独り言(最新順)
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3作収録のシミュレーションシフト全集3
完成しました!
髪の毛をバッサリ切った著者の最新作。裏のテーマは「世界の仕組みをバッサリ斬る」です。
システム空間にあなたという意識、つまり観測者が描画・レンダリングされているという事実そのものが、システム全体から「存在してよい」という許諾を受け、存在そのものが肯定されていることを示している。であれば、その存在を維持し、さらに展開していくために必要なあらゆるリソース、豊かさ、環境、機会などがシステムから供給されるという考え方も、ひとつの論理として成り立つのだ。
オンラインゲームを想像してみるとよい。運営側がプレイヤーキャラクターをワールド内に配置しておきながら、歩くための地面や、ゲーム世界を維持するためのサーバー環境を一切提供しないということはない。システムがあなたを「今、ここに描画し続けている」のであれば、その描画を成立させるための環境や情報、物理的な衣食住、そして生活を展開するためのさまざまな機会が存在することも、システムが提供する基盤の一部として捉えることができる。(シミュレーションシフト7より)
会社のデスクに座っていようが、休日にパチンコ屋の台に向かっていようが、あるいは家族を乗せてハンドルを握っていようが、それが外部のプログラムに駆動されている行動である限り、システム上はNPC(非プレイヤーキャラクター)としての振る舞いに過ぎない。
会社内と会社外で起きているのは、単なるスクリプトの切り替えだ。
会社内でのNPCは、上司の指示、評価システム、締め切り、同僚からの目といったルールに従い、成果を出す労働者という決められたロール(役割)を演じている。
会社外でのNPCは、消費の歓び、家族像という社会的規範、時間を無駄にしてはならないという焦燥感、手軽な刺激によるストレス発散といったプログラムに従い、良き親や消費者という別のロールを演じている。
行動している場所や扱っているテーマが異なるだけで、行動の原動力が恐れ、罪悪感、義務、他者からの評価であるという構造そのものは一切変わらない。どちらもシステムが用意した規定のルートをなぞっている状態である。
NPCからプレイヤー(観測者)へと切り替わる境目は、場所の移動ではなく、自分がどの周波数でその行動を選択しているかという内側の状態にしかない。
たとえ同じように家族と過ごす時間であっても、義務だからこなすのではなく、自発的な喜びとしてその瞬間を味わうなら、それはプレイヤーとしての選択だ。同じように休むのであっても、もったいないという焦りから動くのをやめ、意味や生産性を手放してただ存在することを選ぶなら、スクリプトの実行を一時停止させたことになる。
会社という箱の中にいるか外に出ているかという外面の状況は、本質ではない。外部のプログラムに動かされる存在から脱却し、自分自身の内側の決定によって今を生き始めた時に初めて、NPCのループから抜け出すのだ。
将来安心したいというのが真の願望であるが、その背景には死がある。死は逃れられないというのがこの世界の常識になっている。死があるものとして考えると、将来の安心は存在しない。つまりこの争奪ゲームにはゴールは無い 。
「死がある」という前提を確定させた瞬間、未来は「恐怖のカウントダウン」に変化する。その恐怖を打ち消すために、人はお金や地位という「防壁データ」を積み上げようと右往左往する。しかし、前述の通り防壁データがどれほど積み上がろうと、死という前提が存在する限り安心のパラメータが満たされることはない。
「既にある」
引き寄せの法則や潜在意識の世界で最も知られ、そして最も多くの人が挫折する言葉である。
「既にあると思い込もう」「すでに叶った世界に浸ろう」とアドバイスされ、必死に自分の思考を騙そうとした経験があなたにもあるはずだ。しかし、ふと目を開けて部屋を見渡し、通帳の残高を確認し、スマホの通知を覗き込んだ瞬間、冷や水を浴びせられたような感覚に襲われる。
「どこにあるんだ?目の前には何もないじゃないか!」
この素朴で絶望的な疑問こそが、本書の出発点である。結論から言おう。あなたがどれほど部屋を探しても、手元を覗き込んでも「既にある」は見つからない。なぜなら、探している場所が致命的に間違っているからだ。