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発表題目:「現代パキスタン都市部における女子大生のパルダ実践―パンジャーブ州ラーホールの事例―」
本発表においては、現代パキスタン都市部における女子大生のパルダ実践の様相を明らかにすることを目的とする。先行研究においてパルダとは、インド、パキスタン、バングラデシュを中心とした南アジア地域に広く存在する男女分離や女性隔離の制度であると定義されており、その実践として身体的に居住空間を分離することと、女性が顔や身体を隠すことの2つの側面が存在するとされる。パルダにおける女性隔離は、女性に対して抑圧的であるとしてしばしば批判されてきた。しかし、現代パキスタン都市部の女子大生は、生活を送るなかで様々な空間/場所を横断している。このような行動は、女性隔離の価値観からすれば規範からの逸脱ともとれるが、筆者の調査によれば、女性たちの多くはパルダを実践していると述べる。本発表においては、女子大生たちのパルダにまつわる語りを分析することによって、彼女たちがどのようにパルダを実践しているのかを明らかにする。
発表題目:「ウルドゥー語資料に見る20世紀初頭のカーブル」
19世紀末からアフガニスタンはカーブルを中心とした国家体制整備を推進し、制度や社会の近代化政策を実施した。このため、地理的に隣接するインドから多数のムスリム知識人たちを招聘して、新たな知識や技術、さらには教育機関の整備を行った。これにより、20世紀以降のカーブルには多数のインド・ムスリム知識人たちが滞在したが、その中のいく人かはその当時のカーブルについての政治・社会などについてウルドゥー語による記録を残した。当時のアフガニスタン側の記録は公的内容に限られているため、政府内の人的関係や社会的諸相についての観察といった記録は存在しない。本発表では、インド・ムスリム知識人が記したウルドゥー語資料の記述から、20世紀初頭のカーブルの政治・社会などの実相を描き出すことを目的とする。
発表題目:「食べ物・薬・祭儀―現代ネパールにおける糖尿病患者の実践―」
本発表の目的は、現代ネパールの糖尿病患者たちが、断食や食事制限を含む儀礼や祭儀に際してどのように食事の摂取や薬剤の服用を解釈し、実践しているのかを明らかにすることである。
ネパールにおける多くの糖尿病患者は近代医療病院や薬局で診察を受けており、そこでは近代医学や栄養学に基づく食事療法、薬剤服用などが治療方法として指導されている。一方でネパールのヒンドゥー社会では儀礼に際して共食や断食、食べても良い食物が限定されるなどの食事制限が重視される。近代医療的な食事療法と、祭儀における食事の決まりは時に両立が不可能で、患者やその家族の間に葛藤を生むこともある。本発表では、シバ神に祈りをささげる女性のお祭りで、1日の断食を必要とするティージと、食事制限が必須とされる葬送儀礼に注目し、チェットリカーストの糖尿病患者たちが家族とともに身体や食事・薬剤を再解釈し、儀礼に関わる様相を考察する。
発表題目:「僧衣が「修行者」をつくる?―インド・ヒンドゥー女性の出家と衣服のエージ
ェンシー―」
本発表は、インド・ヒンドゥー社会で世を捨てた女性たちがどのように自己を「修行者」として構築していくのか、衣服に着目して検討することを目的とする。従来ヒンドゥー教の出家過程は、グルへの入門及びグルの指導のもとで経験する儀礼や苦行実践を中心に論じられてきた。その一方、女性行者にフォーカスする研究では、そうした儀礼重視・知識偏重の修行法に批判もなされてきた。そこで、男性中心の出家制度に対し女性たちがそうした制度や在地の宗教的慣習を活用しながらどのように「修行者」になっていくのか、衣服の発揮する力に着目して考察する。インド社会では、衣服は単なるモノではなく、さまざまな意味・価値を包含する物質=記号として着る者の地位や人格、社会関係を左右する。本発表では北インド・ハリドワール郊外で暮らす女性行者の事例をもとに、衣服のエージェンシーという観点から出家の制度と実践をとらえなおしたい。
発表題目:「斜線を描く―現代インドのアンベードカライト運動と異カースト間結婚―」
1957年以降のポスト・アンベードカルの時代、ダリト運動は暴力性を強めつつ男性中心主義的運動として展開してきた。この運動の指針を示した「不可触民の父」アンベードカルは、著書『カーストの絶滅』(1936)で「カーストを破壊する」のが異カースト間結婚であると論じた。父親や兄弟といった男性親族は女性の結婚相手を適切な範囲にとどめ、カーストの浄性を維持し階層秩序を保とうとする。ここで最も批判されるのは上位カースト女性と下位カースト男性の駆け落ちである。一方、下位カースト男性は異カースト間結婚を通じて、家父長的な社会秩序であるカースト階層を覆そうと試みる。これは女性を管理する上位カースト男性親族とダリト運動を率いる活動家男性の間の「男らしさ」をめぐる争いである。それでは家族の「名誉」を最も汚すダリト男性との異カースト間結婚をしたカースト・ヒンドゥー女性は、どのような「闘争」を行ない、いかなる倫理を生み出すのか。
発表題目:「1984年デリー暴動(シク教徒虐殺事件)の被害者の「記憶」と共同体の関係」
