小説家がちょっと(7年半)博士課程にいた話

(本記事は、コラム集企画『日本の博士課程〜若手シンポジウム’21 カウントダウンカレンダー〜』の2月3日の寄稿文です。)


はしがき

「この研究室で、一番カッコわるい博士号取得者になろう」

 そう思い立ったのがいつだったか、正確には覚えていませんが、7年半に渡る博士課程の後半のことであったと思います。


 初めまして。霧友正規(きりとも・まさき)と申します。2014年にデビューした兼業作家です。

 修士課程在学中にライトノベルの新人賞を受賞し、デビューの少し前に博士課程に進学。修士課程では大きく異なる研究に取り組んでいましたが、「言葉」への興味がより強まったことから、進学を機に研究室を移って、自然言語処理に取り組ませていただくことにしました。

 博士研究のキーワードは、機械学習、自然言語処理、ストーリー理解やストーリー生成、そして創作支援などです。

 家庭の事情による休学期間も含め、7年半の期間を掛けて、昨年9月に博士号を取得しました。

 現在の本業は、民間企業での研究職です。文筆業は副業として継続しています。

 なお、霧友正規というのはペンネームであり、博士号は本名で取得しています。


 本稿は、学部生や修士課程学生を主な対象として、「博士課程進学」を前向きに検討していただくことを目的としています。

 一応は二足の草鞋を履いて博士課程を過ごしておりましたので、社会人博士を検討されている方にとっても、多少は得るところがあるかもしれません。

 もちろん、既に博士号を取得されている方にも、ご笑覧をいただければ嬉しく思います。


 本稿の構成は、以下のようになります。


 はしがきでは、著者(霧友正規)の簡単なプロフィールを述べました。

 第一節では、「博士課程進学に至るまでの経緯」を書いています。個別事例だからと言い訳しつつ、ほぼ自分語りをしているだけなので、「博士課程での生き延び方を知りたい」方は飛ばしていただいて結構です。

 第二節では、「博士課程在学中の過ごし方」を取り上げ、私なりのモチベーションや研究テーマの定め方について述べます。

 第三節では、「博士号で得られたと思うもの」について述べます。


 それでは、はじめていきましょう。 



第一節:博士課程進学に至るまで

 さて、「恥の多い生涯を送って来ました。」といえば、『人間失格』(太宰治)の有名な一節です。

 私は小学生の頃に「自分の部屋」を与えられたのですが、本棚の目立つ位置に、ハードカバーの『人間失格』がどんと鎮座していました。眠りに落ちる前に、そのタイトルを見上げながら、「これは、お前のことだぞ」と言われているような気持ちになったものです。


 その後、すくすくと歪んで育った原因が、この本に見守られて眠ったせいかどうかは分かりません。ともあれ、私は医療従事者の息子であるにも関わらず「生身の肉体などいらぬ。知能にしか興味はない」と主張しはじめ、「生物」の定期試験では「他の項目では9割取れるのに、なぜか人体が関わるところだけ壊滅」という方向へと突き進んでいくことになります(手を抜いたつもりはないのですが、なぜか人体に関する知識だけ頭に入らなかったのです)。

 そして、興味は次第に「生物ではないものの知能」、「ロボットの知能」へと移っていきました。


 一年間の浪人生活を経て、東京大学に入学しました。念願の「ロボットの知能」について学べる環境を得て喜んでいた一方で、他の学生と比較しての自分の力量不足に落ち込んだり、「ロボットの知能を考える上で、身体性が重要」ということを講義で学んで「肉体、いるのか……」と落ち込んだりなどしました。小学校の級友に「仮にお前が外科医になったとして、怖くてとても手術なんか受けられない」と言わしめた不器用さを遺憾なく発揮し、演習(実習)の度に最後の数人まで居残りになっていたのも、今となっては良い思い出です(ご指導くださった先生がた、本当にご迷惑をお掛けしました……)。

