はじめに
本作品はフロンティアファクトリー様PBW『ゆうしゃのがっこ~!』登録キャラクター、フィリン・スタンテッド(id:210)設定に関する私小説(二次創作)です。
学園入学前の前日譚です。学園の事は会話の中くらいしかでません。
内容には非公式の設定、世界観に関する独自解釈(言及されていない地理・行政の補完、生死描写)を含みます。
タイトル通り、フィリンは死にます。その他一部に暴力・死亡描写あり。
自分がなぜライアと呼ばれたのか、ライアは何も知らない。
親は知らず、ファミリーネームも勿論ない。
少女のもっとも古い記憶は、自分が盗賊団に雑用奴隷として拾われたこと。足手まといのガキを養う馬鹿はいないだろうから、当時の歳は四つか五つくらいだったのだろうと本人は考えている。
彼女を買った盗賊団『灰犬の団』は一般的な……義賊や政治結社の類ではない、頭目バークレイの手腕とカリスマだけで成り立つ社会不適合者の掃き溜めだった。
ライア達奴隷は、その掃き溜めの更に下。
『俺たちが世間のクソなら、てめーらはそのクソにたかるクソ虫だ! いいかクソ虫!』
『役に立つ間は生きる事を許してやるクソ虫! 嬉しいか! 嬉しいと言え!』
不平不満のはけ口、暴力の受け皿、慰み者。奴隷商の手もつかない少年少女の扱いは悲惨を極めるものだったが、ライアは団の空気が嫌いでもなかった。
馴染んでしまった、といってもいい。
奴隷として拾われて一年ほど、同期があらかたくたばるか、売り飛ばされた頃には
『ライアは使い易いからな』
と、盗賊たちが口を揃えて言うようになった。
立場こそ奴隷のままだが、仕事の手伝いや、新入りの世話まで任されだした。
ライアは賢しい子供だった。
察し良く、飲み込みの早い少女は過酷な環境の中、周囲が求める自分を演じ、使い分ける術を伸ばしていった。
年を重ねると、殴られる回数も劇的に減った。
生死問わず入れ替わりの激しい盗賊団において、幼少期から十年近く生き延びたライアは奴隷のままながら、団共有の情婦とでもいうような確固たる地位を築いていた。
「辺境領ってヤバい奴がいるんだろ? ヤバくね?」
「だからカシラは、マゴさんに行けって言ったんでしょ。頼られてるんですよ」
自分より二回りは年上の、しかし頭の中身は半分もなさそうな盗賊に、ライアは何度目か溜息をつく。
アホをわかりやすくおだてるのは大変だ。
「カシラの言う通り、堂々としてりゃバレませんよ。『英雄殺し』のマゴさんなら」
「おぅ、そうだな。連中はお人好しのバカばかりだからな!」
男の二つ名が自称で、正体が雇い主を見捨てた傭兵崩れにすぎないことをライアは酒の席で聞いた。失態には知らぬふりで、『私は信じてる』と担ぎ上げるのがバカを使うコツだ。
馴れ馴れしく男は腕を回してくる盗賊に、ライアは心中で冷めた溜息をついた。
「よし、いくぜレン。『仕事』が取れたら、ベッドで一晩中よ」
「恋人ですかそれ?」
「あぁもう、皆まで言わせんなって!」
ランでもレンでもライアでも、別に名前なんてどうでもいいが、男が上機嫌ならとライアは偽名を使わせてもらう事にする。
今のライアたちの姿は辺境へ仕入れにきた旅の商人一行、ということになっている。
『灰犬の団』は決して無理をしない。細かに情報を集め、狙えるところで狙えるものを狙う。隙がなければ作り出す。
生き馬の目を抜くならず者たちの界隈で『灰犬の団』が十年以上も生き延びてきたのは、傭兵上がりのバークレイが作った、このセオリーあってこそだ。
「見ない顔だな」
「はい、わけあって王都の方から流れてきまして……ダンナ様と、商いの場を恵んでいただけないかと」
「あぁ、おぅ。そういうわけでよ、この辺詳しくねーんだけど」
街につくや、人の好さそうな衛兵を選んで声をかける。
スタンテッド領の街は辺境にしては栄えているが、ギルドが幅を利かす大都でもない。魔族や魔物の脅威が天災程度と化した現代、いかにも訳ありな、哀れな商人夫婦でございという風体には疑いより同情が先に立つものだ。
「取り扱いの品は?」
「えー、織物と……あぁ武具の類もお持ちしましたが、御興味ございませんかね?」
「武具はなぁ。まぁ領主様に言伝はしてみよう」
盗賊たちの拙い演技にハラハラしながら、ライアは詰所の中を覗き見る。武具は手入れされているが、使い込みはそこそこまで。
詰所の空気は程々に張っており、人数は少ないながら訓練は行き届いている。スタンテッド辺境伯は強力な勇者を代々輩出している家系と聞いたが、兵の方はどうだろうか……。
「珍しいわね、旅の方?」
背後からの声に、ライアの身体がびくりと跳ねた。
思わず身構えて振り向くと、そこには栗毛の騎馬の姿。そしてそれを駆る鎧姿の人物が、今まさに詰所前に降り立つところだった。
「フィリン様!」
「お仕事ご苦労様。彼女たちは?」
女だと?
