2025年2月に頒布した本の補足です。
これまでは、あくまで私が作ったものへの個人的価値観としては、漫画で描いたものを文章で説明や補足するのは蛇足、という捉え方でした。
その上で、二次創作を初めて人目に触れる場所に置くようになってから意識しているのが「断定させない」ことです。いくつものIFを残せるような会話、動き、場面の切り取りをしたほうが、楽しいかなと思ってそうしています。
ただ、今回のモブの本は一次創作的要素も多いせいか、上記2つの考えが部分的に相反します。蛇足が必要ないくらい描き切りたいけれども、断定させないことで生まれる楽しさは、それで損ないたくない。
このあとに続く補足も、そういう気持ちはあるままで書いているので、非常に歯切れの悪い文章になっているかもしれません。
●由利刑事と降谷がコーヒーメーカー(ネスプレッソ的な)の前話す夜のシーンについて
所謂「そしかい」直後のシーンです。
後始末のための合同捜査会議室とは別にブレイクコーナーが設置されているイメージ。
私が好きなドラマ「踊る大捜査線」でもそのようなスペースがありました。
忙殺されつつもずっと梓さんやポアロのことを考えている降谷。四課の担当する反社会組織に残党やつながりのある者が居ないかなど、裏取りから一旦戻りの由利。
ここで会話はしていますが、降谷からは由利刑事はあくまで「所属がわかる刑事のひとり」として認識されている程度で、由利刑事からは「功労者」や「お偉いさん候補」という認識。親近感は特になく、あくまで会社組織で同じ企画の別部署の上下関係あるひとです。
降谷のおかれた立場や思いとかそういったことには、由利刑事は頓着していません。ただ、
「…まぁそろそろ、いつも飲んでる自販機の味すら恋しくなってきましたけど」
この部分には、現場を走り回る部下を抱える中間管理職として、少しだけ皮肉を込めています。由利刑事は、自分の立場から見えるひとを考えるという仕事があるため、上のひとに言えるときには言う必要があります。ただ、そのあとの会話で「あ、このひと皮肉伝わってないな」とちゃんと感じ取ってます。
降谷はそういう会社員的なやりとりには、天然ぽさがありそうだなと思います。ヒーロー的なキャラクターはそういう忖度は不得手であってほしい。
そんなふたりなので、由利刑事の
「簡単じゃないかもしれませんよ」
は、ただただ素直な感想であり世間話です。
降谷にとっても、由利刑事にとっても、この時の会話や言葉に大きな意味は与えられないものなのです。
この物語のなかではあくまでモブが主体なので、この会話に意味がありそうですが、降谷がここから動くまでに、すでに風見もいますし、そのあとDC界のメイン人物のだれかにも出会う可能性の方が高いです。誰にどんな言葉をかけられるかはわかりません。いくつものIFが、このあとにあると思っています。
私の考え方ではあるのですが、人がなにかを選択したり決定することに、わかりやすいきっかけなんて無いのでは、ということです。あの時のあれがきっかけだった、なんて言うことはすべて後付けや願望です。その人には潜在的に「それ」に対する思考や行動があり、結果があります。
後付けや願望できっかけを作るのは、そのほうが人生がドラマチックで楽しいからだと思います。創作ならなおさら、ドラマチックで楽しいほうを選択すべきだと思います。
しかし、今回は「モブ」なのです。ドラマチックを作るきっかけにはなり得ない存在でいてほしいのです。
ただ、漫画的演出をしてドラマチックに見せる「嘘」は入れたつもりです。そのため、この場面を「きっかけ」と捉えても演出的には成功なのですが、テーマとストーリーとしては矛盾していると思ったのです。
人に読んでもらえるように作ったからこそ、嘘と演出のさじ加減が難しいけれど、面白いなと感じました。
いままでは、本当に自分で自分の作ったものを説明することに少しの後ろめたさを感じていましたが、ほかの漫画の作者の文やおまけや制作秘話は積極的に見聞きしに行っている自分がいるのは事実なので、ここも含めて面白いと思ってもらえたら嬉しいです。
もし、これを読んで「ここは何か意識してたのか」「これってこういうこと?」など質問がありましたら、waveboxやプライベッターにてお送りください。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。