*11月・12月・1月・2月の予定詳細を掲示しました。*11月・12月・1月・2月のコース概要を掲示しました。
① 高梁市観光駐車場から本町通りの商家資料館(池上邸)に歩き見学後、城下町通りを川沿いに中州橋(遊歩道入口)まで歩く、遊歩道は一部足元が悪いが休みながらふいご峠駐車場まで上がりトイレ休憩する。
休憩後再度遊歩道に戻り中太鼓櫓跡から三の丸手前で最後のトイレを終わりしだい、二の丸まで登りそこで食事・休憩する、休憩後は本丸から天守に上がりその後二重櫓を裏側(東側)から見学します。
② 下山は二の丸から自動車道をふいご峠駐車場に下り、トイレ休憩後遊歩道を通り中州橋(遊歩道出口)から武家屋敷通りを歩き紺屋川美観地区の藩校有終館跡を見て最後に観光物産館に寄り駐車場に帰る。
③ 備中松山城は1240年に有漢郷の地頭秋庭三郎重信により臥牛山の大松山に砦を築いたことに始まる、その後小松山に移り、城の縄張りは時代とともに変化したが1574年には「砦二十一丸」と呼ばれ臥牛山全域が一大要塞となっていた。天空の城塞「備中松山城」は小松山の山頂(標高430m)を中心に築かれた近代城郭を指し、天守の現存する山城としては唯一の存在です。 現存する天守などは1683年に水野勝宗に寄り改築され、天守、二重櫓、土塀の一部が現存し昭和25年「国指定重要文化財」になっています。
「ゆる抜き」(放水)で有名な豊稔池堰堤より、三色もみじの寺として有名な法泉寺まで豊稔池の周りを歩いた後、拝観します。その後、金見山及び大谷山の登山口である唐谷峠まで移動します。登山口より一般コースとゆっくりコースに分かれて金見山と大谷山に登ります。
【一般コース】最初に金見山に登った後、登山口へ戻り、大谷山へ登り登山口へ戻るコース。
登山口から急坂を登り根尾根沿いにアップダウンを繰り返し唐谷山、天狗森を経て切山越に到着します。切山越からは防火帯の中の道を進み、木峰を経て金見山に到着します。金見山の山頂で休憩・昼食の後、登ってきた道を木峰、切山越から北西に伸びる尾根道を天狗森、唐谷山を経て大谷山を見ながら急な坂を下り唐谷峠・登山口まで戻ります.
次に、唐谷峠・登山口から、大谷山遊歩道の石碑から尾根沿いに整備された遊歩道を行き、防火帯広くなると大谷山山頂に到着します。帰路は金見山やこれまで越えてきたピーク、雲辺寺山を眺めながら登ってきた道を引き返します。
【ゆっくりコース】大谷山に登った後、金見山の途中の天狗森まで進み、登山口へ戻ルコース。
大谷山山頂への道は概ね尾根沿いに整備された遊歩道で途中に休憩所もあります。登り下りを繰り返すと山頂に到着します。山頂登山口や休憩所からは燧灘,伊吹島、観音寺市市街地、四国中央市の製紙工場などの眺望が広がっています。山頂で休憩・昼食を済ませて、上ってきた道を登山道入口へ
引き返して、道路を横切り金見山方面に向かいます。しばらく急坂がありますが、登り下りを繰り返して唐谷山を経て、天狗森のピークに出たところで、登山口に引き返します。
注意事項:トンネル内は照明がなく、足元を照らす懐中電灯を持参してください。
JR福知山線の廃線敷(武庫川渓谷)を歩きます。廃線敷入口から歩行開始です。
名塩川橋梁、姥ヶ懐川橋梁を渡り武庫川渓谷の自然美を楽しみながら歩きます。北山第1トンネルを出ると右手に岩山が見え、第2トンネルを出ると武庫川の急流が広がります。溝滝尾トンネルを抜ける と第2武庫川橋梁。この鉄道橋は迫力があり見どころの一つです。更に北進すると展望広場・親水広場、ここで昼食を取ります。長尾山第2・第3トンネルを過ぎるとまもなく廃線敷出口が見え、ゴールの武田尾稲荷神社です。
【JR福知山線廃線敷】
兵庫県西宮市と宝塚市にあるハイキングコースで、1986年8月1日に福知山線の生瀬駅~武田尾駅間が新線に切り替えられたことにより廃止された旧線区間の線路跡です。
