研究のきっかけ&エピソード

研究のきっかけ

最初からOFET材料を狙って研究していたわけではありません。筑波の講師時代に、古川先生の元で、様々な芳香族化合物の両端にメチルチオ基を有するS-モノオキシドを合成して、遠隔Pummerer反応を研究していました(帯刀、生田目、北浦、久保田、中村君、小山、後藤、河野、野田さん)。上述の有機ゼオライトの絡みでサイドワークとして、生田目君が細々と基質の前駆体であるビス(メチルチオ)芳香族化合物とAg(I)とのS···Ag配位結合ネットワークの研究をしていました。S···Ag配位結合ネットワークの研究はたいして成果は上がらず、静岡大に移ったあと、もう少し例を増やして論文にまとめようと思いました。アントラセンは発光材料として面白いので、既に手元にあった9,10-ビス(メチルチオ)アントラセンとAgOTfからS···Ag配位結合ネットワークの単結晶作りを静大研究室1期生でM1の首藤さんにサイドワークとしてやってもらいました。両者の1:1混合物をCHCl3–CH3CNに溶かしSlow evaporation法で単結晶が得られ、徳島文理大香川薬学部に転任された山口先生に単結晶X線構造解析をお願いしました。送られてきたORTEPを見てびっくり。何と9,10-ビス(メチルチオ)アントラセンのみで、Ag(I)が入っていませんでした!ショックでした。念のためパッキング構造を見てみたところ、驚くべきことに、アントラセン環が見事にcofacial π-スタッキングしているではありませんか!丹念に調べてみると、S···S相互作用とS···Cπ相互作用があることに気づきました!ペンタセンでも同様のことが起こるだろうか?それが、6,13-ビス(メチルチオ)ペンタセンの研究を始めた経緯です。

エピソード1

M2になった首藤さんには本テーマのテルルの化学があるため、M1になった2期生の島岡君に6,13-ビス(メチルチオ)ペンタセンの合成に挑戦してもらうことにしました。9,10-ビス(メチルチオ)アントラセンの合成法は6,13-ビス(メチルチオ)ペンタセンには役に立たず、その合成法を確立するのに1年近くかかりました。島岡君の根性には脱帽です!

エピソード2

島岡君の卒研テーマは、「6,13-ビス(レゾルシノール)ペンタセンの合成と有機ゼオライトへの展開」でした。私が助手時代に成功を収めた9,10-ビス(レゾルシノール)アントラセンのペンタセン版です。当時、ペンタセンの素性を全く知らない私たちは、合成した前駆体の6,13-ビス(3,5-ジメトキシフェニル)ペンタセンのNMRサンプル溶液が蛍光灯下で徐々に褪色していくのを見て、最初、ジアリールペンタセンにはフォトクロミックな性質があるのでは?と喜びしました。しかし、これは大きな間違いで、文献でペンタセンの性質を調べたところ、非常に不安定で光酸化を受け易く、生成物はエンドパーオキシドであることを知りました。この一件以来、研究室では、アセン化合物の合成は反応容器にアルミホイルを巻いて遮光下で行い、後処理や精製は実験室の蛍光灯を半分消してその下で行うことが鉄則になりました。

エピソード3

S···S相互作用は、n–σ*軌道間相互作用です。n–σ*軌道間相互作用は、結果的には、筑波の講師時代に行った、上述の分子間での遠隔Pummerer反応や、超原子価結合を主鎖に有するオリゴテルロキサン分子集合体(出口、邦正、伊沢君、荒井さん)と関連しています。

エピソード4

2期生の島岡君がM2になったとき、神奈川大から内田君がM1として加わりました。内田君のテーマは6,15-ビス(メチルチオ)ヘキサセンでしたが、非常に不安定で、前駆体を脱水素芳香族化して生成した6,15-ビス(メチルチオ)ヘキサセンは、遮光下でも直ちに[4+4]の二量化を起こしてしまいました。

エピソード5

5,12-ビス(メチルチオ)テトラセンの合成を達成したのは、5期生の木元君です。2,8-および2,9-ジボリルテトラセンの合成と再結晶による分離精製も木元君です。木元君も実験の腕と感は抜群でした。ジボリルテトラセンにまつわるエピソードがあります。修士論文の締め切りまであと1〜2週間くらいのことです。私が2日間の出張から戻ると、木元君が青ざめた顔でやってきました。2,8-ジボリルテトラセンと信じていた化合物は、実は2,9-ジボリルテトラセンだったのです!!2,8-ジボリルテトラセンと2,9-ジボリルテトラセンの1H NMRは若干化学シフトが異なるもののスペクトルのシグナルの本数もパターンも全く同じで、2,8-体と2,9-体の判別はできません。頼みの証拠は、13C NMRでした。2,8-体と2,9-体は対称性が異なるので13C NMR芳香族シグナルの本数が1本異なるのです。2,8-ジボリルテトラセンと思っていた13C NMRの芳香族シグナルの本数は9本で、木元君も私も半年以上納得していました。木元君は修論を書いていて、2,9-ジボリルテトラセンと思っていた化合物の13C NMRを測定し忘れていたことに気付き、測定したところ、芳香族シグナルの本数は予想の10本ではなく8本でした!!これはヤバイと思った木元君は、既知の芳香族ピナコールボランの論文を数報調べ13C NMRのデータを確認したところ、どれも芳香族シグナルの本数が1本少ないことを知りました。そうです。ピナコールボランに結合している芳香族炭素のシグナルは観測されないのです!!即ち、13C NMR芳香族シグナルの正しい本数は、2,8-ジボリルテトラセンは8本、2,9-ジボリルテトラセンは9本だったのです。この性質を知らなかった私と木元君は判断を誤っていました。修論提出前に誤りに気付いて良かったです。その後急いで単結晶を作成し、最終的には単結晶X線構造解析によって確かめることができました。ニュートンの言葉“All that he had learned only made him feel how little he knew in comparison with what remained to be known.”を思い出しました。

木元君と彼の弟子である7期生の健朗君が、2,8-および2,9-ジボリルテトラセンを合成鍵中間体として様々なパイ共役拡張テトラセン誘導体に展開してくれました。M2の木元君にB4の健朗君は、よくしごかれていました。この二人は仲が良く、就職先もJSRで一緒です。

(注) なお、「研究のきっかけ」と「エピソード」に出てくる登場人物は、ほとんど論文発表した内容に関与した卒業生です。これから論文にするデータはホームページで公表できないため、苦労して結果を出してくれた卒業生や現役生の名前は登場しません。ご容赦ください。