日本の博士課程を生き延びる
ライフハックと後知恵

(本記事は、コラム集企画『日本の博士課程〜若手シンポジウム’21 カウントダウンカレンダー〜』の2月7日の寄稿文です。)


南賢太郎と申します。博士課程時代の専門は数理統計でした。現在は、企業で研究開発的なタスクに従事しております。


本記事は「これから日本で博士課程を歩もうと考えている方へのエール」というテーマでの寄稿なのですが、正直なところ何を書くか迷いました。


なんでかというと博士課程、あんまり思い出したくないんですね。博士課程はさまざまな不安との闘いでしたが、ある種の不安は解消されずにそのまま今も残っていますし、卒業後のキャリアどうするかとかは自分にとっても現在進行形のイシューなので、キャリアアドバイスとかも偉そうにできないしなあ、みたいな感じです。要するに、自分の中で終わってない話なので、できない。


一方、統計学とか最適化とか機械学習とか、あと最近だと金融工学の話なんかも大好きなので、そういった話でしたらぜひお話ししましょう。こういったシンポジウムや学会とかでお会いしたときでもいいですし、Twitterは @ktrmnm ですので、よろしくお願いします。以上!


…で終わってしまってはさすがにバリューがありませんので、多少は役に立ちそうな話をしようと思います。


本記事のテーマは「ライフハック」と「後知恵」です。


(1) 英語での論文執筆に慣れていない人がどう練習するかなど、修士1年から博士3年目くらいの人までに有効で、かつ比較的即効性があるライフハック


(2) 博士課程時代に色々将来が不安だったが、結果論として大丈夫だったよ、というような後知恵


みたいなことについて書けたらよいなと思います。では、よろしくお願いします。



論文執筆とプレゼンについて


論文を書かないと学位が取れません。


ところが、「論文を書く」というのは複合的なスキルの集まりなので、進学当初から備わっているわけではありません。私もなかなか書けるようになりませんでした。よって、足りないスキルは、勉強して身につけるなり、足りないまま突き進むなりして、なんとか辻褄を合わせていく必要があります。


ではどうやって勉強するかというと、誰かに手取り足取り教わるわけにもいきませんから、基本的には「他の人のやり方を見て習う」ことになります。そこで、どうやったら効率的に習えるかがライフハックに相当すると思うので、書いておきます。


(1) 文章構造


論文とは構造的な文章です。構造的な文章には「型」があります。


迷ったらAdrian Wallworkの本を読みましょう。すぐに効きます。何冊かありますが、メインの武器は "English for Writing Research Papers" です。今なら、「ネイティブが教える 日本人研究者のための論文の書き方・アクセプト術」というタイトルで講談社から邦訳が出ています。組版は邦訳のほうが好きなのでおすすめです。


自分の研究分野(投稿先)で、うまいと思う何人かの論文を分解して構造を調べてみましょう。各セクションには何が書いてあるでしょうか。各パラグラフにはどういう情報が含まれているでしょうか。納得できる「型」が見つかったら、それを自分の研究に当てはめてみましょう。


例えばアブストラクトを書くときに、Natureのサマリーパラグラフの書き方 (https://www.nature.com/documents/nature-summary-paragraph.pdf) とかが参考になります。Adrian Wallworkの "Writing Exercises" にも参考になる型が載ってます。


(2) 局所的な文章の改善


わかりやすく自然な文章を書くのは難しいです。ですが、わかりにくい文章は大抵、ワードチョイスと文の推移の仕方が悪いです。


ここでは、自分が書いた文章のワードチョイスと推移の仕方を、自前で磨く方法について書きます。


ワードチョイスの改善にはHyper Collocation (https://hypcol.marutank.net/ja/) を愛用させてもらってました。これはArXiv論文の中から例文を検索できるサービスです。自分の頭で思いついた2〜3語の言い回しを検索し、ヒット件数が少なかったら何かが怪しいと考えて、シソーラスで似たような表現を探して再検索しています。用例が多い言い回し=今書いている文章で適切な言い回し、とは限らないんですが、非ネイティブの大学院生が適当に思いついた表現をそのまま残すよりは、一度多数決にかけたほうがよかろう、という感じですね。もともと、同様の目的でSpringer Examplerというサービスを使っていましたが、サービス終了してしまったので、そのあとはHyper Collocationを使っています。(面識はないのですが、開発者の丸田先生、本当にありがとうございます)。シソーラスは、Power Thesaurus (https://www.powerthesaurus.org/) のUIが気に入っていて使っていました。


文章の推移の仕方が悪いケースについてですが、文章というのは基本的に前から順番に読むものなので、途中で飛躍があると読む人はそこで脱落してしまいます。テクニカルな文章を書くときは、驚き最小化の原則で書いていく必要があります。例えば、文法的に正しくて接続詞も合っているのに、文の前の方に持ってくる情報 (主語など) の選択がうまくないと、つながりの悪い文章になって脱落率が上がります。前述のWallworkの "Writing Exercises" にはまさにそのための練習問題があったりするので、意識してみると読みやすくなると思います。似たような話で、日本語の文章のつながりを良くしたいときは、杉原厚吉『どう書くか―理科系のための論文作法』などを見ると良いと思います。(私の出身専攻では、卒論生にこの本の抄訳が配られていた記憶があります)。


(3) スライドの作り方とプレゼン


論文を書くこともそうなのですが、すべての技術コミュニケーションの目的は、伝えるべき相手とのバックグラウンドの違いを吸収するべく行うものです。なので、スライドの作り方とかプレゼンの仕方なども、他の人がどうしているかを定期的にチェックして、自分のやり方も新しくしていくのが良いと思っています。