 私のいた学科の学生の多くは、大学院へと進学します。私も修士課程の入学試験の願書を出していたのですが、博士課程修了を機にファイルを整理していた際、その願書の下書きを見付けて、ぶっ飛んだ内容に身悶えしそうになりました。「人間性に問題あり」という判断をしないでくださった先生がたの懐の広さに、改めて感謝の念が湧いたものです。


 そろそろ、博士課程と関連した話に寄せていきましょう。

 修士課程への出願時点で、博士課程進学は念頭にありました。

 むしろ、卒業研究の指導を受ける研究室を選ぶ時点(学部4年への進級時)では、「博士課程に行く」と公言していたようです。「ようです」というのは、博士課程在学中、友人に「君は、かなり早い段階から『博士課程に行く』と公言していたよね。有言実行してる」とコメントをもらったからで、どうやらそうらしいです。


「それだけ進学する意志が固かったのであれば、さぞ、学部や修士の頃から研究成果をバリバリ出されていたのでしょう!」と思われるかもしれませんが、それであれば、はしがきの冒頭のようなことを掲げる必要はないわけです。

 既に「浪人」「演習の度に居残り」など、不穏(?)なワードも混ぜてはきましたが、ここで、博士課程に入学する直前の、私の研究業績を見てみましょう。


・査読付き論文(筆頭著者)の採択:0本

・国内の研究会(査読なし、筆頭著者)での発表:1回

・その他、筆頭著者ではない取り組み


 修士論文をまとめることはかろうじてできたとはいえ、「博士課程でも十分やっていける」と考えるには、心許ない数字です。

 念のため補足しておくと、修士課程で取り組んでいた研究分野は、博士でのものと大きく異なりました。分野を変えた当時に、「(学生による)国際会議への論文投稿って、博士課程学生や、修士課程学生の一部の精鋭がやるものだと思っていた。でも、修士課程でもそんなに当たり前のように行われることなのか」とカルチャーショックを受けたことを覚えています。そもそも時代が違っていた、というのも言い訳に含められるかもしれません。


「研究者の中には、学生に見込みがなくても、とにかく博士進学を勧める人がいるらしいし……。この人も、『見込みがないけれど勧められた』人なのかな? 運良く博士号を取れたので、生存バイアスでこの文章を書いているのかな?」

 このように思われたとしても、仕方ないところかと思います。「運良く」というところも、生存バイアスが掛かっていることも否定できません。

 しかし、「見込みがないけれど勧められ」ることは、私の場合、幸運にしてありませんでした。むしろ、「君は、博士進学をやめておいたほうが良いのでは」と、何人もの方が制止しようとしてくださっていたほどです。

 中には、私の経験やスキルを活かせそうな、別の道を提示してくださる方もいらっしゃいました。結局、そのご厚意は無下にしてしまうことになったのですが、博士課程進学後も気に掛けていただき、ようやく博士号取得を報告できたのは、私としては本当に嬉しいことでした。


 そろそろ、本稿の狙いにお気付きの読者が増えてきた頃合いでしょうか。

 先に述べたように、本稿は、学部生や修士課程学生を主な対象として、「博士課程進学」を前向きに検討していただくことを目的としています。

 その手段として、「こいつが博士号を取れるなら、自分にも取れそうだ」と思っていただけるようなコンテンツを提供したいと思います。修了できたので厳密には「(元)」が付きますが、「ダメ博士課程学生、かく語りき」とでも申しましょうか。


 他人を見下してばかりというのも、あまり趣味が良いものではありませんが、目標を見上げてばかりいるというのも、それはそれで首が痛くなるものです。

 私の周囲には、先生がたや先輩、同期の中に、そして後輩の中にも、「背中を追うべき、カッコいい博士課程学生・博士号保持者」が数多くいます。だからこそ、

「『カッコいい背中を見せる』側に、今さら自分がなれるとは思えない。それならば、それだけでは足りないと思われる部分、『意地汚く居座り、泥臭く博士号を取る』側を、私が担当しよう」

