藤沢市の少年野球チーム|新林ロッキーズ
「ロッキーズ物語」とは
新林ロッキーズは1978年、新林小学校の開校と同時に創設されました。
その後、一時休部を経て2006年に再結成、現在に至ります。
「ロッキーズ物語」は、第一期のロッキーズコーチによる、ロッキーズへの思いが詰まった物語です。
ロッキーズを大切に思ってくださっている、多くのOBの方々の思いと共に、
これからも、新しいロッキーズの物語は続きます。
ロッキーズ物語
・そもそも
家族5人が湘南の地に転居した昭和55年(1980)、上の男の子が10歳になった頃であった。
家の前のジャリ道で、私とキャッチボールをしていた息子が「お父さん、小学校で野球やっている!」と言うので、子供たちとグランドを垣根越しに覗きに行ったのが、そもそもの始まりだった。
以来、20年ほど地域の少年野球チーム「ロッキーズ」との日々が始まった。
・恐怖のアメリカン・ノック
子供たちが尋ねた。
「Oコーチ、今度は何?」
「何?」
「アメリカン・ノック!」
「ええっ、アメリカンですか」
「アメリカン!」
子供たちには<恐怖のアメリカン>ではあったが、遊び心と挑戦心で喜々としてセンターに走っていった。
ホーム・ベース上から地を這うノック・ボールが、次から次へとレフトとライトへ飛んでいく。時には、不規則になり、フライも混ざって飛んでいくボールを選手たちは取り逃すまいとセンターから懸命に走る。捕球したら、即座にワン・バゥンドでキャッチャーに返球する。これが、なかなかうまく行かず、30分もやると全員フラフラとなる。
最後は、捕球した者から順次上がるのだが、息を弾ませて、ホーム・ベースに戻ってくる純白の立ち襟ユニフォームの紅顔の野球少年たちの、おお、なんと凛々しいことよ! ピュアなことよ!
・チーム名由来
「部長、どうして<ロッキーズ>というチーム名なの?」
「よく聞いてくれたよ。うん、昭和50年頃だったかなぁ。少年野球のチームを作ろうとしていたとき、TVで、アメリカのロッキィー山脈のことを見ていてね、ロッキィー、ロッキィーという響きが、妙に気にいってね! それで<ロッキーズ>としたのよ! いい名前だろう。日本全国の少年野球名簿で探しても、他にないよ!」
・野球センス
天才とかセンスというものを生れながらに持っている人というのはどこの世界にもいるものだと、凡才が羨望することになっている。少年野球の世界にも誰に教わったのでもないのに、天性稀なセンスを持ち合わせている少年がいるもので、100人ほどのロッキーズ卒業生の中に、そういう少年たちが2、3 人、流星のようにコーチ達の眼前を通過していった。
全身を回転させつつ手首を反転させムチのようにして投げるボール投球術、文字通りボールを吸い捕るグローブさばき、ボールを打つ一瞬の両手首・腰でのバット・コントロール等々の完成した形、奇麗な、見惚れるようなフォームを見せられると、凡才の羨望は切なさに変貌する。
・一対一ノック
ボールを握ったミットを右手に、左手にバットを持って、ネットを背にした少年の5メーター程手前に立つと、少年と私のバトルが始まる。
「イクゾォー」
「ウオォー」
と共に、左手から宙に浮かせたボールを右手のバットがたたくと、少年の前でボールはワンバウンドしてグローブに吸い込まれる。補球されたボールはミットめがけて返球され、再びノックが繰り返される。
「イクゾォー」
「ウオォー」、の繰り返し。
捕り損なえば罵声が少年を煽り、更に強いノックが雨霰と少年をたたく。ノッカーは夜叉みたいになって左のミットと右手のバットを振り回し、右に左にゴロボールを散らし、ダイレクトな飛球を胸元に飛ばず。機敏さ俊敏さが全展開する。精神はただひたすら前方へはばたく。常に前へだけがあり過去にこだわる暇は一瞬もない。
ノッカーはおもむろに距離をせばめつつ、少年もコーチも夢中になって捕り、打ちしつつ、互いに忘我の境に突入する。打ち、捕りの一時、そこに少年とコーチの交歓が成就する。
突然、コーチの自分が中学生になり、ノックを受けている田舎の中学校のグランドが沸き起ってきた。先輩の野良着姿の孫ェ門が打つノックをハアハアしながら受けているところだった。
その頃には、辺りは完全な静寂が支配し、肉体がただゴツゴツと動くだけのそこで、尺度も水準も別次元の心身一如の摩訶不思議を味わった末に、少年に周りのざわめきが遠雷のように湧き起ってきて、その魔界から不思議なエネルギーを充満させたまま立ち上がることになる。
