田口神社(京都府舞鶴市)
創始 白鳳3年 (653)
1373年の社
創始 白鳳3年 (653)
1373年の社
本殿 京都府指定文化財
宝暦四年(1766)に再建。三間社流造、側面二間、正面軒唐破風付。擬宝珠高欄をめぐらした浜縁、また、二重虹梁や斗栱などの組み物、正面の柱間の菊花をあしらう唐草様の透かし彫り、木鼻の唐獅子・獏・麒麟・海馬などの彫り物など、江戸時代の装飾的な手法と技巧的な手法を用いた代表的な建物とされています。
舞殿(拝殿) 京都府登録文化財
寛政八年(1796)に再建された桁行二間、梁行一間、一重、桟瓦葺き入母屋造り。
主 神 豊受皇大神
(とようけすめらおおかみ)
右配祀神 日本得魂命
(やまとえたまのみこと)
左配祀神 誉田別尊
(ほむたわけのみこと)
田口神社の由緒:当社は白鳳三年(653)この地方の国主でありました日本得魂命が校倉をお建になり、豊受皇大神を勧請して、ここに田口祠を創始されたと伝えられ、以来一千三百有余年を経た古社でございます。
豊受大神は伊勢の外宮・誉田別尊は宇佐八幡宮が大元でありまして、産業の司神であり五穀豊穣・開運除厄・縁結び・安産など、あらたかな霊験がありますので昔から多くの人々に親しまれ崇敬されてまいりました。
京都府文化財環境保全地区
境内一帯が京都府文化財環境保全地区に指定されています。
<境内散策>
乳岩神社 祭神:大物主命 他四神
昭和十四年に長内村より奉遷した。長内村は八軒の戸数があり、肥沃な山林を所有し、杉桧、竹材等林産の外、米、野菜その他富裕であったが、国の工場づくりのために移住させられ村はなくなり、今は舞鶴高専となった。 男子が生まれた嫁は乳が出なかったが、乳岩さんという白い岩からぽたりぽたりと落ちる清い水を飲んだら乳が出るようになった、という民話がある。
厳島神社 祭神:市杵島姫命
海の神として、朝廷からも信仰されてきたが、神仏習合思想によって「弁財天」と習合してからは、財福の神・芸能の神・美容の神として祀られるようになった。「水の神・海運守護の神」といったご神徳に、「芸術・学問・幸福・美容・富」が加わった、強力な女神となったのである。明治維新後に神仏分離政策が施行されたとき、全国の神社に祀られていた弁財天は市杵嶋姫命に祭神変更していったと聞く。
ご神木
本殿向かって西側に、杉のご神木がそびえ立つ
石燈籠 舞鶴市指定文化財
享徳3年(1454)の銘があったが、現在は風化で判読困難である。基礎や中台は六角形であり、丹後地方に多くみられる八角形のものとは大きく異なる室町時代のものである。
なお、この石燈籠は丹後守護一色修理太夫義直の寄進という説がある。総高203cmで 石質は花崗岩である。
御朱印
本殿にお参りいただくと、無人販売の
御朱印があります。
大石燈籠 特殊営造物:入り口東側に立つ大石燈籠
明治二十一年朝来中村の発起企業で建設されたものである。全体の重量から言えば正に 日本一の大きな石燈籠と唱えられていた。
莖石の廻り 二丈五尺(約七・五m)
笠石広さ 畳六枚大
全体の高さ 一丈八尺(約五・四m)
この内の最大の巨石は、此れを南の小野山から曳きだし、朝来川を渡して更に一町(一町は約109m)のどぶ田の上を通し据えたという。
< 催 事 > 1年に5回の行事、3年に一度の大祭
〇祭旦祭
新年を祝い氏子の健康・五穀豊穣・繁栄を祈る祭祀。
✻市内の神社のなかで、零時から神主を迎えての祭事はごく稀であり、 護摩木や厄年の方のご祈祷も実施し、護摩木や旧い御札等を焚きながら祈祷します。
多くの方が初詣をされます。
〇祈年祭
2月17日に近い日曜日 午前11時
本年の五穀豊穣を八百万の神々にお祈りする祭祀。
〇夏祭り
8月第一土曜日 午後6時
夏の時期、虫害や風水害・水不足の災厄を除去する祭祀。
〇秋祭り
10月23日に近い日曜日 午前11時
この年の新穀を神に供えて、収穫を感謝する祭祀。
※三年に一度の秋の大祭は、市内では有名な囃子で知られています。
次は、令和9年10月23日に近い日曜日に執り行われます。
〇感謝祭
11月23日(祝)午前11時
秋祭り同様、五穀収穫に感謝する祭祀で、神社古来より神事として
執り行われています。