根本は計算物理学・統計物理学におけるアルゴリズム開発・数理解析をバックグラウンドに持ち、in vitroレベルからin vivoレベルまでの創薬・医学関連分野のデータ解析を統計的な観点から行なってきた。以下、1. 創薬関連アルゴリズム開発、2. 医療データ疫学解析、3.スパコンを用いた大規模数値シミュレーション、4. 創発に関する数理解析の研究例を紹介する。
図1. タンパク質スクリーニングアルゴリズム:ACIDES
遺伝性網膜ジストロフィーの中でも特に両アレル性RPE65遺伝子変異によるものをレーバー先天性黒内障と呼ぶが、その遺伝子治療薬としてLuxturnaが2017年にアメリカFDAから認可され、さらには2023年8月30日、日本でも保険適用治療薬として利用可能となった。この薬はアデノ随伴ウイルス-2(AAV2)をベクターとし、網膜色素上皮細胞のRPE65遺伝子異常を改善する。薬を投与するには網膜外層へ直接ベクターを導入する必要があるが、網膜外層への薬剤の導入は硝子体内注射よりも手間がかかり、また薬の適用範囲も限られている。こういった理由から新しい網膜遺伝子治療用ベクター開発が盛んに行われて来た。硝子体内注射によりウイルスベクターの網膜外層到達を妨げているのは内境界膜とされるが、このことに着目し、内境界膜通過に最適化されたAAV2を、ex-vivo人眼球を用いたタンパク質スクリーニング実験で開発する試みを、Institut de la VisionのDeniz Dalkaraらは行なってきた。ここでタンパク質スクリーニングとは、ランダムな遺伝的変異を与えたタンパク質をふるい分ける手法で、遺伝的変異によってタンパク質が受けた影響を調べたり、また新しいタンパク質を設計したりする目的で使われる。SARS-CoV-2受容体結合領域を調べるのにも使われたDeep Mutational Scanning法や、2018年度のノーベル化学賞の対象にもなったタンパク質設計手法である指向性進化法(Directed Evolution)も、タンパク質スクリーニングの応用の一つと見なせる。特に、一度に1兆塩基以上の配列情報を決定できる次世代シーケンシング(NGS)と併用することで、スクリーニング中のタンパク質に対して大量のデータを得て、機械学習を応用する研究が最近注目され始めている。しかし、次世代シーケンシングによる統計的な誤差は一般的に大きく、それがタンパク質スクリーニングに対して与える影響はよく知られていなかった。
そこで根本は、Deniz Dalkaraらと共同で、次世代シーケンシングによる統計誤差がタンパク質スクリーニング実験においてどのように伝搬されるかを研究した。PCR増幅などによって増倍される高分散なNGSノイズは負の二項分布によって統計的に記述できることが知られていたが、その統計モデルを、タンパク質スクリーニング実験の数理モデルと最尤推定法を使って組み合わせた(図1)。既存の複数のアルゴリズムと系統的に比較したところ、今までにない精度でタンパク質スクリーニング実験の評価が出来ることが明らかになった。提唱したアルゴリズムは、ACIDES(Accurate Confidence Intervals for Directed Evolution Scores)の名の下、一般に公開されている。
ACIDESを応用することで、指向性進化法の実験パイプラインをより正確に設計し、遺伝子治療法の分野を前進させるウイルスベクターの開発につながることが期待される。共同研究グループのDenis Dalkaraらは指向性進化法を使い、AAV2よりも感染効率の高いアデノ随伴ウイルス変異体(AAV2.7m8)を開発した実績も持つ。指向性進化法を用いてアデノ随伴ウイルスを改良する研究は盛んに行われていることからも、今後ACIDESが遺伝子治療の開発に大きな役割を果たす可能性が期待される。(実際に、Ex-vivo眼球指向性進化法データへのACIDES応用で、新しいウイルスベクターが同定され、現在その特許出願準備を進めている)。また近年、Deep Mutational ScanningなどのNGSを用いたタンパク質スクリーニングが、個別化医療やゲノム創薬でもますます注目を集めている。ヒトの細胞やオルガノイドを用いた研究により得られた実験結果をACIDESと組み合わせることで、疾患に関わるタンパク質のスクリーニングへの活用などが見込まれており、将来の個別化医療実現に向けて展開されることが期待される。本研究成果は、2023年に米国科学誌Nature Communicationsに掲載された。
T. Nemoto, T. Ocari, A. Planul, M. Tekinsoy, E. A. Zin, D. Dalkara, U. Ferrari, "ACIDES: on-line monitoring of forward genetic screens for protein engineering", Nature Communications 14, 8504 (2023) (open access).