ライアは目を白黒させる盗賊たちに舌打ちし、衛兵たちの敬礼を手で制した女性に思わず身構えた。
『綺麗な人だ』
それが最初の印象だった。
風に揺れる長い髪は漆黒、ライアを見つめる瞳は蒼。
髪も瞳も同じ色だが、似ても似つかない。無駄なく鍛えられた四肢はほどよく張り詰め、早駆けしてきた汗が健康美を彩っていた。
機能的なノースリーブのインナーにジャケット、上半身を守る金属製の部位鎧は仕立てよく、何より清潔だ。
男どもがざわつくのも無理はないが、そう思うと逆に美しさが腹立たしくもなってきた。
「……どうしたの?」
「いえ……失礼、しました。その、イヤな事がありまして」
不思議そうなフィリンの顔に、ライアは素早く算段を巡らせる。その表情からみて、まだ自分たちの正体はバレていない。
身を固くした事にやましいことを疑われるかもしれないが、だったら先に言ってしまえばいい。
ここまでの話に加え、素早く身の上話をでっちあげ、役立たずどもにここは任せろとジェスチャー。震える声を絞り出す。
「山を越える時、盗賊に……何度も、何度も、狙われて……その」
「そう……驚かせてしまって、ごめんなさい」
そっと目線で指し示すのもポイントだ。
一見して傷一つなく手入れされた部分鎧の片隅、脚甲のかすかな赤染みに気付いた自分をほめてやりたいと、ライアは心中でほくそ笑む。
恐らくこの女剣士は狩りか、魔物退治かに出向いた帰りなのだろう。
『少女は自分の鉄と血の匂いを怖がったのだ』
『いらぬ詮索の結果、自分はいたいけな少女を怯えさせてしまった』
この二つが刷り込まれれば、もうフィリンに余計な詮索はできないだろう。
不自由なく暮らす街のお人好しの間抜けどもが、自分の演技にコロコロ騙されてバカ見る様はライアにとって至上の喜びだ。
「返り血は綺麗にしたつもりだったのだけど……商人は目鼻が利くのね。森でコカトリスのつがいを見たと知らせを受けて、退治してきた帰りなのよ」
貴重な情報をペラペラと喋ってくれるフィリンを内心バカにしつつ、ライアは要注意人物にそっと彼女の名を追加する。
七面鳥打ちのように言うフィリンだが、コカトリスは石化の呪いを宿した手強い魔物だ。それを二体同時に相手取って傷一つない強さは、軽く常軌を逸している。
衛兵たちが残らず礼をする態度と見るに、彼女こそが噂のスタンテッド家の当代勇者と見て間違いなさそうだ。
「いえ、こちらこそ……お疲れであろうところを失礼しました……フィリン、様」
「ううん、気にしないで。勇者は力なき者の剣たることが仕事、それなのに……まだまだね、私も」
「あぁ、いえ……ウチのが勝手に騒いだだけでさ……ご心配なく、すぐお暇しますんで」
ようやっと話に追い付いたマゴたち盗賊が割り込んで来たのにあわせ、ライアは話を打ち切りにかかる。
ライアの本能が告げている。これ以上の長居は危険だ。
「そう? 長旅でお疲れでしょう。お詫びといっては何ですけど、よければ……」
「いえ、平気です! この後はく、組合も回らないといけないので!」
宿を用意させましょう、というフィリンの声にライアは被さって声を荒げた。
こっちは街の外に仲間も待たせているのだ、紐付きで拘束など冗談ではない!
