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1.3次元曲面を持つグラフェンの電子物性の研究

河合塾【みらいぶっく〜学問研究紹介】に3Dグラフェン研究の紹介が掲載されました。【リンクはこちら

グラフェンの研究について以下の日本語の解説を出版しています。

1. 田邉洋一,伊藤良一化学(化学同人) 78, 40-44 (2023).リンクはこちら

2. 田邉洋一,伊藤良一,菅原克明,固体物理(アグネ技術センター) 59 (4), 185-198 (2024). 【リンクはこちら

 グラフェンは、炭素原子が蜂の巣格子状に結合した2次元のシート物質です。鉛筆の芯やリチウムイオン電池の負極など我々の日常生活の様々な場所で使われるグラファイトいう炭素の層状物質の1層を取り出すとグラフェンが得られることが知られています。2003年のNovoselovとGeimらによるグラフェンの実験的な発見を契機として、炭素の原子層物質の様々な性質が明らかになり、グラフェンを舞台とした様々な物性研究や実用デバイスを目指した応用研究が現在も盛んに行われています。
 グラフェンに代表される原子1個分の厚みで特徴づけられる原子層と呼ばれる物質の性質を、従来の3次元の半導体や金属物質と直接比較することは難しいのですが、我々が日常的に使用している3次元の金属や半導体物質をグラフェンと同じ厚みまで薄くしたと考えてその性質を比べてるとグラフェンの優れた性質が見えてきます。グラフェンは、鋼鉄なみにしなやかな機械的な特徴を有し、化学的に安定な特徴を持つことから自由に形状を加工することが可能で.物性は,例えば電気伝導度や熱伝導度貴金属並みの高い値を示します。さらに窒素などの異種元素をグラフェン格子内に組み込むつまり化学ドーピングすることで炭素と化学ドーパントとの結合状態に依存した電荷移動や多様な局在準位の形成が起こり電気伝導率の変調や化学的に活性な電子状態を作り出すことが可能となります。このような高い性能を有する2次元のグラフェンシートを利用した様々な実用デバイスが考案されており、一部はすでに実用化されています。一方で単純にグラフェンの面積に比例して性能値が増大する場合グラフェンの集積化がデバイスの高性能化に有効でです。これを実現する手法として、立体的な曲面構造を利用してグラフェンを立体化する手法が考案されており、実験的な研究が進められています。しかし、3次元の曲面を持つグラフェンはどのような性質を示すのか?2次元のグラフェンと同じ特性なのか?という極めて根本的な問題はこれまでよく分かっていませんでした。我々は、正負のガウス曲率を持つ曲面の形成に必要な炭素の5員環や7員環を含む立体的なグラフェン曲面が3次元のネットワークを形成している3次元ナノ多孔質グラフェン[1] という物質を舞台として、3次元のグラフェン曲面のもつ様々な性質について研究しています。
 グラフェンの電気伝導を担う電子状態は、固体中のディラック電子と呼ばれる電子状態です。ディラックにより提唱された相対論的粒子の性質を表すディラック方程式において、粒子の静止質量をゼロとした場合と同様な関係が、グラフェンに存在することが知られています。この特殊な粒子は、不純物にぶつかっても後方に跳ね返されない性質を持ち、物質中を高速で動き回ることから、グラフェンの優れた電子物性の起源といえます[2]。したがって、このような粒子が3次元のグラフェン曲面上に存在するのか?3次元の曲面上をどのように動き回るのか?という点は、曲面を舞台としたグラフェンの性質の理解と応用に向けて核心的な問いとなります。我々は、3次元のグラフェンが持つディラック電子の電気伝導特性を明らかにすることを目的として研究を行っています。
 窒素を化学ドープした3次元ナノ多孔質グラフェンでは、平面上のグラフェンに比べて触媒活性点の総数を増大させることが可能であり、酸素還元反応や水素発生反応などで優れた触媒特性を示すことが知られています[3,4]。しかし、3次元曲面への化学ドープによりどのような電子状態が実現しているのか、異なる曲率半径を持つ領域が連続的につながったグラフェン曲面上にちりばめられた触媒活性点にどのように電荷を供給しているのかという基本的な性質は明らかになっていないことから、これを明らかにすることを目的として研究を行っています。これまでの主要な研究成果を以下に紹介します。

(1) 3次元ナノ多孔質グラフェン 電気2重層トランジスタの開発と両極性の電気伝導の観測

"Electric properties of Dirac fermions captured into 3D nanoporous graphene networks",
Yoichi Tanabe, Yoshikazu Ito, Katsuaki Sugawara et al., Advanced Materials (Wiley-VCH) 28, 10304-10310 (2016). リンク