Tommaso Ocari, Emilia A Zin, Muge Tekinsoy, Timothé Van Meter, Chiara Cammarota, Deniz Dalkara, Takahiro Nemoto, Ulisse Ferrari, "Optimal sequencing depth for measuring the concentrations of molecular barcodes", bioRxiv: 2024.06.02.596943 (2024).
ResOU – Research at Osaka University 「ACIDES:スクリーニング解析アルゴリズムの技術革新 」
図2. (A)フランス領ポリネシアにおけるデング熱感染者数、(B)データから推定されたForce of infection、(C)推定された患者数の感染回数の推移。
蚊によって媒介されるデングウイルスには四つの血清型(serotype)が存在し、抗体依存性感染増強(Antibody Dependent Enhancement)が起こる。四つの血清型の一つに一度感染すると、獲得免疫によりその血清型にはその後感染しなくなるが、他の血清型に感染する可能性は残る。抗体依存性感染増強とは、二度目に(他の血清型に)感染する際は、一つ目の血清型に対する抗体がどれだけ体に残っているかにより、以下の二つの典型的な振る舞いを示すことを指す:(i)もしも抗体の数が多い場合は、一つ目の血清型に対する抗体が二度目の感染を防ぐ(Cross protection)のに対し、 (ii)もしも抗体の数が少ないと(一度目の感染後、徐々に抗体の数は減っていき平均して約2年でこの状態になるとされる)、二度目の感染は一度目の感染に比べ症状が悪化し重症型デング(severe dengue)になる可能性が高まる。一度目の感染では軽症で、医療機関に掛からないことが多いため、抗体依存性感染増強を考慮に入れた疫学解析が重要である。特に、医療機関で観測されにくい、デング熱に一度だけ感染した人々がデング熱の真のリスクポピュレーションになるため、この数を見積もる疫学的解析が、今後起こり得るエピデミックの規模を予測するためにも不可欠である。
このため根本は、パスツール研究所のSimon Cauchemezらとともに、デング熱感染者の医療機関検査データから、医療機関に掛からなかった感染者数を推定する研究を行なった。特にフランス領ポリネシアのデング熱患者データを35年以上集めている研究チームと協力し、10,000件以上の患者データを解析した。解析手法として、上記の抗体依存性感染増強を考慮した数理モデルを、Force of infection(一度も感染していない人が単位時間あたりに新たに感染する確率)とともに導入し、ベイズ推定(MCMC)により統計誤差を考慮しつつデータにfittingさせた。この数理モデルには、感染回数ごとの患者数が変数として含まれるため、そこから目的の「一度だけ感染した患者数」を見積もることができる(図2)。本成果は2022年にPLOS Neglected Tropical Diseases に掲載された。同様の手法は牛のブルセラ症の疫学解析にも用いられている。
T. Nemoto, M. Aubry, Y. Teissier, R. Paul, V.-M. Cao-Lormeau, H. Salje, S. Cauchemez, "Reconstructing long-term dengue virus immunity in French Polynesia", PLOS Neglected Tropical Diseases 16(10): e0010367 (2022) (open access).