 というのが、私が見つけた、自分なりの博士課程でのスタンス、あるいはモチベーションでした。


 おそらく、本稿と並んで掲載される他のコラムの中にも、参考になるロールモデルをいくつも見付けることができるでしょう。

 ただ、ちょっと疲れたなというときに、「そういえば、変な奴がいたな」と本稿を覗いてみていただき、「なんだ、こいつでも博士進学して、学位取得まで辿り着いているのだから、自分にもいけるでしょ」という安心感をご提供できれば、私にとってはささやかな勝利ということになります。

  


第二節:博士課程でのモチベーション、研究テーマの定め方

 放っておいても誰かしらが同じことをやるようなレッドオーシャンではなく、自分だからこそ戦えるブルーオーシャンで戦う。これが、博士課程で学んだ戦略の一つです。

 研究テーマの定め方というだけではなく、「博士学生の在り方」というのもそうではないか。そんな思いから、私の博士研究テーマならぬ「博士学生テーマ」は、「この研究室で、一番カッコわるい博士号取得者になろう」という言葉になりました。


 注意書きをしておきますが、在学年数が長いことが一概に「カッコわるい」わけではありません。社会人博士として仕事と学業の両立が必要だったり、育児や介護などのご家庭の事情があったりなど、長期の在学を余儀なくされるケースは多々あるでしょう。事情は人によりけりかと思います。

 あくまで私のケースにおいて、標準年限の「3」を超えて数字が大きくなっていくことに、「カッコわるさ」を感じていたというだけのことです。

 そして、「一番カッコわるい」を実現するために、手を抜いたり、必要もないのに在籍期間を延長していたりしていたわけでもありません。システム上は、さらに上(下?)を目指すことが可能です。

 その上で7年半が掛かった、ということになります。

 

 さて、博士課程に在学するに際して、「学費の工面ができるか」という問題が出てきます。

 博士課程学生の金銭的事情として、よく話題に上がるのが、日本学術振興会の特別研究員制度です。本稿の読者の中には、「学振」であるとか、「DC1」「DC2」などの用語を耳にされたことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。私は研究業績をなかなか出せなかったため、応募したところで採用されるはずもないのですが、そもそも「実質的に、応募することができない」状態でした。「研究専念義務」の規定(当時のもの)により、「採用された場合、特別研究員である期間中は、小説を新たに商業出版することはできない」とのことだったのです。当時の規定からして当然の判定ではあるのですが、ヒット作のない駆け出し作家にとって、数年間のブランクは致命傷だと思えました。

 なお、この制度は見直しが重ねられているようですので、現状ではまた違った判定となる可能性はあります。


 収入事情を詳らかにすることはできませんが、私の場合、学費についてはなんとかなりました。

「その、『なんとか』の情報がほしいのだ」と思われるかもしれませんが、このあたりは、取り組む研究の分野や、所属する大学(院)によって、サポートの体制・充実度が大きく異なるところかと思います。グローバルCOEプログラムや博士課程教育リーディングプログラムなど、その時々のプログラムもあるかと思いますので、在学時期も影響するでしょう。私自身も、あと数年ずれていたら、博士課程での過ごし方が異なっていたものになっていたと想像します。

 どういったところで博士課程を過ごすか、在学予定期間にどのような支援制度があるのかを、進学を検討されるみなさんがご自身で事前に詳しく確認されておくのが良いでしょう……とまとめたいのですが、さすがに投げっぱなしにすぎる気もするので、少しだけ挙げておきます。

 大学の支援制度やキャンパス内設備が充実していたこと、国立大学であるため休学期間中は学費が発生しなかったことなどは、大変助けになりました。

 私自身は申請しなかったのですが、「長期履修」の制度もあったため、対象になりそうな方が進学や入学をされようとしている時にはご紹介するようにしています。

(既に制度が終了しているなどの理由で、ここに挙げていないものもあります。関係者の方がご覧になっていた場合には、ご容赦ください)