そこから、この世を眺めまわすと、いわゆる<現実>と言われているものが如何に脱色されていることか、或いは脚色されたシナリオが被っているかを見ることになる。つまり、ピュアな原始そのものの素材を発見し愕然とさせられ、そしてそのあまりの衝撃に、少年は言葉を失い沈黙する。
・バットスイング・チェック表
ロッキーズは万年3回戦敗退のチームでコーチも少年たちも何とか強くなりたいものだと、練習に熱を入れ、様々な工夫を凝らしてきたが成果が上がらないままであった。土曜日だけで練習時間が少ないとか、お母さん方の応援が少ないとか、チームの統制がとれていないとか、様々な原因が考えられるが、要は、チームに様々な要素の勝つための有機的連結が生まれていなかったということだろう。 試行錯誤の模索が10数年続くことになった。
ロッキーズのディフェンスは常にそこそこの力を発揮していたが、結局いつも打てずに負けていた。重量打線ならぬ軽量打線、足腰のひ弱なヘナヘナ打線であった。情けない、歯痒い思いを散々させられた結 果、考えだしたのが10枚の「素振りチェック表」だ。
これは5年生と6年生を対象とし、バット・スイングを10段階に分解してチェックするというものだ。始めの一枚はボックスに立つ時の歩幅、肩の線の確認、握った手首の位置、力を抜いた大きな構え等 を注意しながら一日50回の素振りをし、終わったらチェック表のボールを色鉛筆で塗りつぶすというものだ。
毎週一枚わたして一日50回から九、十枚目は500回になる、全体で16,800回の素振り、これを三回繰り返し5万回の素振りをしようと少年たちに呼び掛けた。練習後、一人一人チェック表をコー チ・監督にわたしてスイングを見てもらうことになる。徐々に足腰がどっしりとし、アッパースイングはいなくなり、構えた手首の位置から一直線のダウンスイングの美しいフォームが生まれてきた。
とは言え、三回をクリアーした少年は確か3人ほどであった。
・3回戦ボーイズ
「今年も又、3回戦止まりだったねェ」
「みんな、頑張ったけどなぁ。結局、打てない、点が取れないってことですか」
「10年位、こうなのでしょう?」
「そおっ、ロッキーズは毎年そこそこのチーム力は有るんだけど、突破できない壁が有るのだねぇ。ここが限界なのかも」
「この練習量、このスタッフ、このお母さん達ではここまでなのかも知れないねぇ」
「土曜日3時間だけの練習ではどうにもならないかも......。朝練、やりますか?」
「誰が? 皆、勤めがあるし、部としてはこれ以上、コーチにお願い出来ないよ。昼のお結びだけなのだからねぇ。それに、押し付けではどうだろう!」
「<少年野球を強くする魔法>なんての、ないのですか、Oコーチ?」
「子供たちを逞しくすればいいのですよ」
「どうやって?」
「ヘニャヘニャ家庭が多いからねぇ。子供に大甘だから」
「<ライオンの子育て>、なんて、今時ないよ。突放なすってことを知りませんから」
「6年生が少ないせいかも知れないねぇ」
辺りはとっぷり日が落ちて、公園の芝生も露に濡れてきた。コーチ達の缶ビール片手の繰り言みたいな反省会は尽きることもなく続けられた。
・発声と座禅
チーム全員、グランド前の山に駆け登りグランド目掛けて声出し練習もロッキィーズの練習メニュー。 ところが、母親や社会に押さえ込まれてか、少年たちは声を荒げることも、ましてや蛮声など発することも知らない。変声期前だからアルトのような少女声だということもあるが、腹式呼吸など言わずもなが、とにかく腹から野太い声を発声したことがないのだ。
そんな彼らにコーチが腰を低めて発声見本を示して、グランド目掛けて声をかけさせる。すると、グランドのお母さん方が聞こえたときは手を振ってくれる。
それが、一段落すると、横一列に座らせて、今度は全くの静寂、座禅をさせる。
コーチの唯一の注文は、「何も考えるな!」だけ。微動だにしないまま5分、10分と座らせたまま。始めの内は、木々を渡る風の音が聞こえ、鳥の鳴き声が新鮮、遠くの街のざわめきも聞こえて来る。意識 はそれら外界にさ迷うが、その内、少年たちは「何も考えるな!」と言うけど、次から次へと考えるよ。 グランドのお母さん、何しているのだろう。明日、お金もらって、あの店でゲーム買わなきゃ......。
OK! 立って。グランドに帰ろう。
