2018年、高校卒業を控えたメンバーでこのメンバーなら何でもできるのではないかという万能感に満ち溢れておりました。というのも高校在学中には概ね開拓協会の活動の前身が始まっていたからです。その辺の前史はいずれお話しするとして、「山でキャンプとかできたらいいよね」と思いつきました。それを皮切りに、いろいろな「できたらいいよね」が湧いてきました。「山に鉄道を引いたら楽しそう」「せっかくなら山で野菜を育てたいね」「ピザ窯って作れるのかな」...せっかく出てきたこの夢を実現させようじゃないか!という合意のもと、『大日本開拓協会』のもととなる集まりができていきました。
その過程で、「こういうスキルをもった人間はいないか?」「そういうのに長けていそうな奴がいるぞ…」声をかけてみようといった具合に関係者を拡げ、どうにか10名のメンバーが集まり、『大日本開拓協会』の発足に至りました。
先に断っておくと、総裁は何事も形から入る人です。今回も例によって形から入るために、まずは組織の体裁作りが目指されました。その中でも組織を最も形作る名称は非常に悩ましい問題ではありましたが、なぜこのような名前となったか。先に言っておくとすれば、我々の精神性を表すワードとしての『開拓協会』は半ば既定路線でありました。山を切り拓き、皆の遊び場を築くという姿勢を端的に表す語として『開拓』、そして夢追い人の集合体でありながら団体として取り組んでいくということを表す『協会』の部分はやはり欠かせないものだったからです。が、『開拓協会』では一般的な名称過ぎる。全体を締める一語を冠する必要性を感じていました。
しばらく考えていく中で、少し古風な名前がいいな、と感じました。泥臭く活動をしていくイメージとすれば、横文字やアルファベットは合いません。そこでまずは愛知、名古屋…と地名を入れてみることにしました。しかしこれらは土地がもし名称の範囲内で準備できなければ不自然になってしまいます。次にスケールを大きくして日本と名打ってはどうか。これなら範囲オーバーはなさそうです。しかし、日本開拓協会では今一つ足りない感じがしました。一文字付け加えて全日本、新日本…。どちらもしっくりきません。そういった流れで「大日本」というワードが発想されてきました。組織のスケールからすると決して大きくはありませんが、夢のスケールは結構大きな組織ですから、『大』の字も言うほど負けてない。組み合わせるとなんだか合っているように感じられてきました。しかし、ただ夢が大きい、ギャップがある、それだけではない魅力を感じていました。
その魅力を考えていくと、一つの言葉が思い出されました。「せまい日本 そんなに急いで どこへ行く」という標語です。1973年に交通安全年間スローガンの内閣総理大臣賞作品にえらばれた言葉ですが、みなさんはご存じでしょうか。私はこの少しでもゆとりを感じさせようというなんとも長閑で牧歌的な雰囲気漂うスローガンと高度成長という時代背景のギャップが好きで結構気に入っていた言葉でした。考えてみれば発表から約50有余年。現代の日本はその頃以上に都市部に人がぎゅうぎゅうに集まって窮屈に、そしてせわしなく活動している状況にあります。そういったじだいになっているからこそこの「大日本」という言葉が非常に重要な意味をもってくると考えました。つまり、「私たちはこうした時代の流れに逆らって、『大きな日本』を再構築していこうじゃないか。」という考え方を端的に示せるワードです。「『大きな日本』を再発見し、自分らの夢をあつめて『開拓』をすすめていく集まり=『協会』。悪くない。こうして総裁の独断と偏見のもと、一夜にして決定・発表されました。
『大日本開拓協会』誕生の瞬間でした。
しかし、付けて発表してから気づきます。どう見ても怪しくなってしまったことに。
『大日本開拓協会』誕生の瞬間でした。しかし、付けて発表してから気づきます。どう見ても怪しくなってしまったことに。
でも今更変えられませんし、何よりこの名称で活動を開始してはや5年が経過。愛着やら何やらで今更変えられないところに至っています。これからもこんなアヤシイ名称ですが、この看板で活動を継続していこうと思います。よろしくお願い致します。