 研究テーマについては、この節の冒頭に書いた「自分だからこそ戦えるブルーオーシャンで戦う」が指針になりました。

 みんなが取り組んでいるテーマで、誰よりも先に成果を出せるほど、私は出来の良い人間ではありません。

 さらに、私は博士課程進学時に研究分野を大きく変えています。授業などで学んでこそいましたが、機械学習や自然言語処理に研究として取り組むのは、ほぼゼロベースでした。修士と博士の五年間、ないしは学部も含めてより長い期間、同じテーマに取り組んできた方々と比べると、数年分のビハインドです。

 では、このような状況下で、どう「自分の戦場」を見つけるか。


 私は、自然言語処理に取り組む博士課程学生としては、どれほど甘く見積もっても1・5流、まあせいぜいが2流といったところだったでしょう。

 そして、小説家としても、この文章の自己紹介で「霧友正規」と見てピンときた方は、ごく少数ではないかと思われます。そうたいしたものではありません。

 ですが、この2つの立場を併せ持つ人間というのは、そう多くないのではないか。

 もちろんオンリーワンではないことは承知していますが、レアケースだとは言えるでしょう。


 小説家としての立場で実感した「人工知能が役立ちそうなタスク」に、自然言語処理の研究者(の卵)として取り組む。 

 これが噛み合い始めて、ようやく研究成果を出せるようになりました。


「そうは言っても、自分は小説家ではないのだが」

 というツッコミが入るかもしれません。ただ、上記のアプローチが役立つのは、小説家に限った話ではないと思います。

 研究室の後輩などから、進路について相談を受けたとき、私は基本的に進学を勧めるスタンスを取ります。その上で、「『その分野の研究に詳しい』以外に、もう一つ武器を持つとよいよ」というアドバイスをするようにしています。

 もちろん、一つのことを極めるのも素晴らしいことですが、複数のスキルを持っていたほうが、生存確率は上げられると思います。

 音楽に詳しいとか、何らかのスポーツで活躍していたとか。既にお持ちのスキルや、「少し磨けば『スキル』になるかも?」というものがあるかもしれません。

 研究以外から見つける必要は必ずしもなく、複数の研究分野を持つ、というのもアリかと思います。


 なお、バランスには注意していただく必要があるかと思います。私のように、校舎の扉に貼られた「締め切り」という文字を見て「う」と胸を押さえてしまったり、研究室のメンバーが「ようやく(論文を)投稿できた」と話しているのを耳にして「え? (小説を)新人賞にでも出したのかな」などとしばらく勘違いしてしまったりするようになるのは、あまり良い傾向ではありません。


 閑話休題。

 生存確率を上げるための、その他の工夫として、複数の研究をパラレルで動かす、ということもしていました。

 メインの研究テーマのほかに、小粒な研究テーマをいくつか持っておき、メインの研究の合間に動かすようなイメージです。

 この工夫を始めるのがかなり遅かったこと、結局「メインの研究テーマ」が何とかなったことで、自分の場合にはあまり効果を発揮しなかったのですが、リスクヘッジとしては悪くなかったと思います。

 


 以下、博士課程学生一般にお勧めすべき内容ではないようにも思いますが、私にとっては重要なことでしたので、ご参考までに書いておきます。

 博士課程学生として、第一とすべきなのは、研究を進め、大きなインパクトのある成果を出すこと。それは念頭にありましたが、不良学生である私が心掛けていたのは、以下の三つでした。

 

1)他の学生、特に後輩が業績をあげたときに、妬まないこと。むしろ、真っ先に祝うぐらいの心持ちでいること。

2)積極的に質問をすること。相手の学年や年齢が下でも、自分より優れたところを積極的に学びにいくこと。

3)小説の仕事があることを、言い訳にしないこと。


 まず、1について。長々と居座っていた関係で、研究室で私が「一番学年が上の学生」であった期間が長くありました。少なくとも、自分がそのような立場である間は、学年のヒエラルキーが悪い方向に働かないようにしたい、と思っていました。

