り蘯したり。其跡今亦松生じてやゝ長じた
り。此地尾山に佐久間盛政在城の時、牧山何がしを置くと
云ふ。又賽官坊といふ寺も在りしと云ふ。長屋谷続きに、
花の尾・蛇尾といふ谷あり。・・・など々(一部抜粋記載)
※柴野美啓(?~1847)江戸時代後期の和算家・測量術
加賀金沢藩の地理古墳の調査官。 著作「亀廼尾廼記」
出版者・石川県図書館協会 昭和七(インターネット調)