・チームカラー
「おぅい、ロッキーズ、チョットうるさいぞ。規定すれすれだぞ」
試合は佳境に入り、岐路に立っている。
部長、曰く
「応援は、フェアプレーでやってくれ! 相手チームの誹謗だけはなしだよ」
「自分等のチームの子供達を奮い起たせるのに、うるさいもないものだ。ナイスプレーには当然、相手もこっちもないけれどね」
市の野球大会では、ロッキーズの応援は賑やかである。お母さん方を巻き込んで「打て、打て、ドンドン」というのがチームカラーである。ランナーを二塁に送るバント作戦はとらず、ヒットエンドランを多用し、ツーランスクイズが好きな好戦的なチームだ。振って三振はともかく、見逃し三振だけは一斉にど やしつけられる。立ち向かわない選手は試合に出してもらえない。
「ぶったたけ、H。集中、集中」
「S! ポイント、まえだぞ! こねるなよー」
「Y、前足、開くなよ! 大きく構えろ」
「高野コーチ、レフトをラインぎわに寄せて! 得意でしょ、大声」
「これしか能がないからねぇ。レフト! Nー! ライン締めろ!」
・コーチ達
テーラーのN部長、広告の旭通のOさん、梱包会社役員のKさん、螺子のMさん、三菱電機のFさん、それに私は年金の仕事等々、その他Yさん、Sさんと、10人ほどの様々なタイプのコーチ達がチームに集ってきた。皆、自分の子供がチームに入ったのでコーチを引き受けることになった人ばかりである。野球歴も硬式の高校野球から私のように田舎の中学野球だけ、中には経験なしのコーチもいる。
監督はOさん、Kさん、Mさんで交互に行い、Fさんはスコアラー専任、私はマネージャーという役まわり。これが、最後のチームでは皆ところを得てチーム力が高まったのだから、不思議なこと、18年目の優勝というのは時に起るものだ。
・渓流地での合宿
毎年、八月の第一金曜・土曜・日曜日はロッキーズ恒例の野球合宿、伊豆の渓流地での野球漬け。少年が2、30人、コーチ達が5、6人、お母さん方が2、3人のバスを仕立ててのキャンプ。母親と離れて寝るのは初めての経験で、少年たちは毎度興奮。お母さん方も興奮。
とは言え、宿からの山道を歩いて浄連の滝めぐり、キャンプ場でのマスの手掴み、少年たちの手足をコーチが掴んで川へ放り投げての遊泳、堰下の滝打たれの座禅、早朝の山道の散歩等々、三日間の衣食住一 緒の生活を通じてチームは一丸となる。
・走れ、走れ!
ピッチャー育成のKコーチの指導法はシンプルに、ただ「走れ、走れ!」だけで、中々ボールを握らせない。
4年生のとき、グランドに現れた大柄な少年Mは、落ちているボールが拾えないほど太っていたが、Kコーチの英才教育で6年生の時には、<豹のような走り>をするピッチャーに成長した。
・少年たち
仏さんのように優しく、アメリカでホームランを打ってきたM、市一番の投手と騒がれたH、市の大会で選手宣誓をしたM、甲子園出場の夢を語ったS、父親の転勤でロッキー山脈の麓から帰ってきてロッキーズに入った大人F、アメリカン・フットボールに鞍変えしたS、ピッチャーとして保土ケ谷球場で投げていたN、天才と期待されたMにY、左ピッチャーのKにYにN。ヘナヘナピッチャーのN、小柄な大投手だったN、利かん気の強かったNとO、父親譲りのセンスのI兄弟、私の子供もふたり、市の理事に注目されたN、スラッガーのG、ぶきっちょなU、O、E達、......とにもかくにも、一人一人の少年たちは、全員それぞれの個性を発揮してロッキーズを卒業していった。
今、それぞれが各々の場面で活躍していることだろう。少年時代の一時、ロッキーズで野球をやったと いう子供が180人もいることになる。
・感動をくれた少年たちへ
コーチ達はそれぞれの生活のドブ泥にまみれて、毎週土曜日にグランドに立つ。
そんなコーチ達に少年たちはピュアなもので挑んで来る。どのコーチも少年達にかなわないというのが通り相場。
とてもひ弱に見える少年たちが試合で示す頑健な自己主張、驚愕させられる方法で点を取って来るその現実主義、前の打席でホームランを打ち、次の打席ではぶきっちょなFがスクイズを決め、それがツーランとなる。うるさい母親やコーチがいないかのような態度、自由な立ち居振舞い、ふてぶてしい少年たち。
サラリーマンのコーチ達はそんな少年たちに圧倒されて、惚れ惚れと縦横無尽に動きまわる彼らを見やり、白昼のグランドに立ちつくす。
・優勝したら温泉招待!
