スペインかぜ

その規模の大きさ

第二次大戦前,戦後の一時期,祖母の実家は熊本市下通町で緒方更生堂という薬屋を営んでいた.大正時代に大流行したスペインかぜの際にはマスクで大儲けしたという話を子供のころ聞いた記憶がある.1世紀前のことでもあり,手掛かりになる公的資料はほとんど存在しない.薬屋の存在だけでもと思い,資料を探していたら,熊本の古い地図が熊本日日新聞に連載されていて,2019年6月21日の新聞記事「古地図で歩く城下町くまもと,高田原(中央区下通など )」に,「更生堂」の記載があった.右図は80年前の地図(昭和15年,1940,原本は県立図書館所蔵)であり,更生堂は中央付近に記載されている.

スペインかぜの第一回流行は102年前(1918大正7年)の話でもあり,これまで実感が持てなかったが,今回の新型コロナによる社会現象が,何となく当時の状況を想像することを可能にした.そこで,あらためてスペインかぜについて調べてみたが,その規模の大きさにびっくり仰天した.

1918年1月から1920年12月までに世界中で6億人が感染したとのことである.これは当時の世界人口の30%程度に相当する死者数は2000万人から4000万人と推計され,人類史上最悪の感染症の1つである.

下記の資料には日本における精密な分析が記載されているので,参考にしてほしい.

日本におけるスペインかぜの精密分析(インフルエンザ スペイン風邪 スパニッシュ・インフルエンザ 流行性感冒 分析 日本):(東京都健康安全研究センター)

流行状況は表2の通りである.1918,1919,1920年はそれぞれ大正7, 8, 9年である.

第1回の流行[1918(大正7)年8月-1919(大正8)年7月]の患者数は,2116万8398人で,死者は25万7363人 ,患者100人当たりの死者数(致死率)は1.22%である.

第2回の流行[1919(大正8)年8月-1920(大正9)年7月]は,患者数 241万2097人,死者数12万7666人,致死率5.29%である.

第3回の流行1920(大正9)年8月-1921(大正10)年7月]は,患者数22万4178人 ,死者数3698人,致死率1.65%である.

3回の流行で,全国で2380万4673人の患者が発生し,38万8,727人が亡くなっている.


図1.インフルエンザによる死亡者数の月別推移

1918年12月31日時点の日本の総人口は56,667,328名であるから,第1回目の流行では,全国民の37.3%がスペインかぜに罹患したことになる.

第1回目の流行は,流行が一旦終息したかに見えた後,規模は小さいが流行が再燃している.それに対し,第2回目は,その様な現象は見られなていない.再燃が起こったシーズンでは,流行の初期の段階ではA香港型が流行し,後半においてはB型が流行した場合や,前半と後半において型は同じであるがウイルスが微妙に変化している場合などがあるとのことである.

スペインかぜ流行当時は,これがウイルス性疾患であるということが明らかになっていなかった.著者らは「今後のインフルエンザ対策として,ウイルス変異を早期に検出することが,新型インフルエンザの流行を未然に防ぐことに繋がる 」と記載しているが,今回の新型コロナ禍においても同様なことが言える.

研究結果および考察」は以下の項目から構成されている.ここではの紹介になってしまったが, 23については参考資料を見て欲しい.資料はPDFファイルとしてダウンロードできるようになっている.

研究結果および考察

1. スペインかぜによる死亡者数と患者数

スペインかぜによる死亡者の年齢分布

スペインかぜによる地域流行パターン


追記 5月15日時点の世界の新型コロナ感染者数は440万人,死者は30万人を超えた.

参考資料

東京都健康安全研究センター » 日本におけるスペインかぜの精密 ...

日本におけるスペインかぜの精密分析(インフルエンザ スペイン風邪 スパニッシュ・インフルエンザ 流行性感冒 分析 日本):(東京都健康安全研究センター)

東京都健康安全研究センター年報,56巻,369-374 (2005)

  日本におけるスペインかぜの精密分析 ( flu.pdf : 520KB, Acrobat形式 )

スペインかぜ - Wikipedia

(2020.5.19)