本発表は1984年10月末~11月にかけてインドの首都デリーで発生したシク教徒に対する虐殺事件、いわゆる「デリー暴動」を研究対象とし、被害者のもつ暴動の記憶とシク教徒の歴史の一つとして語られている暴動の記憶(集合的記憶)の関係を考察するものである。
「デリー暴動」は数千人規模の犠牲者が出たものの、現在まで被害者側が求める十分な真実の追求および適切な加害者処罰、補償が行われておらず、被害者による正義追究運動が現在まで行われている。追悼式典の開催や政府への正義追究運動によって確固たる存在のように見えている「被害者共同体」だが、2015年~2017年にかけて行った現地調査の結果の分析を通して、それが一枚岩の存在ではないこと、また、その共同体から暗に除外されている被害者層の生活実態を提示し、現在の共同体運動の問題点を指摘する。
発表題目:「ラヴィ・ヴァルマー再考―インド近代美術史の再構築へ向けて―」
本発表は、植民地インドを代表する画家ラージャー・ラヴィ・ヴァルマー(1848-1906年、以下ラヴィ・ヴァルマー)の晩年の画業に関する考察をとおして、歴史記述としてのインド近代美術の語りを再検討する試みである。ヨーロッパのアカデミズム絵画に則り、インド的主題を油彩で描いたラヴィ・ヴァルマー作品は、現在も絶大な知名度と人気を誇る。一方で、その写実性は現実の再現の域を出ないとして、純粋美術としての評価は必ずしも高くない。こうしたラヴィ・ヴァルマー認識に再考を促す資料として、本発表では、画家が晩年に制作した油彩画群(いずれもケーララ州シュリー・チトラ美術館蔵)を取り上げる。これらの作品に観察される印象主義の影響を検討し、さらには印象主義が、インドの民族主義的な芸術運動においても学習された事実を指摘することにより、インド近代美術における西洋美術の摂取とその脱構築が、複層的かつ多方向に展開した可能性を論じる。
発表題目:”Mohandas K. Gandhi’s sartorial experiments: Context, Metamorphosis, Mass
Mobilization, and Clothing a Nation”
Clothing, no matter one’s caste, class, creed or region, in India today is largely a function of profession, sartorial taste, and certainly price. Fashion is an important aspect for many, but meaningless to India’s naked millions.
Mohandas K. Gandhi (1869-1948), architect of India’s nonviolent political struggle for independence, is arguably the foremost Indian leader who gave meaning to problem of what to wear and how to clothe a naked nation. Why? Gandhi is attempting to “decolonise the body and re-Indianise it.”
Western civilization is an abomination to Gandhi, as explained in Hind Swaraj or Indian self-rule (1909) and the British robbery of India of its immense wealth and skill in cotton production an awful act. This resulted in penury for millions and was a serious affront to many, if not most, Indians. Gandhi with his genius for grasping the popular sentiment seized on this general resentment.
More importantly, European clothes metaphysically molded the Indian body and mind to be subservient to the British, and distanced Indians from their spiritual traditions. Clothing is a means for Gandhi. It is a powerful and productive tool in Gandhi’s nonviolent arsenal to get rid of colonialism, mobilize the masses, and forge a national spirit. This is the end.
The context of dress for Gandhi was not only semiotic, but involved profound questions of identity, interpretation, image, and intention.