スライドの作り方は、エンジニアやコンサルの人とかが書いた「わかりやすいスライドの作り方」みたいな資料がネット上にたくさんありますので、そういったものを定期的に見て自分のやり方をアップデートしていきました。


例:見やすいプレゼン資料の作り方 https://www.slideshare.net/yutamorishige50/ss-41321443


英語のプレゼンについては、今なら国際会議での他の人のプレゼンや、有名な研究者のセミナー動画などがネット上でたくさん手に入ります。そういう動画を見て、自宅でそっくり真似して練習したりしていました。


メンタルの保ち方


日本で博士課程に進学すると、色々な不安がありますね。研究業績が出なくて不安、経済的に不安、キャリアの先行きが見えなくて不安、などなど。そういうプレッシャーが色々ある中で、メンタルバランスを保っていく必要があります。


私はというと、修士二年くらいのときにかなり調子を崩しましたが、一方で博士進学もなんとなく決まってしまっていたので、修論はけっこうボロボロの状態で出し、博士一年の時点ではとりあえずメンタルを回復させるというのが課題でした。


後知恵もかなり含まれますが、博士課程にありがちなメンタル危機に対処する心構えについて書いておきます。


(1) 無駄なことをたくさんしよう


博士課程は業績RTAではない。研究と関係のない無駄な勉強をたくさんしましょう。


異論は認めるんですが、結局のところ博士課程というのはあなたの人生の一部なので、好きなことを堂々としましょう。


自分の大学院生活で最も輝いている思い出は、研究室や所属専攻のメンバーと、輪読会や自主ゼミの類をたくさんやったことです。研究では一切使わなかった本もかなり読みましたが、統計学や数理工学を好きにさせてくれました。


(2) 研究室や学会の人と話そう


人と話しましょう。どんなに研究進捗がなくても。


研究室のメンバーとコーヒーを飲みながら話したり、食事に行ったりするとリフレッシュになります。日頃の雑談タイムが多ければ、研究進捗が出なくなったときも、深刻な感じにならずに気軽に相談できるようになります。


国内学会に行くのも大事です。国内学会で発表するのは、業績的には重要ではない場合が多いと思いますが、それでも「学会にいつもいる人」と仲良くなることは心の安定に役立ちます。


自分が博士課程のとき、研究室の助教の先輩や修士の後輩にワーカホリックな人が多く、夜遅くまで研究室に残っていました。そうすると夕食は皆で食べにいくのですが、今思えばそういうのが心のセーフティネットになっていました。今、コロナ禍で難しい環境かもしれませんが、人と話す機会はぜひ大事にしてほしいと思います。


(3) 食事と睡眠はしっかりとろう


お金、ないですよね。でも食べましょう。

進捗、ないですよね。でも寝ましょう。

結局のところフィジカルな健康が重要です。


お金をかけないために食事を惣菜パンとかで済ます院生がたまにいるんですが、血糖値が乱高下すると鬱っぽくなります。知らんけど。肉や魚をバランスよく食べましょう。私は習慣的に運動するのは苦手なんですが、運動もした方がいいと思います、たぶん。


ただ、筋トレは全てを解決する、みたいなことは言いませんので、体や心の調子がちょっとでも悪いなと思ったら、お近くのカウンセラーや病院へ。


博士課程を出てよかったこと


最後に、博士課程を出てよかったと思うことについて書きます。


(1) 偏っていることの強み


私は、博士卒業後は民間企業の研究職に就職しました。


一応、フェアであるために言いますが、「日本の博士課程」を出て「日本の企業」に就職する場合に発生するデメリットは、就職後も感じることがあります。例えば、日本では学部〜修士で卒業して企業に就職する人が多い中、博士課程に進学することで、ビジネスパーソンとしての経験年数はその分失われることになります。博士課程を卒業した人材のスキルは偏っているのです。これは、同様のキャリアを考えている現役の博士学生にとっても不安の種だと思います。


しかし、あえて言いますが、そもそも何らかの意味で偏った人材になるための博士課程ですので、自信を持って大丈夫です。

一定期間何かに没頭したことで得られたものは、どのような仕事に就いても必ず強みにすることができます。


自分の場合、博士課程で得たスキルで研究以外の場面でもそれなりに役立っているのが、テクニカルライティングとプレゼン、つまり色々な場面に合わせた技術コミュニケーション能力でした。特に技術文書のライティング作法を身につけるには、ある一定期間没頭して練習することが重要なので、博士課程を出たということがすぐに強みになると思います。


(2) 研究で得たつながりは続く


研究を通して得た繋がりは就職後も失われないし、新しい形で続いていきます。


私自身、卒業後にも国内学会の運営として誘われたり、研究合宿を主催したり、論文の共著や本の翻訳プロジェクトに誘われることがあります。博士課程で研究活動をしていた時期があったからこそ、こういった繋がりが続いていきますし、技術を身につけるということだけではない博士課程の裏の価値なのではないかなと思います。


つい最近、博士時代の研究について、海外の大学のセミナーで、今まで全く面識のない人からトーク依頼が来ました。コロナ禍でオンラインでのセミナーが増えた結果、従来なら交通費が高くて呼ばれなかったような人でも気軽に呼べるし、呼ばれるようになりました。対面で話せないし一緒にコーヒーも飲めない、ホワイトボードも気軽に使えないですが、すごく遠くに住んでいてもセミナーができるというのは良いことなのではないかなと思います。皆さんもぜひ、研究を通して色々な新しい繋がりを構築していって欲しいと思います。


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以上、とりとめのない感じでしたが、ひとつぐらいは誰かの心に響いて、博士課程における「迷い」を取り除く助けになればと思います。


それでは、これを読んでくださった皆様、今後ともよろしくお願いいたします。Twitter: @ktrmnm