「うん? ま、まぁ無理にとは言わないけれど……じゃあ、名前くらいいいかしら? 私は……もう聞いているようだけど、フィリン・スタンテッド。スタンテッド辺境伯第一子、及ばずながら当代の勇者を務めさせてもらっているわ。あなたは?」
「えっ、あ……ライア」
しまった、と気づいた時には遅い。完璧な礼に圧倒され、思わず名乗ってしまった。
「……そう、ライアね。旦那様は? ……そう、ありがとう。スタンテッド辺境領へようこそ、マーゴさん。よき商いを」
「あ、へい。フィリン様も良き日々を……へへ……」
衛視たちには口にしてなかったが、台帳にはどの名前を書いていただろうか?
人の気も知らず応じる仲間たちに舌打ちするライア。その手放した台帳を確認するチャンスはとうとうやってこなかった。
街での一夜が明け、ライアの調子は最悪だった。
「殺すぞ、クソが……」
頭が痛い。ケツも痛い。
さっさとカシラの待つキャンプに帰りたい。新入りどもの手綱を取ってやれというのが頭目バークレイの意向とは理解しても、やっぱり無理だ。
「それもこれも……あのフィリンとかいう野郎……!」
当人が全く関知しないところで、ライアのフィリンへの評価は最悪のド底辺になった。
そのいかにも清楚で貴族のお嬢様でございという清廉潔白さ、その癖やたらと強そうで、それを鼻にかけない謙虚さ、全てがライアを苛立たせる。
あの髪と瞳も大嫌いだ。なんで自分と同じなんだ。お陰でフィリンだ、お前はフィリンになるんだと無責任な酔っ払いどもに絡まれ自分は満身創痍だ。
すっかり舞い上がったバカ連中がアイツを攫おう、奴隷にしよう等と身の程知らずを言い出し、酒の力で暴れまわるのを宥めすかして一夜は明けた。
結局フィリンが休めたのは夜明け前、疲れ果て気を失っていた一刻だけだ。
「ぜってぇ殺す……マゴの役立たずも、フィリンの野郎も」
呑気に眠りこける酔っ払いどもに毒づいたライアは結局、一人で仕事をやることにした。
カシラから預かった工作資金はそう多くないし、潜伏している連中の暮らしも似たようなものだ。
さっさと稼ぎに繋げなければ十数人の盗賊団は揃って間抜けに行き倒れてしまう。
「もうネタは充分だよな……後は地図だな」
内股でふらつきながらも、ライアは賑わい出した朝の街を散策する。
詰所の場所、商店街の構成、通り同士の繋がり……全てを頭の中に詰め込んでいく。
それらをカシラに伝えれば、彼は素早く完璧な侵攻計画を作り、実行してくれるだろう。
酷い目に合わせてくれた礼だ、この辺境領ことごとくを徹底的に貶めてやる……。
「あら、ライアじゃない。どうしたの?」
「ッ!?」
振ってきた明るい声が暗い情念を中断させた。
嫌いなフィリンにもう一つ追加だ。この女勇者様はいつもなぜか、ライアの全く気付かぬところから突然に現れる。
昨日と同じ鎧装束で愛馬に跨る姿は、そうそう見落とすものでないはずなのに。
「フィ、フィリン……様。どうか、なさいましたか」
「ライア、すごい顔になってる」
街行く人々の挨拶へ律儀に答え、下馬したフィリンは中腰でライアと視線を合わせ、そういった。
インディゴの瞳に映る自分と、その瞳の主の曇りなき顔に、思わずライアは目を逸らす。
「あ、いえ……これはっ」
「ちょっと昨日、気になったのだけど……マーゴさんとは、随分と年が離れているのね。見当違いで気を悪くしたら謝るわ。けどもし、あなたが……」
「だ、ダンナ様はあたしの恩人です! ダンナ様は悪くありません!」
再び、しまった。
いたいけで貞淑な商人の妻の顔を被りなおそうとして、言葉選びを間違えてしまった。これではマゴたちが少女を囲う暴力的な亭主と肯定したようなものだ。
寝不足と疲労で頭が回っていない事を自覚し、ライアは何度目か、役立たずどもへの怨嗟を心中にぶちまけた。
「……こんなところでする話じゃなかったわね、ごめんなさい」
「いえ、すいませ……っ!?」
だがまぁなんとかやりすごせたか……そう思ったのもつかの間、ライアは自分が宙に浮く感覚を覚えた。
それがフィリンに担ぎ上げられたのだと気付くまで、数瞬。気づいた時には乗せられた馬が勢いよく走り出していた。
「あの、ちょっと!?」
「時間は取らせないわ、帰りも送ってあげるから! ハッ!」
この有無を言わせない強引さも勇者の素質なのだろうか?
