創業者(現会長)喜島健一郎が「東京田辺製薬(株)」(現 田辺三菱製薬)に勤務していた頃の昭和53年夏、日本医師会による一週間分業という運動が起こりました。
宮崎市の中野皮膚科医院、中野拓先生とこの問題について話し合ったことが薬局開設の動機であります。
医薬分業は当時の医師にとっても薬剤師にとっても革命的なものであり、大きな勇気を伴うものでありました。

この時の気持ちを原点とし、地域に根差した健康づくりを第一にこれからも歩んでいきたいと考えております。