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切れ端のようなもの
(『その手をとって』 ラスト差分)
緑の瞳が熱を孕んだ気がした。温かくやわらかな色が熱く強く変わり。脳に焼き付けられて秀一以外、消え失せる。広い胸に抱き竦められて、思考ばかりか身体も融けてしまったかのようだ。何も考えられない中、ただ、秀一の齎した知らない感覚を享受していた。
零は初めて覚えた幸福感に酔うように、自分はすぐに秀一を求めることになるのだと、本能で知った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
(雷神とお狐さま)
大自在天、降臨
「うわっ」
「やあ零くん」
「ふざけるな!その降り方はやめろと言ってるだろ!」
「すまない、一瞬でも早くきみに会いたくて、つい」
「つい、じゃない!寝床を壊す気か!?」
「それはいいな」
「は?」
「その石ごと消すから、おれの住み処へ来るといい」
「何も良くない!」
◇◇◇◇◇◇◇◇
愛という言葉を知ったのはいつだったか。心内に生じた情は別の言葉を用いようともどんなに複雑なものを抱えていてもすべて違う形であったとしても愛情があったのだろうと、今ならば解かる。
「愛しているよ」降谷にそれを信じさせた男はどれだけ彼を救ったのかきっと気づいていない。狂おしい想いも植え付けてくれたけれど、満たされて更にどこまでも拓けるのだと知らしめながら。言葉にすれば型にはまってしまったようであるが、言葉を与えられない感情は自分の中ですら持て余して捨て置くしかなく、その残骸に気づいては不安定にもなりかねない。「ありがとう」いつもとは違う降谷の反応に赤井は虚を衝かれたようだ。「受け取ってくれたなら嬉しいが。それなら礼を言うのはこちらかな」赤井と出会わなければ、自分自身すら打ち捨てなければならなかったかもしれない。色々な感情が混ざって複雑なものもあるけれど、周囲の人たちにも自分にも愛着があったのだ。それらを気づかぬうちに過去の残骸とせずにいられたのは彼のお陰だった。けれど、そんなことを言う必要はないのかもしれない。「ぼくもね、愛しているから」呟きに近くなってしまった降谷に「最高だな」本当に言葉通りの顔をしてくれるから。笑みを交わせば、それだけでも心が温かくなるようだ。言葉を知り、意味を悟って、告げる相手がいる。こんな幸せを与えてくれた人にいつも真実の言葉を伝えられたらと。努力することを心に誓う降谷だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
(イメージ違いで『今は君を守るための腕でしかなく』から削除)
夢?呟こうとしたが、声は出なかった。沈んでは、すぐに浮かび上がる意識に、身体中で波を感じているような錯覚を覚える。押さえつけられたように動かない身体に、大きなうねりを受け続けて悪酔いしたようだ。苦しいと感じながら、目を開くことができない。意識は目覚めているはずなのに。なのに、光りを感じられない……
変化は突然のことだった。額に何かが触れた。冷たいわけではない。体温に近いもの。ふと、楽になった気がした。続いて、両の頬を包まれる。波が、穏やかになる。風のない池の水面の如く、静かに。空気へと変化したかのように、軽く。そして、頬に触れていた何かが離れた時、それを追って、張り付いたように硬かった瞼が開かれた。
見る、という感覚がすぐには戻らない。映るものをただなぞる。少し首を動かして、探していたものをそこに見つけた。否、探していたものが何なのかを理解したのだ。視る、という行為を思い出すと同時に、頭にかかった靄がゆっくりと晴れていく。
枕元で赤井がこちらを見ていた。
「起こしたか」
深く魅惑的な声が、どこか自嘲する響きを含んで告げる。ぼくは瞬きをしてゆっくりと頭を横に振った。目を細めた彼は手を伸ばして頬に触れてくる。思わず、ほお、と息を吐いていた。
この手だ。
ぼくを救ってくれたのは。
硬い手のひらがとてもやさしく触れて、頬だけのはずが全身を包み込んでくれるかのような安心感を齎す。
「もう少し、眠った方が良い」
その言葉に、ぼくはどんな表情をしたのか。いつもなら、我慢できるのに。一人で、平気なのに。今はひどく心細かった。赤井が驚いた顔を見せたのは一瞬。すぐに優しく、けれど力強い笑みをくれた。
「ここにいる。次に零くんが目覚めるまで」
なんとか笑みを返すと頭を撫でられる。手を伸ばそうとすると彼の大きなそれが包んでくれて。息をつくと同時に眠りの波に誘われ、瞼が降りる。柔らかな波の合間に、赤井の声を聞いた。
「おやすみ」
目覚めたときには、光りの中に、彼を見るだろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇
欲しい。手離したくない。閉じこめていたい。
理由など知らない。ただ焦がれるようにそう思うだけだ。
自分と同じ性でありながら触れてさえそうとは信じ難いこのうつくしい身体に、赤井はどれだけのものを注ぎこんだだろう。言葉も、熱も、白濁も。
甘ったるいと降谷が嫌がるものたちは、彼の虚ろに沈みながら、いまだ溶ける気配もないのか。変質するのがこちらだけでは割に合わない。赤井をこれほどまでも狂わせておいて、自分はそのままでいたいなど。傲慢にも程がある。
◇◇◇◇◇◇◇◇
抉られるような胸の痛みとは別に、静かな表情で過去のことを語ることのできるひとを羨ましく思った。
いつかと。
降谷は痛みから必死に目を逸らして、遠い先を描いてみようとした。
歯を食い縛るようにして叫ぶことを耐える胸の痛みも、あんなやさしい表情で、穏やかに言葉にすることができるようになるのか。
結局、今は想像もつかず、信じられなかったけれど。
ただ少し、熱情を失うことはさびしい気がした。
身勝手に。
己が想いを庇うように。
◇◇◇◇◇◇◇◇