ライアの中に、大嫌いなフィリンがまた一つ増えた。
――ライアが連れ出された先は、街からほど近い森の泉だった。
『少し休んだほうがいい』というフィリンに逆らう事もできず、ライアは膝枕の恩恵を受ける事にする。
痛む体の節々に当てられる、濡れたタオルの感覚が心地よいのが悔しい。
「――ねぇライア。勇者の使命って、魔物退治だけじゃないのよ」
「悪党退治もですか」
隠し切れなくなった不機嫌さで皮肉るライアに、フィリンはそうじゃなくてと困り顔をしつつ、一拍おいてフッと笑った。
「素顔、少し見せてくれたわね。ライア……それとも『レン』って呼んだ方がいい?」
「……ライアでいいです。詰所では、申し訳ありません」
やはり、やってしまっていた。
台帳に書かれた名前との違いを指摘され、ライアは観念した。同時、まだ全てばれたわけではないと、必死にストーリーを作り直す。
「……でも、ダンナ様は悪い人ではありません。奴隷だったあたしを助けて、駆け落ちして……。あ、ちょっと酒癖が悪いところはあって、昨日はそれでですけど……でも」
「落ち着いて、ライア。わかってる。マーゴさんを捕まえたりはしないわ」
起きかけたライアの上半身が、フィリンの手に優しく抱えられた。
「さっきの話の続き……勇者の使命について、たとえば『フトゥールム・スクエア』ではこう案内しているわ。『悪を挫き、正義を助ける救世主』」
「ゆうしゃのがっこ~……が、ですか?」
『フトゥールム・スクエア』。勇者候補生を養成する世界に名だたる魔法学園の事は、ライアも耳にしたことがあった。
返事の気が抜けたのは、あまりに現実離れしていたからだ。フトゥールム・スクエアに限らず、教育とか、学校とか、そういったものはライアにもっとも遠い存在の一つだった。
「そう。私も今度……お父様も御歳だから、短期コースが精々でしょうけど、受講に行くことになったの……って、なんだか話が逸れちゃったわね」
悪を倒し尽くしても、そこに民草がなければ世界は成り立たない。
魔王が封印され、魔王事変と呼ばれる世界の危機が去って以降も、魔族たちの反攻に土地や生命を失う人々は相次いだ。
勇者が悪を討つ影で、疫病や飢饉、手の届かない場所で犠牲になる人は多くおり、それが収まるには魔王事変終結から十世紀、勇者歴千年近くまでの期間が必要だったという。
「だから悪を倒しても、それだけで満足してはいけないの。正しく生きようとする、力なき人を助ける事も、勇者の大事な使命なのよ」
「だからお節介を焼くんですか。昨日たまたま会っただけのあたしに? 街の人から取り上げたお金で?」
難しいことを言っても、結局自分のためじゃないか。たまたま自分たちが目についたから、いいことをして気持ちよくなりたかっただけだろうに!
声のトーンが意地悪く落ちるのをライアは止められなかった。
「そうね。ライアの言う通り、自己満足の理想なのかもしれない……でも今、ライアが困っていて、それを助けられたら、明日はライアが街の皆を助けてくれるかもしれない」
「もし……あたしが『正しい人』じゃなくて、あんたを利用しているだけの小悪党だったら?」
別に困ってないし、助けられてもねぇよ!