かつて機関車が走っていたJR福知山線廃線敷。武庫川の渓谷沿いに続く約4.7kmの廃線敷は、長らく立ち入りが禁止されていましたが、2016年に自己責任を原則としたハイキングコースとして一般開放されました。コース内には6つのトンネルや3つの橋など鉄道遺構が当時とほとんど変わらぬ姿で残っています。コースは平坦で桜や紅葉の頃には多くの人で賑わっています。
西教寺をスタートして、一般道を奥の院入口をめざして歩きます。奥の院入口からは道標に従って、整備された道を傍らの石仏を見ながら歩くと、奥の院に到着です。奥の院からは、木の階段を上がると火山遊歩道との分岐点に出ます。分岐点からは火山遊歩道の先端にある小さな・瓶盥(ビンダラエ)に到着、ベンチ・テーブル等が設置され、また、素晴らしい眺望が望めます。その後は来た道を折返し、火山登山口の前を取り過ぎて、林道を雨滝自然科学館めざして歩きます。科学館では昼食・トイレ等を済ませた後、雨滝山登山に向けて、一般コースは雨滝森林浴公園の登山口からスタートします。暫くは尾根を登るが中腹からは、急峻で設置されたロープ伝いに登ると、頂上・雨滝城跡に到着です。また、頂上の展望は北に津田湾・南西には長尾平野が見渡せます。頂上からは祠の前を西へ向けて下り、鉄製階段を降り左方向に折れ、車道をしばらく歩くと科学館が右方向に見えてきます。また、ゆっくりコースは科学館前の車道を左方向に緩やかな坂道を登り、中腹にある登山道入口への鉄製階段を登ると、10~15分程で頂上・雨滝城跡に到着です。頂上からは来た道を折返し、科学館まで帰ります。到着後は科学館見学・トイレ等を済ませて、帰途につきます。
【西教寺・西教寺奥の院】
開祖は行基菩薩、のちに弘法大師が逗留した折に堂宇を建立した。また、奥の院の崖に彫刻された磨崖仏の薬師如来像は弘法大師が刻んだと言われている。
【瓶盥(ビンダラエ)】
昔、土佐の長宗我部元親が雨滝城を攻めた時、合戦が終って、疲れた兵士がここに来て頭の鬢(びん)を洗ったと言われている。それで人々は、この火山の頂上にある穴(池)を「ビンダラエ」と呼ぶのだそうです。
【雨滝城跡】
雨滝城は長録年間(1457~60年)安富山城守盛長により築かれたが、天正11年(1583年)長宗我部元親の東讃岐侵攻によって落城した。
今回は、由加山の信仰と自然を感じながら、由加神社臨時駐車場から由加神社本宮と由加山蓮台寺を巡り由加山頂の展望を楽しみ、さらに妙見宮を経て上の町で、江戸時代の趣を残す石鳥居を見学、JR上の町駅迄下るハイキングコースです。参道の石段や山道を含みますが、整備された歩きやすい道が多く、歴史と自然の両方を楽しむことができます。
【由加神社本宮】
日本三大権現の一つ、厄除けの総本山として知られ、表参道から厄除けの石段が続いています。由加山は二千有余年の歴史を持つ神仏混淆の霊山です。古くから由加山と金毘羅さんの両方を参拝する「両まいり」が盛んに行われ、参道沿いは今も当時の風情が残っています
【由加山蓮台寺】
厄除けの霊山、岡山藩主の祈願所として参拝が絶えない。由加山は由加の権現様として名高く真言宗御室派の寺で別格本山の格式を戴いた古刹です。本尊に十一面観音をお祀りし、中国三十三観音霊場六番札所となっております。
「満濃太郎に神内の次郎、それに続くが三谷の三郎」と呼ばれる、三谷三郎池の北方向に位置する、日山(191.6m)に登ります。三谷三郎池周辺の古墳を訪ね、仏生山町のお地蔵さんを巡る、歴史と文化にふれながら歩くコースです。