Gandhi was no mere theoretician on aspects of clothing but himself underwent a veritable metamorphosis in his process of “sartorial experimentation.” Chronologically this was a four-stage process: 1. Law student in London (1888-1891); 2. Lawyer in South Africa (1893-1914); 3. Stripped naked as a prisoner in Johannesburg in 1908; 4. Return to India (1915-1948).
Some questions Gandhi asked himself were: What is the significance of cloth in Indian life? Are clothes merely symbolic and what precisely do they personify? How do impoverished Indians clothe themselves with dignity, frugally, and productively? Can a nation discover a method to weave yarn into cloth which is a means to a productive livelihood, functional, arousing mass appeal, symbolic, cheap, bonding, and a means to nonviolently subvert raj (rule)? The fundamental purpose was to liberate the Indian body from its foreign wear, while clothing its nudity in self-made cloth.
Gandhi’s practical answer to Manchester’s tyranny of dumping cheap cotton in India is to get every Indian to spin cheaper khadi (hand-woven cloth), through which swadeshi (self-reliance) spirit is kindled and swaraj (independence) attained. “The whole country will be clothed in khadi. This is my dream. This is a fight to [the] finish,” said Gandhi.
発表題目:「東ネパールのダカ織―生業と日常生活の視点から―」
本発表の目的は、東ネパールにおけるダカ織生産と流通の現状を、その生業と日常生活における布置から検討することである。
リンブー民族によって農閑期に生産されていたダカ織は、1970年代からイギリス政府とネパール政府が協同で実施した開発援助プログラムにおけるフェアトレード財として生産されるようになった。その後工房における生産も開始した。しかし現在は、家内生産が最も多くされている。そうして家内生産されたダカ織は、ローカル店舗や個人の顧客からの買取を通じて、ネパール国内だけでなく、ネパールの人々が出稼ぎをして暮らす海外にも流通している。
本発表では、家内生産されるダカ織に着目し、ダカ織が日常生活においてどのように生産されているのか、他の生業とはどのような関係にあるのか、さらにどのように取引されているのかについて、明らかにする。
発表題目:「ジャイナ教徒在家信者を取り巻く教義と生活環境―日本とインドの食実践を
事例に―」
本発表ではジャイナ教徒在家信者の食実践に関する報告をおこなう。具体的な事例となるの は、兵庫県に集住するインド人ジャイナ教徒及びインド、デリーで暮らすジャイナ教徒だ。本報告 は両者の比較を通じて次の三点を明らかにする。すなわち、食実践と教義の関係、食材入手の方 法、周囲の生活環境である。ジャイナ教徒の日常的な食実践を形作る主な要因は、不殺生の教義 と彼/女らのおかれた環境だ。教義により、肉魚卵に加え、根菜類や蜂蜜、種の詰まったナスやトマト等の野菜を食すことはなく、また、彼/女らが自ら野菜や果物を収穫することもない。そのた め、食物生産の過程から切り離されている。他方、生活環境に目を向けると、ジャイナ教徒は数 的少数者であるため、常に他の信仰をもつ人に囲まれ生活をしている。以上のように、ジャイナ教徒在家信者を取り巻く宗教教義と生活環境に注目し、規範における実践のあり方を検討する。
発表題目:「ジャイナ教の瞑想とタントリズム―空衣派Śubhacandra著Jñānārṇava 34-38章を中心に―」
当発表の主題は空衣派シュバチャンドラ(Śubhacandra; 約11世紀)の『ジュニャーナールナヴァ(Jñānārṇava) 』(以下JA)に説かれる瞑想(dhyāna) におけるタントリズムの影響についてである.
ジャイナ教では伝統的に瞑想を「苦悩・残忍・美徳・純粋(ārta, raudra, dharmya, śukla)」の四種類に分けている。JAはこの四区分構成を採用しつつも、この区分に含まれない新しい四種類の瞑想法を説く。 その大きな特徴は地水火風の四大の想起によって個我を純化する観想法や、マントラの念誦や布置などのタントラ的な修行法の発想が取り入れられている点である。JAの瞑想論の研究を通じて、 ジャイナ教がタントリズムの流行をどのように受容していたのか明らかにするための重要な手掛かりとする試みである。