叫びを辛うじて飲み込んだライアの問いに、フィリンは言った。
「とても悲しいけれど……また別の人を助けるわ。何度でも。商いだってそうでしょう? みんな信用ならないと決めつけていたら、誰にも何も売れなくなるわ」
「わかったような事いうなッ!」
気づけばライアはフィリンを突き飛ばしていた。
突然のことに対応できないフィリンへ唾を吐き、一目散に駆け出していた。
限界だった。
「わかったような事ばっか言いやがって! クソがっ……ふざけんじゃねぇ!」
ありとあらゆる不平不満が口をついて叫び出る。
世俗の薄闇に馴染んだライアにとって、フィリンは眩しすぎる太陽だった。
不自由なく育ち、愛され育った者だけがもつ余裕と情愛の陽光は、他人の不幸に愉悦する少女の心を容赦なく焼いた。
「汚してやる……そんな綺麗事、二度と吐けねぇようにぶち壊してやる……!」
自分がいかに卑しい人間か、どれほど哀れな生い立ちか。
突きつけられた事実に、ライアは呻くように泣いた。
「おめぇには失望したぜ、ライア」
「なんで!?」
話を聞いたバークレイの溜息に、ライアは思わず叫んだ。
「隠し事を疑われたけど、カシラたちの事はバレちゃいねぇ! 街の地図は頭に入ってるし……何がいけないンすか!?」
「その火照った頭を冷ませってんだよ、バカ野郎ども!」
落とされた雷声に、盗賊たちまでもがびくりと震え上がる。
フィリンの追及を退けたライアはその足で二日酔いの盗賊たちを叩き起こし、すぐに街を出た。
辺境領の郊外、辺境山麓の盗賊団キャンプまでは一日弱。街に潜んでいるうちに衛視たちが動き出せばおしまいだったと即時決行を頭目に訴えた結果が、これだ。
「俺はなライア、お前には結構期待してたぜ。頭はキレるし、察しもいい。胸もでけーし、抱き心地も悪くねぇ……俺の子を産んでもらうのも悪くねぇ、ってくらいによ」
「え、か、カシラの!?」
唐突な育ての親の告白にライアの顔が紅潮する。
割合は羞恥より歓喜……言い方は乱暴だが、今の奴隷からバークレイの妻になれという事。それは事実上、団のナンバー2への大抜擢だ。
「だがな! そんな感情を剥き出しにしてるようじゃあ、まだまだだ。何があったかしらねぇが……何があったんだ」
「そっ、それは……!」
「何があったんだ、なぁ?!」
大きくなるバークレイの声、一斉に盗賊達が身構える様子にライアはやっと気づいた。
イヤな予感にゆっくりと振り返れば、そこには予想通りの人物がいた。
「……ライア」
「なん、で」
三度目のしまった、だ。
フィリン・スタンテッドという人物を甘く見ていたと、ライアは認めざるを得なかった。
二度目の接近で気づくべきだったのだ。
彼女には自分と同等か、それ以上の隠れ身の技術があるという事、清廉潔白な勇者がこそこそ身を隠したりしないという考えこそ、浅はかな思い込みだという事に。
「ずっと、つけてたのかよ」
「まさか。でも心配だったのは本当、あんな顔したまま急にいなくなって……マーゴさんたちの姿も見ないって聞いて……それがこんな事だったなんてね」
そうだった。フィリンには馬……それも戦闘用に訓練された騎馬があった。
人の脚で一日程度の距離くらい、彼女の行動半径には余裕で収まっていたのだ。
「お嬢さんよ。うちの娘に何を吹き込みやがった?」
「別に何も。それとも何か、後ろ暗いところがあるのかしら?」
バークレイとフィリン、答えを求めぬ二人の質問がぶつかりあい、各々が武器を抜く。
「武器を捨て、手を上げなさい。あなたたちはまだ領内で悪事を働いてない、今なら悪くはしないわ。ライアの仲間を殺したくは……」