ことでん仏生山駅で受付後、西に180mほどの仏生山駅前広場に移動し体操・周知をします。スタート後、仏生山裏参道「地蔵通り」を歩き、「人々の願いコース」の(延命地蔵や目病地蔵等)を訪ねながら、日山の北側登山口に向かいます。登山道は最初は緩やかな舗装道路で、サンマウンテンロードの看板から、よく整備された遊歩道を登ると、約30分で頂上に着きます。山頂は、東屋を兼ねた展望台があり、北側に展望が開け、高松市街地を一望できます。また、龍神を祀った石の祠もあります。山頂から、一般コースは小日山に向け、傾斜が急な岩肌を、スリップに注意しながら下り(ロープ有り)、小日山を過ぎると整備された道になり、三谷三郎池まで下山します。
ゆっくりコースは来た道を引き返し、6合目の階段が終わった所より西側登山口に下山し、舗装道路を道なりに歩くと、三郎池自然公園に着きます。ここで昼食を摂ります。その後、三谷石船古墳、矢野古墳を見学し、仏生山公園から、ことでん仏生山駅に向かいます。帰路は、「法然寺コース」のお地蔵さん(ほうろく地蔵、市田山地蔵、流田地蔵、川中地蔵に、道案内してもらいながら、ことでん仏生山駅に到着後、解散です。
【日山】
高松クレーター五座の一つ。よく整備された日山は、市民に親しまれ、毎日登山する人も多い。頂上には、三渓三郎の水の守護神として龍王社が祀られています。 【三郎池】
県内を代表するため池で、池の堤防と周辺は整備され、池の伝説にちなんだ“龍”の巨大なモニュメントが眼を引きます。また、三郎池周辺は遺跡の宝庫であり、多くの古墳が点在し、古くから文化が栄えていたことがわかります。
【三谷石舟石棺】
市内最大規模の前方後円墳で、国分寺町鷲の山の石材を用いた刳り抜き式石棺の棺身が露出しています。古墳時代中期・五世紀頃に造られたと推定されています。 【仏生山のお地蔵さん】
まちのいたる所で見かけるお地蔵さんは、道しるべだったり、子どもの成長を願ったり、お地蔵さんそれぞれに願いが込められています。
*金田一耕助が、「清音駅」に降り立ったのは昭和12年11月27日。
玉島にいた金田一耕助が倉敷駅から伯備線に乗り換え、事件解明のために降り立った駅です。
*「清音駅」を出ると、高梁川にさしかかり「旧川辺橋」を渡ります。金田一耕助も通った橋です。
*橋を渡り土手を下ると「川辺一里塚跡」があります。そこを右折し進むと「川辺本陣跡」「川辺脇本陣跡」の碑があり、その先の石の鳥居をくぐると「艮(うしとら)御崎(おんざき)神社(じんじゃ)」に出ます。
「脇本陣跡」は事件の周辺人物が滞在していた場所として登場しています。
*国道をくぐる地下道を抜けると「岡田村役場跡」まで長い直線道路になります。
作品のなかでは「岡一村役場」から「川一村役場」まで一直線に走る二間道路と紹介されており、作品が
書かれた当時も、ほぼ同じ道幅だったそうです。金田一耕助が事件捜査のために往復した道です。
「岡田村役場跡」は、村はずれにある「岡一村役場」として作品では描かれています。
*「岡田村役場跡」の真向かいは、作品では三本指の男が最初に足を止めた川田屋という一善飯屋があった場所です。
*突き当りを右に曲がり、すぐに左方面に進むと「濃茶のほこら」があり、八ッ墓村に登場する濃茶の老婆はこのほこらの名前です。
*少し進むと「横溝正史疎開宅」があり、今から約60年前に横溝正史が疎開中に家族と暮らした家が、当時のたたずまいのまま保存されています。ここで「本陣殺人事件」が生まれたと思うと、感慨深いものがあります。
*「横溝正史疎開宅」を右折し、途中左に曲がると「千光寺」に着きます。
「千光寺」は、「獄門島」で同名の寺が登場しています。
*「千光寺」から来た道を進み岡田大池を左に曲がると、途中「大池の弁天様」「真備ふるさと歴史館」があり、ここで昼食・トイレ休憩を取ります。さらに進むと「水車のあった場所(現在は(ポンプ小屋))に出ます。ここは、「本陣殺人事件」の舞台である一柳家があったとされる屋敷跡(今は竹林)です。
*屋敷跡を右折し、道なりに進むと「柳の木と休憩所」があり、さらに進むとゴールの「川辺宿駅」に到着します。