M. Ukita, N. Hozé, T. Nemoto, S. Cauchemez, S. Asakura, G. Makingi, R. Kazwala, K. Makita, “Quantitative evaluation of the infection dynamics of bovine brucellosis in Tanzania”, Preventive Veterinary Medicine 194 (2021): 105425 (open access)
図3. 管の中の流体の流れを再現したDNS数値シミュレーション。図のように乱流・層流転移点付近では局所化された流体領域(パフ)が現れ、このパフの消失、分裂の統計的振る舞いが転移点を決定する。
管の中に流体を流すと、レイノルズ数(流速と管径に比例し、流体の粘度に反比例する無次元量)の大きさに応じて、層流(乱れのない流れ)になるか乱流(乱れのある流れ)になるかが決まる。例えば人間の血流は大体が層流だが、レイノルズ数が大きい大動脈では乱流が起こり得る。従ってUT-Heartなどの心臓デジタルツインでは、乱流を取り入れたモデルが使われる。
レイノルズ数に応じて層流が乱流に移り変わる現象の理解(乱流・層流転移)は120年以上続く歴史の深い問題であるが、実際に乱流・層流転移レイノルズ数が実験で決定されたのはここ15年の話である。転移点付近では、パフ(puff)と呼ばれる局所的な乱流構造が現れ(図3)、そのパフの統計的な寿命によって乱流=層流転移点が決定される。このパフの寿命は長く、転移的付近では長時間の測定でのみパフの消滅が観測される。パフの寿命はレイノルズ数が転移点に近づくとき二重指数(double exponential)的に増加することが実験的に観測されていたが、その理由は解明されていなかった。この起源を理解するために、根本はEcole Normale SuperieureのAlexandros Alexakisとともに、ナビエ=ストークス方程式をハイブリッド法(有限差分法+スペクトラル法)で数値的に解き(DNS)、計300万時間の計算をスーパーコンピュータで行い、in silicoパフ消滅観測実験を実施した。乱流強度場の最大値の累積分布が極値分布に従うことを定量的に示し、Goldenfeldらによって提案されていた、二重指数則導出の仮説を初めて検証した 。また、DNSでパフ消滅を研究するには多大な計算時間が必要になる。この状況を改善するために、消滅を効率的に測定するアルゴリズム(レイノルズ数操作のフィードバック手法)を根本らは提案し、パフ消滅の測定時間を100倍以下に減少させることに成功した。
T. Nemoto and A. Alexakis, “Do extreme events trigger turbulence decay? – a numerical study of turbulence decay time in pipe flows”, Journal of Fluid Mechanics, 912, A38 (2021) / arXiv:2005.03530 (preprint)
A. van Kan, T. Nemoto, A. Alexakis, “Rare transitions to thin-layer turbulent condensates”, J. Fluid Mech. 822, 364 (2019) / arXiv:1903.05578 (preprint)
T. Nemoto and A. Alexakis, “Method to measure efficiently rare fluctuations of turbulence intensity for turbulent-laminar transitions in pipe flows”, Phys. Rev. E 97, 022207 (2018) / arXiv:1707.04819 (preprint)
図4. アクティブマターの数値シミュレーション。矢印が個々の動く向きを表す。個々が直進するだけの場合(A)は、各々がぶつかり合い全体として効率よく進めないのに対し、各々が個人の無駄を減らす動きを行うと、全体としても効率よく進めるようになる(B)。
バクテリアのようなミクロスケールの生物から、鳥や魚、羊といったマクロスケールの動物に至るまで、個々の個体は全体の動きを考慮しないにも関わらず、集団全体として効率的な運動(協同現象)を示すことがある。このような系を総称してアクティブマターと呼び、協同現象が自然に現れることを創発と呼ぶ。協同現象を理解するために、これまでに様々な理論物理学的アプローチが行われてきた。しかし協同現象を引き起こすために個々の動きを作り込む例(e.g., Vicsek model)が多く、逆に、協同現象を意図しない個体のルールのみから、どのように協同現象を生み出す個々の動きが生まれるかは十分に調べられてこなかった。
そこで根本はUniversity of CambridgeのMichael Cates、及びMITのJulien Tailleurらとともに、独自の大偏差原理を用いた理論を使って、個々の個体が「個人の無駄を減らす(エントロピー生成を減らす)」動きをモデル化した。このモデルを数値的に解析し、個々の個体が独立に無駄を減らす動きをするとき、粒子の協同運動が(統計力学的相転移として)観測されることを発見した(図4)。粒子運動方向を揃える相互作用はモデルに含まれていないにも関わらず、無駄を減らすという条件だけから協同運動が創発された初めての例である。University of LuxembourgのEtienne FodorとUniversity of ChicagoのSuri Vaikuntanathanと共に、同様の研究を粒子間の方向を揃える相互作用を持つ系にも応用した。
T. Nemoto, E. Fodor, M. Cates, R. Jack, J. Tailleur, “Optimizing active work: dynamical phase transitions, collective motion and jamming”, Phys. Rev. E 99, 022605 (2019) / arXiv:1805.02887 (preprint)
T. Nemoto, F. Bouchet, R. L. Jack, V. Lecomte, “Population dynamics method with a multi-canonical feedback control”, Phys. Rev. E 93, 062123 (2016) / arXiv:1601.06648 (preprint)
L. Tociu, E. Fodor, T. Nemoto, S. Vaikuntanathan, “How Dissipation Constrains Fluctuations in Nonequilibrium Liquids: Diffusion, Structure, and Biased Interactions”, Phys. Rev. X 9, 041026 (2019) (open access).
E. Fodor, T. Nemoto, S. Vaikuntanathan, “Dissipation controls transport and phase transitions in active fluids: Mobility, diffusion and biased ensembles”, New Journal of Physics 22.1 (2020): 013052 (open access).