「ふざけんな!」
だが呼びかけに一番早く反応したのは、他ならぬライアだった。
「てめぇ、あたしを可哀そうな犠牲者か何かだと思ってんのか!? 舐めんじゃねぇぞ! あたしは十年以上カシラと組んでやってきたんだ……ヘッ、悪事を働いてない? あたしに騙されくたばったバカは何十人といるんだ! 最高だったぜぇ、真実を知ったお人好しどもの断末魔の顔ってのはッ」
「うるせぇぞライア!」
堰を切ったように溢れる本音を、ライアは止められなかった。
邪魔だとバークレイに突き飛ばされながらも、声を失ったフィリンの顔に麻薬のような幸福感を少女は感じていた。
怒れ。憎め。哀しみながらくたばってしまえ。
コカトリス殺しの勇者だろうが何だろうが、二十人近い盗賊の数の暴力に勝てるものか。
「ライア、先に謝っておく」
「ぁ……?」
「ちょっと、手加減できない」
ライアは目を疑った。
背後から振り下ろされた剣が、逆手に構えられた片手盾に止められてる。
「スタンテッド家の名にかけて、使命を遂行する」
振り向き一閃。受け止めた盾から引き抜かれる光が、盗賊の一人を両断する。
その水晶のように輝く盾は、鞘であり魔術具であった。
「くそっ囲え!」
「ハァッ!」
バークレイが指示する間にも二人の盗賊が切り伏せられた。
竜巻のような身体ごとの薙ぎ払い、引き抜かれた儀礼剣がバターのように硬革鎧を切り裂いていく。
「よくもてめっ」
左右から包囲して、また二人。神速の三段突きが武器を弾き、バランスを崩し、まわりこむやに急所を突く。
ここまですべて一撃必殺。一切の容赦ない剣技は、恐るべきことには返り血すら女勇者を汚せていない。
これが勇者の全力というのか。
「……すげぇ」
強い。ただ圧倒的に、強い。
ふらふらと立ち上がるライアは、頭目バークレイと激しく打ち合うフィリンの姿にため息交じりで呟いた。
そこが戦場であることも忘れて。
「カシラ、助太刀するぜぇ!」
「え?」
「ライア、逃げて!」
コツン、と鈍い音がした。
寄りかかってくる重さをライアはとっさ、抱き止める。
手がぬるりとして、それが血だと理解するまで少し。
「え……えぇ……っ!?」
「よくやったぜ、ライア……随分とてめーにご執心だったからよぉ、そう動くと思ったぜ」
「さすがだ『英雄殺し』、おめぇを引き込んで正解だったぜ」
自分の腕の内に、打ち倒されたフィリンがいる。
ドヤ顔でマゴとバークレイが近づいてくる。
今、フィリンは自分を庇ったのか? 自分を殴ろうとしたマゴたちから?
「ぅ、あ……」
朦朧としたフィリンの口がもごもごと動く。
頭部への殴打に肉が割れたのだろう、美しい髪が鮮血に染まっていく。怪我は頭蓋まで達しているかもしれない。
もがく体は力なく、それでも立ち上がろうとする足掻く女勇者の息荒い顔に、ライアの心は激しく揺れた。
「まだ動けんのか……ライア、ちょっと抑えとけ」
「え? あたし?!」
「おぅ。こういう調子こいた女は二、三発ぶん殴って身の程を教えてやらねぇとな」
ライアの胴ほどあるマゴの巨腕が、ポキポキと指を鳴らし近づいてくる。
あんな偽善者、泥にまみれてくたばればいい――そうまで思ったライアの心は、半死半生のフィリンを前にして急激に冷え込んでいっていた。
「や、やめよう……死んじまうって……生かしとかなきゃお楽しみもできないぜ」
「別にいいじゃねぇか。死んだら死んだで……それとも、まさかお前」
押し問答にいらだつマゴが声を荒げる。その瞬間だった
「ッ、イヤァァァァーッ!」
「な、てめっ!?」
