今から2万年前は最後の氷河期(ウルム氷期)の最盛期でした。この頃にはホモ・サピエンスは現れていたので、ウルム氷期は人類がマンモスやナウマンゾウを狩猟していた時代といえます。地球上の水は氷として存在しており、海面は130〜140 [m] ほど低かったことが分かっています。そのため、氷河の移動によって大地に下刻作用(下方に向かって起きる侵食)が起き、複雑な谷地形が形成されました。このようにして形成された谷を氷食谷またはU字谷と呼ぶのですが、日本ではほとんど起こっていません。代わりに、流水によって下刻作用と側刻作用(側方に向かって起きる侵食)が同時に起きており、下刻作用によって侵食谷またはV字谷が、側刻作用によって段丘が形成されました。また、侵食・運搬された土によって低地を形成し、現在の海水面より低いところは大陸棚として存在しています。
排他的経済水域(EEZ)は200海里と決まっていますが、大陸棚は350海里まで、または水深2500 [m] から100海里までのどちらかによって決定します。どちらも大陸棚の自然的延長が認められないといけません。日本の大陸棚で水深140 [m] まで見てみると下図のようになります。ウルム氷期の日本の内湾は陸地であり、日本とユーラシア大陸は陸橋で結ばれていました。
ウルム氷期が終わると気温と海水面が上昇し、氷食谷(U字谷)や浸食谷(V字谷)は沈水します。このような谷を溺れ谷、海岸を沈水海岸といい、氷食谷が溺れ谷になったものをフィヨルド、浸食谷が溺れ谷になったものをリアス海岸といいます。様々な河川によって形成された浸食谷に海水が入ってくると、のこぎりの刃のようにギザギザな地形が残ります。そのため、リアス海岸は複雑な形をしています。
残った氷食谷や浸食谷は侵食・運搬された土によって谷を埋められ、低地を形成しました。このようにして埋められた谷を埋没谷といいます。埋没谷の上の堆積土(沖積層)は時間があまり経過していないため、自然圧密やセメンテーションがそれほど進んでいません。そのため、地盤沈下や地すべりを引き起こす可能性があります。
このように低地は沖積層とその下にある洪積層が厚く堆積しており、構造物を建設する際にそれらが最も重要となります。沖積層と洪積層が形成された時代には時間的ギャップがあり、沖積層が堆積する前に洪積層表面の軟らかい部分が侵食されました。そのため、洪積層が露出した部分はやや硬いものといえます。その後に堆積した層が沖積層であり、洪積層と沖積層では力学的性質に大きな違いが認められています。
ウルム氷期以降の海水面は常に上昇したわけではなく、上昇と下降を繰り返しました。この海水面の上昇を海進、下降を海退と呼び、陸地から眺めた状況を表しています。ある点において海進が起きた場合、粘土質土が堆積していきます。一方、海退が起きた場合は砂質土が堆積していくため、低地は砂層と粘土層が交互に積み重なっています。ちなみに、砂層は透水性で圧密が起きにくく、粘土層は不透水性で圧密が起きやすいです。
堆積土の土粒子の大部分は河川から運搬されたものです。この運ばれてきた土砂によってできる地形を堆積地形と呼び、代表例として扇状地や三角州などが挙げられます。また、海岸では土粒子の運搬と波の作用により砂嘴や砂州などが形成されます。扇状地や三角州の詳しい内容は河川工学 2.2 河川の作用と地形、砂嘴や砂州の詳しい内容は海岸工学 7.2 海浜形状を参照してください。
まとめとして、日本の低地は流水の下刻作用と側刻作用によって侵食谷(V字谷)ができ、そこに土砂が流れ込むことで形成されました。このように侵食谷が埋められたものを埋没谷といい、沖積層が堆積しているため、地盤沈下や地すべりを引き起こす可能性があります。また、低地は海進と海退を繰り返して形成したため、砂層と粘土層が交互に積み重なっています。