泰松館の歴史

 

オーナー祖父林泰造が大正時代に妻の為に建てた海の近くの別荘として始まり、息子幸正、孫美砂、そして曾孫九里舜へと引き継がれていくことになりました。

 

1923年・大正12年1月17日上棟式儀式の写真を建物正面入り口の部屋でご覧頂けます。

館主林泰造は、早稲田大学を卒業後、大正時代には、渋沢栄一が株主であった帝国火災保険(株)

(日本興亜損害保険株式会社前身)横浜支店長を務めており、多くの要人がこの茅ケ崎の家・現泰松館を訪れています。

帝国火災保険(株)関係者のみならず、後藤新平氏(医者、満鉄総裁、政治家として知られている)も来られています。

息子林幸正の時代にも東京から多くの知人友人が夏の別荘として宿泊をしていかれました。

孫美砂がギャラリーを開いてからは、多くの海外アーティストやフランスの舞台俳優、日本の映画監督、サックス奏者や俳優、ミュージシャンの方々が足を運んでくださいました。