手を伸ばすマゴに、跳ね起きたフィリンが突っ込んだ。武器を再び掴むより早く、押し付けられた拳が光を放つ。
「マドッ」
発声と同時、バンッと破裂音。
ヒューマンの中には鍛錬により、発動体に頼らず魔力その物を叩きつける技があるという。フィリンが行使したのはまさにそれだ。
零距離からの一撃が臓腑まで撃ち抜いたのだろう。『英雄殺し』を自称した盗賊が、血を吐きながら倒れていく。
「ありがとう、ライア……危ないところをかばっ」
……否、倒れない。倒れかけたマゴの胴体ごと、フィリンのしなやかな腹肉は長剣に貫かれていた。
「おめぇはよぉ、マゴ……ほんとツメの甘い奴だったよなぁ……だがよ、よくやったぜ」
「カッ、カ……カシ……フィ、フィリ……ッ……」
目の前の光景にライアの頭は真っ白だった。バークレイの狙いは完璧だった。
刺し傷はマゴの遺体越しに臓腑まで届き、フィリンに致命傷を与えている。
「ま、まだ……グ、ゥ……!」
「おい、無理してんじゃねぇ。モツがこぼれちまうぞ……くそッ」
揺さぶるたびに血がぼたぼたと零れる。血だけではない、あの塊は、あれは。
足元に赤い泥の池を作りながら、それでもフィリンは剣を掴み抜かせない。
「や、やめろ……やめて、やめてくれよ……!」
遂に剣を手放したバークレイだが、一手遅い。
叫びさえ消えたライアの懇願をBGMに、フィリンから放たれた魔力が最後の盗賊を吹き飛ばし、彼女も血の池に倒れ伏す。
「か、カシラ……フィリン……うっ、う、ぁぁぁ……ァァァーッ!?」
そして、キャンプに動く者はライア一人になった。
血塗れのフィリンを乗せた馬が幽鬼じみた少女に連れられ戻ると、領内は何事かと騒然となった。
領主であるフィリンの父の元へ伝令が届くまで半刻、保護されたライアの姿はかの屋敷の一室にあった。
「殺してください」
「ダメだ」
自分がフィリンを殺した。自分のせいでフィリンが死んだ。
虚ろな目でそう言うライアの懇願を、スタンテッド卿は無慈悲に切り捨てた。
「死にたいのなら、身投げでも自刃でも勝手にしたまえ。君はなぜそうしなかった? なぜ君は生きている?」
「そ、それは」
射貫くような眼差しと言葉がライアを攻める。この期に及んでつける嘘など何もない。自分が何をすればいいのかもわからない。
自殺という選択肢を考える余裕もないほどに。
「私とて人の子だ。君が娘を殺したのが真実なら、殺したいほど憎むだろう……だがそれでいいのかね? こうして私の前に現れたのは、為すべき事があったからではないのかね」
為すべき事。
ほんの少し和らいだスタンテッド卿の声に、ぽつぽつとライアはこれまでの顛末を語っていった――
「あたしは最低の人間だ! 履き溜めのドン底の薄汚い小悪党だ! それなのに……それなのに……っ! なんで、なんでッ」
「そう、か」
全てを語り、限界を迎えたライアの涙声にスタンテッド卿は短く言った。
「娘の死は悲しいが……最期に君という人を救った事を、私は誇りに思う。だから、私に君は殺せない」
「なんで……あ……ぁぁっ……」
死ぬことは、殺すことは許されない。
それは命を賭してライアを助けたフィリンの意志を無駄にしてしまう事だからだ。
スタンテッド卿の握った手が震えている事に気づき、ライアはその感情のジレンマに、己の罪を再実感させられる。
「あたし……あたしは……ッ」
死に逃げる事は出来ない。
己の罪から目を逸らすことも、もうできない。
助けてくれる親も、仲間も、みんな死んだ。
ただ一人、己の罪深さに身を焼かれながら抜け殻のような日々を生きていくこと、それがライアに与えられた罰だというのか?