 とはいえ、これは私の研究テーマが他のメンバーのものと大きく異なり、そもそも論文を投稿する先が異なる、というところに助けられたところが大きいかもしれません。


 自分自身の学びとして大きかったのは、むしろ2かなと思います。研究発表の座長役を務めた際、「誰からも質問がない」場合に途方に暮れた経験があり、「とにかく何でもいいから質問の口火を切ろう」と努めるようになりました。随分とバカな質問もしましたが、「次こそは、もっと良い質問をしよう」と思えることは、自分を鍛えてくれることにも繋がったと考えています。

 研究室に入ってきたばかりの、それこそ10歳近く歳の離れた後輩でも、研究に関して私よりも優れたアイデアや、知らない視点を持っていることが多々あります。相手が「後輩」であろうと、自分よりも優れている部分があったら(十中八九ある)、教えを請う。当たり前といえば当たり前で、「何を今更」ということではあるのですが、博士課程進学時の自分にはこれができていませんでした。


 3については、半分冗談混じりです。「売れっ子で、サイン会に引っ張りだこ」などであれば、「すみません、お休みをいただきます」という可能性もあったかと思うのですが、残念ながら私にそのような機会は訪れませんでした。「サイン会があるので研究会休みます」、一度やってみたかったです。博士課程での心残りの、五本の指に入るかと思います。

 



第三節:7年半で得られたもの

「博士号を取ることに、メリットはあるのか」

 進学の是非を考える上で、気になるところかと思いますが、私個人については明確に「あった」と断言することができます。


 博士課程学生という立場を生かして、研究室の内外で多くの方々に巡り合うことができました。

 博士号で取り組んでいたことにピッタリ合う就職先に巡り合えました。

 

 もちろん、博士に進学しなくても、いろいろな方に巡り合うことはできると思います。むしろ、博士に進学したために、機会を喪失した出会いもあったかもしれません。

 それでも、博士課程学生だからこそ、「研究」を通して得ることのできた研究室内外の繋がりは、自分にとって大きな価値を持つものであることを確信しています。それは、私が研究を続ける間はもちろんのこと、いつか研究から離れたとしても、変わらないと思います。

 そして、現在の本業は、博士課程で取り組んでいた研究があったからこそ出会えた職です。まさか、自分が博士課程を修了した後に研究職に就くなど、修士課程の間は夢にも思っていませんでした。


 得たのは「出会い」である、などと、我ながら独創性のないことを書いているなと思います。小説家としてそれでいいのか、という自問自答もありますが、ここは奇を衒わなくてもよいところでしょう。

 そして、さらにベタなことを言ってしまえば、「博士課程学生」という立場が、他者との関わり方について私に大きな学びを与えてくれたと思います。



 さて、第一節で進学の経緯は書いたものの、「なぜ博士課程に進学したのか」という動機の部分は書いていませんでした。ミステリで言うところの、ホワイダニット(Why done it?)の部分です。

 誤解を恐れずに言えば、私は「研究者になる」ために博士課程に進学したわけではありません。

 私が「博士号」に期待していたのは、「それを持つことで、サイエンスライターとしての道を拓けるのでは」ということでした。博士号を取っても、研究者にはならない(なれない)だろうと思っていましたし、そもそも博士号を取れないケースも織り込んで考えていました。

 私は、文章を書くのが嫌いではありません。それで食い扶持を稼げれば良いな、と考えていた時期もあります。小説も好きですが、サイエンスライティングにも興味を持ってきました。

「小説家として活動実績を作り、博士号を取ることができれば、サイエンスライターとして活動する芽もあるのではないか。博士号を取れずとも、『博士課程で、これだけ頑張った』と言えるだけのものができれば……」

 これが、博士課程進学時点で想定していた進路です。

 そんな不純な動機で、とお怒りになる方もいらっしゃるかもしれません。すみません。


 修士論文の提出が迫った時期、「もうだめだ、修士号は諦める。(願書は出したけれど)博士進学なんてどうでもいい」と自暴自棄になっていたことを思い返します。

 そんな惨憺たる修士課程時代、「自分は、おそらく研究に向いていないのだろう」と思うようになっていました。しかし、同時に、「それを言う権利は、自分にはまだないのではないか」とも思っていました。研究に打ち込み、その上で「やはり、自分には才能がない」と苦笑する同期の友人たち。その姿を見て、「彼らと同じように、『自分の才能に見切りを付ける』には、自分は努力が足りていない」と強く感じていたのです。