文字通り、「ひょうたんから駒」だった。冗談に少年たちと話していたことを彼らは現実にしてしまったのだ。あわてたのはコーチ達。5万円ほどの少年たちの宿泊代をどう捻出するか、ドタバタが始まった。
というのも、6年生たちに、「優勝したら温泉招待!」だと言ったのだから、冗談か約束か別にして、優勝したからには心意気上、これはMUSTの世界だと観念してコーチ達で分担し合い、少年たちの温泉招待が実現した。
少年たちと百八十度眺望のきく白濁した温泉に入りながら思うに、「現実」の荒々しさを少年たちは見事に導きだしたということ、これを成し遂げたという一事に静かに感動しつつ、こういう経験をさせてくれた少年たちに感謝するだけだった。
・知人の輪
「高野コーチ! こんばんは」
「......? 誰だった」
「ロッキーズのNですよ」
「ああ、君なのか」
「ご酩酊ですか?」
「君こそ、遅いねぇ。仕事かい?」
「ええ......」
「何処へ行っているの」
「N新聞ですよ」
「そおっ、どういう方面なの?」
「金融」
「ワオッー。私は年金の仕事で、金融は分野だよ」
「そうですか!」
「君は確かロッキーズでは、悪いけど、ヘナヘナピッチャーだったよね」
「ええ。その後、中学・高校とAに行き、W大を卒業したばかりです。今、研修中なのです」
深夜の駅前で声を掛けられ、私はこの街とのつながりを確かなものに感じていた。
少年たち、お母さん方、コーチ達、よそのチームの関係者と、数え上げると2、300人の野球関係の友知人がこの街にはいるのだと、ホロ酔いのままに感動させられていた。
・優勝試合
平成6年度の市の夏季大会はロッキーズの晴れ舞台だった。それ迄の試行錯誤が一気に結集、華開くことになった。初戦、御所見ジュニアーズを6対2で下し、二回戦石川リーブスを25対0と大破し、問題の三回戦は春の大会で10対0と大敗しているシードの辻堂イースタンジュニアーズに6対4と競り勝 ち、長い間の壁の突破を果たした。
次いで、四回戦準決勝は試合巧者の浜見少年野球部を5対4と退け、決勝戦に進出。
そしてついに、強打で勝ち上がってきていた用田少年野球部を、9対2と逆に打撃で打ち砕き、身の毛がよだつような戦慄というか、総身がゾクゾクしている間に優勝してしまった。
・さよならメッセージ
拝啓 新年も明け、新チームづくりに希望を馳せておられることと存じます。
年頭より、兵庫南部地震があり、なにやら不安な気持ちの幕開けとなりました。 さて、昭和52年春、新林の杜に少年野球クラブとしてスタートし、皆様に愛され、皆様と共に活動して参りました「新林ロッキーズ」、残念な気持ちでいっぱいですが、部員が少なくなりチーム構成が不能となり、18年の活動の歴史に幕を閉じることになりました。
永い間、本当に、本当に有難うございました。その間、皆様から頂きました熱き友情、暖かい励まし、そして、数多くのよき想い出と、チーム一同、深く感謝申し上げると共に、心より御礼申し上げます。
想い出のたくさんつまった18年、チーム関係者も野球優先の休日でしたが、これからはそれぞれが何かを見つけていくことでしょう。ただ、野球を忘れることは出来ません。
これからも、街でお会いしましたら声をかけさせていただきますし、暫くはグランドに足が向くかもしれません。
その節はよろしくお願い申し上げます。
本来でしたら、ご挨拶に伺い御礼を申し上げるべきはずではございますが、まずは、書中をもって御礼方々ご挨拶申し上げます。
皆様方のご健康とチームのご活躍を心より、心よりお祈り申し上げます。
最後に、熱き友情を永遠にお願い申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。
敬具
平成7年2月1日
新林ロッキーズ代表N. R コーチ一同
・2000年夏の高校野球
ロッキーズ卒業後も中学・高校と野球を続けた少年たちは数多くいたが、チーム最後の優勝経験をした 少年たちが今年は高校三年生で、4人が出場するとN部長から連絡があった。
全国最多の207校出場、最大の激戦地、神奈川県の夏の高校野球大会が始まった。
鎌倉学園のH、慶応高校のS、湘南高校のMとS達の活躍を期待して、コーチ達の追っ掛けもこれで最 後となるのだろう。
終
*文責:1980~2000&2007~2010 新林ロッキーズ・コーチ 高野