「……償いたいかね」
「え……」
「罪を償うため、何でもできるか? と、聞いている」
だが救いは意外なところから差し伸べられた。
スタンテッド卿の静かな提案にライアは張り子細工のように首を上下に動かし縋った。
どうせ喪うものなど何もないのだ、死ぬことすら許されぬ罪に償いがあるのなら、なんだってやってやると、彼女はその時に思った。
「では、その名前を捨ててもらおう」
「……へ?」
そう覚悟していても、予想外の展開だった。
「奴隷娘のライアは今、今日死んだ。我が娘、フィリンよ」
「あ、あン……スタンテッド卿!?」
「『あなた』『お父様』だ。娘はそう呼んでいなかったか?」
言い出した事の意味を反芻し、飲み込むにつれ、ライアはその提案の意味ととんでもなさに思わず叫んでいた。
「無茶だ! 人一人の死を、すり替えようなんて!」
「君の意見は聞いておらん。だが、できるかどうかなら『できる』と言っておこう」
実のところ、死者を生者と偽ることも、赤の他人と結び付ける事も、貴族社会においてはよくあることだと彼は言った。
貴族の世界は帳面で動く。死者は死んだと記録されるまで死にはしないし、生者でも死んだと帳簿付けされれば、その家系からは抹消され無縁となる。
幼年期に死亡した跡取りを届け出せず、在野の優秀な人財を拾い上げて秘蔵っ子としてすえるなど、かなりグレーな事すら、貴族の権謀術数の中では珍しくないという。
「酷い話、ですね」
「君もこれからそうなるのだ」
ライアは言葉と裏腹に、頭の冷めた部分で納得しつつあった。
よく考えれば、フィリンの死を確認したものはほとんどいない。騎馬から遺体を下ろした衛兵、召使たちは身体の冷たさに気づいたかもしれないが、それも精々数人だ。
『フィリンは盗賊との戦いで重傷を負い、奇跡的に息を吹き返したが、世間には出られない障害が残ってしまった。満足に動けるようになるまで、屋敷で療養することとなった』
このような筋書きなら、そう不自然さは出ないだろう。
問題があるとすれば容姿だ。ライアにフィリンほどの背丈はないし、なにより衛兵や街の人に少なからず顔を見られている。
「あたしの顔や背丈は誤魔化せません。領内の者なら、絶対に気づきます」
「……ライア君、君は幾つだ」
「え、と……。十四か、十五……くらいのはずです」
唐突な質問に戸惑いながら、何とかライアは答える。
だが返ってきた言葉は更に予想外で唐突だった。
「なら五年ほど、辺境領を離れてもらおう」
「は……?」
「『フトゥールム・スクエア』の事は聞いているかね。娘は近々留学予定だったが、そこにフィリン・スタンテッドとして入学してもらう」
「それは、あぁ……十五歳と二十歳は誤魔化せなくとも、二十歳と二十五歳なら!」
人の記憶は曖昧なものだ。
五年も顔を出さずにいれば、人々のフィリンの記憶も薄れていくだろう。
そこに二十歳になったフィリンが戻れば、多少若くとも人々の記憶は『二十五歳のフィリン』として上書きされ、受け入れてしまうはずだ。
「半年ほど準備期間を置く。その間、君には屋敷で『フィリン・スタンテッド』のすべてを受け継いでもらう。辛い日々になるぞ」
「覚悟の上です」
半年の準備期間、それはライアという自分を消し去る儀式の期間だ。
フィリン・スタンテッドとして世間に出た瞬間から、その身に受ける賞罰はライアでなく、全てフィリンの名に向かう事になる。
どんなに褒められても、栄誉を授かろうと、それをライアが受ける事はできない。だがそれでいいとライアは思う。
薄汚い最低の自分には栄光など荷が重すぎる。後世の歴史書に残るなら、その名は勇者フィリンとしてであるべきだ。
「けど、スタ……お父様は、それでいいのですか? こんな、あた……私に、こうも手厚く援助してくれて」
「一人の父親としての、いやがらせだよ。君はどんなにうまく演じても、ライアだった過去を捨てきれない。そういう娘だとわかったから、この役を託す」
「……ありがとう、ございます」
それで気持ちが晴れるなら、望むところだ。外をみれば、もう夜空に星が輝いている。
「……今日だけ最後に、ライアとして話させてください。フィリンは『今日助けたライアが、明日は街の皆を助けてくれるかもしれない』と、言っていました。あたしは、そうなります。なってみせますッ!」
スタンテッド卿は頷き一つで答え、また夜空を見た。
一筋の流れ星が涙のように尾を引き、暗闇の向こうへ飛び去っていった。
(終)