 3次元の半導体物質の電子状態は、価電子帯と伝導帯という電子を詰め込むことができる箱(バンド)のうち、価電子帯に完全に電子が詰まった状態です。価電子帯と伝導帯の間には、バンドギャップと呼ばれる電子が存在できないエネルギー帯が存在します。トランジスタを用いて、この電子状態に対して電子の出し入れを行うことで、電気が流れない状態と流れる状態と切り替えることが可能であり、半導体を利用した電流のスイッチングと論理回路に広く使われています。一方、グラフェンでは、価電子帯と伝導帯がディラック方程式に従って、円錐状の形状をもち、円錐の先端同志が1点で接続するため(ディラックコーン)、バンドギャップが存在しません。このため、グラフェン用いて電界効果トランジスタを作製し、電子の出し入れを行うと、電流が流れない状態を経ることなく価電子帯と伝導帯を連続的に行き来することができる両極性の電気伝導と呼ばれる性質を示します。3次元曲面を持つグラフェンでは、酸化物を利用した個体ゲート方式のデバイスの代わりに、3次元の内部空間に電解質やイオン液体を注入して、電気2重層トランジスタと呼ばれるデバイスを作製して、電子の出し入れを行うことが考えられてきましたが、複雑な内部空間にむらなく液体を浸透させて、一様に電荷の出し入れを行うことはこれまで実現できていませんでした。我々は、3次元ナノ多孔質グラフェンを作製する際に、超臨界流体を利用して乾燥させることで、3次元の曲面構造をきれいに保つことができる技術に着目し、この手法を用いて作製した試料の内部空間にイオン液体を注入したトランジスタを作製しました。トランジスタの伝達特性からは、ゲート電圧に対して、電気伝導度が極小を経て価電子帯から伝導帯に連続的に接続し、電荷を輸送するキャリアの符号が、電気伝導度が極小を示すゲート電圧で反転することを観測しました。さらに、ゲート電圧に対する量子キャパシタンスの測定からも、電気伝導度が極小を示す点で状態密度が極小を示すことから、質量ゼロのディラック電子の価電子帯と伝導体の接点で、電気伝導度の極小とキャリアの符号反転が同時に起こる両極性の電気伝導を観測したと結論しました。

(2) 3次元ナノ多孔質グラフェンの弱反局在と3次元曲面が発するゲージ場による電子散乱効果の観測

Dirac Fermion Kinetics in 3D Curved Graphene ”,
Yoichi Tanabe*, Yoshikazu Ito, Katsuaki Sugawara et al., Advanced Materials (Wiley-VCH) 32, 2005838 (2020).リンク

 グラフェンのディラックコーンには、通常の半導体の電子にはない量子力学的な位相(πのベリー位相)の効果によって、後方に散乱される電子の振幅が消失する特殊な効果が存在します。πのベリー位相の観測には、グラフェンの2次元面に垂直に磁場を印加した状態での電気伝導率測定から、半整数の量子ホール効果観測することや、シュブニコフ-ド・ハース振動の位相解析用いられます。一方で、3次元のグラフェン曲面に一様に垂直磁場を印加することは現実的に難しいことから、異なる手法を用いた観測が必要になります。通常の2次元電子系では、電子の非弾性散乱確率が不純物ポテンシャルによる弾性散乱の確率よりも十分に低い低温領域において、幾つかの不純物との散乱を経て電子が後方に散乱される場合に、時間をさかのぼるように逆過程をたどる時間反転対称な散乱過程との干渉により、電子の後方散乱確率が増大する弱局在が起こります。一方で、グラフェンでは、1つのディラックコーン内でのみ電子散乱が起こる場合に、時間反転対称な2つの後方散乱過程の干渉にπのベリー位相の効果が加わることで、後方散乱が抑制される弱反局在が起こります。このとき、磁場を印加すると、アハラノフ・ボーム効果により位相がずれる効果が生じ、弱局在・弱反局在がともに抑制されます。弱局在では、特徴である電気伝導率がlogTに比例する振る舞いが抑制され、弱反局在では、電気伝導率がlogTに比例する振る舞いが増強されることからこれを観測することがカギとなります。我々は、3次元ナノ多孔質グラフェンの低温の電気伝導度がlogTに比例することに着目し、0Tから15Tの定常磁場を印加した状態で電気伝導度の温度依存性を詳細に測定した結果、弱反局在による電気伝導度のlogT成分の磁場に対する増大を観測しました。3次元のグラフェン曲面がπのベリー位相を有することを示した初めての結果です。
 グラフェンを3次元的に曲げて曲面を形成するには、グラフェンを曲げるための表面張力に加えて、六角形の蜂の巣格子に炭素原子を1つ加減した5員環や7員環といったトポロジカル欠陥の存在が不可欠です。このような表面張力とトポロジカル欠陥によりグラフェンを3次元的に強く曲げると、前者の効果によっては、グラフェン曲面上を電子が走ると、まっすぐに進まずに勝手に軌道がそれるような効果が、後者の効果では、トポロジカル欠陥の周りを電子が周回するだけで、グラフェンに存在する2つのディラックコーンの片方に存在した電子が、もう片方のディラックコーンに遷移することが予想されており、これらに由来した後方散乱が起こるため、曲率の増大によって、弱局在が増幅されることが期待されます[5,6]。我々は、3次元ナノ多孔質グラフェンのグラフェンの曲率半径は1000nmから25nmの範囲で変化させた場合に、50nm-150nm程度までは、弱反局在が強く表れることからベリー位相による低散逸な電気伝導が支配的となるが、25nm-50nmの領域では、後方散乱の増大により弱局在が支配的になることから、グラフェンを強く曲げると、曲面由来のゲージ場による電子散乱効果により、ベリー位相による低散逸な電気伝導が抑制されることを実験から明らかにしました。これらの結果は、グラフェンが本質的に持つ量子力学的な位相が3次元の曲面上でどのように変調されるのかを実験から示したことに加えて、グラフェンの集積化という観点で、グラフェンの性質を保つことができる3次元曲面の曲率を明らかにしたという点で、集積化グラフェンの性能指標といえます。