 可能・不可能とまではいかずとも、向き・不向きはあると思います。ただ、ある程度やってみないことには、向き・不向きは分からないとも思います。そして、自分はその「ある程度」に達していない。ならば、「ある程度」に達するまで、研究を続けてみよう——それもまた、私の博士課程進学の動機でした。


 標準で3年のところ、7年半が掛かっているわけですから、「不向き」ではあったのかなと思います。

 しかし、フィクションの世界では、「やったか!?」がやっていないフラグである一方、「奇跡に縋るしかない一発勝負」は成功するものと相場が決まっています。事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったもので、私が博士号を取得できたのもそういう類いのことでしょう。

 もちろん、研究室の環境に恵まれた、というのは非常に大きいと思っています。

 そもそも成果を出せていなかった上に、家庭の事情で研究にまともに取り組めない状態になっていた自分を、辛抱強く指導・支援してくださった指導教員やスタッフの皆様には、本当に感謝しています。

 他の学生も、研究成果を出して周囲を引っ張っていくべき立場であるにも関わらず、何もできずにヘラヘラ笑っている私を、研究室の一員として尊重してくれました。


「なんだ、結局は運が良かっただけじゃないか」

 そう思われるかもしれません。合理的な否定の手段を、私は持ちません。

 かろうじて反論をするとすれば、「少なくとも自分の場合、博士課程に進学をしなかったら、この『運』に巡り合うことはなかった」ということに尽きます。


 

 言い訳がましいことながら、「いろいろな博士課程学生がいても良いのだ」と思っています。

 その上で、もちろん、誰も彼もが博士課程に行くべきだとは申しません。

 家庭の事情がおありということもあるでしょう。「博士課程に進学するよりもやりたいことがある(それは、博士課程にいてはできない)」という明確な目標があるのであれば、博士に行っている場合ではないかもしれません。

 しかし、「修士からバリバリ成果を出しているようでなければ、博士後期課程に進学する意味がない」は必ずしも真ではないと、私は思っています。少なくとも、ここに一人、反例がいます。

 そんなわけですので、まあ騙されたと思って、博士進学を検討していただくのも良いのではないかなと思います。

 そもそもフィクションを綴ることを仕事にしている人間の書くことですから、疑って掛かるぐらいがちょうど良いでしょう。



あとがきに代えて

 さて、「小説家が博士号取ったとか言っているけど、そもそも証拠はあるのか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

 証拠を用意するのは……私は顔出しをしてこなかったから、難しいですね。学位記に書いてあるのは本名ですし……すみません。


 やはり太宰治の作品である『走れメロス』に倣って、身代わりを差し出しておきましょう。

 私の友人の友人である「森 友亮(もり・ゆうすけ)」を紹介します。

 https://www.mori.ai

 私と同じ年の同じ日に産まれ、同じ年に博士号を取っており、なんと研究分野まで「自然言語処理」と一致しているのです。面と向かって話したことはありませんが、きっと博士課程進学に関する意見も同じくしていることでしょう。 


 そして、もしも「小説家・霧友正規」の活動にご興味を持ってくださった奇特な方がいらっしゃいましたら、

 https://www.kiritomomasaki.com

 こちらをご訪問いただければ嬉しく思います。


 この文章が、みなさんにとって、博士進学や博士課程での過ごし方を考えるきっかけになったり、

 あるいは、ちょっとした笑い(それが失笑であっても……)をご提供できるものとなっていれば、嬉しく思います。


 以上、長々とした文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。




※本企画で紹介する記事内容はあくまで有志寄稿者個人の意見であり、本シンポジウムの主催者・参加者の意見を代表するものではありません。