(3)窒素ドープ3次元ナノ多孔質グラフェンにおける局在電子状態のアーバックテールとディラック電子による遍歴電子状態の共存の観測

"Coexistence of Urbach‐Tail‐Like Localized States and Metallic Conduction Channels in Nitrogen‐Doped 3D Curved Graphene",
Yoichi Tanabe*, Yoshikazu Ito*, Katsuaki Sugawara, Samuel Jeong, Tatsuhiko Ohto, Tomohiko Nishiuchi, Naoaki Kawada, Shojiro Kimura, Christopher Florencio Aleman, Takashi Takahashi, Motoko Kotani, Mingwei Chen*,., Advanced Materials (Wiley-VCH) 34, 2205989 (2022). リンク

 3次元のグラフェンの曲面に窒素を化学ドープすると、トポロジカル欠陥付近の曲率の高い領域に窒素が選択的にドープされることで、局所的に曲率を低減する効果がDFT計算から示されており、電子エネルギー損失分光を利用した局所電子構造解析からも曲面部分に高濃度の窒素が存在することが分かっています[7]。このようなある意味で不均一な化学ドーピングにより、曲率の高い領域では、高濃度の窒素ドープにより、窒素の不純物電子準位が曲面のひずみと結合することで、アーバックテールと呼ばれる局在電子準位の状態密度のなだらかなテールが、電子の最高占有準位であるフェルミ準位近傍に形成されることを、光電子分光と電気2重層トランジスタを利用した磁場中の電気伝導度の解析から観測しました。平面上のグラフェンへの窒素ドーピングでは表れない3次元のグラフェン曲面に特徴的な電子状態です。これに加えて、低温の電気伝導物性の解析から、ディラック電子に由来する遍歴的な電子状態が同時に存在することが明らかになりました。3次元ナノ多孔質グラフェンにはチューブ状の比較的平坦な領域が存在し、この領域への窒素のドーピング量が少ないことから、この領域において元のグラフェンの性質が十分に保たれている理解することができる結果です。このような、局在電子と遍歴電子が共存した電子状態は、集積化された大面積のグラフェンを電極触媒として利用するうえで有利な特性を持ちます。窒素の不純物準位に由来する局在電子は、吸着した反応分子に受け渡されることで化学反応に使用されます。したがって、高曲率領域に存在する高濃度の窒素は、化学反応用の触媒電子をグラフェンから絞り出す蛇口のような機能を持っているといえます。グラフェンのディラック電子による遍歴電子状態を組み合わせて利用することで、3次元のグラフェン曲面上に存在する触媒反応点の隅々まで、低い電力損失で、電子を供給することが可能であることが分かりました。

[1]  Y. Ito, Y. Tanabe, H.-J. Qiu, K. Sugawara, S. Heguri, N. H. Tu, K. K. Huynh, T. Fujita, T. Takahashi, K. Tanigaki, and M. Chen: Angew. Chem. Int. Ed. 53, 4822 (2014).
[2] Tsuneya Ando, Takeshi Nakanishi, and Riichiro Saito, J. Phys. Soc. Jpn. 67, 2857-2862 (1998).
[3] Y. Ito, H.-J. Qiu, T. Fujita, Y. Tanabe, K. Tanigaki, and M. Chen, Adv. Mater. 26, 4145 (2014).
[4] Y. Ito, W. Cong, T. Fujita, Z. Tang, and M. Chen, Angew. Chem. Int. Ed. 54, 2131 (2014).
[5] K. Sasaki and R. Saito, Prog. Thor. Phys. Suppl. 176, 253 (2008).
[6] K. Sasaki, Y. Sekine, and H. Gotoh, Phys. Rev. Lett. 111, 116801 (2013).
[7] A. Dechant, T. Ohto, Y. Ito, M. V. Makarova, Y. Kawabe, T. Agari, H. Kumai, Y. Takahashi, H. Naito, and M. Kotani, Carbon 182 ,223 (2021).