「私の家」とは


  戦後まもない1954 年、「私の家」は当時東京工業大学 建築学科の助教授であった清家清の自邸として建てられた。住宅需要の高まりに応えるべく、多くの建築家が都市におけるローコストな小住宅のあり方を模索していた時代であった。この家の5m×10mという大きさは、金融公庫から資金を借りるために導かれたものである。今日の住宅に比しても最小限のつくりであるが、家全体を壁のない一室空間としたり、建物と戸外を滑らかにつなぎ屋内外の生活を重ねるなど、小さくても快適な暮らしを叶える工夫に満ちた家である。

 当初「私の家」は、大田区雪谷の閑静な住宅地にあった清家の両親の家の裏庭に建てられた。清家夫婦と二人の子供が居住することになり、のちに子供は4 人になり、両親の高齢化も相まって、同敷地内に「続・私の家」を増築しともに住む。「私の家」には長女一家が住んだのち、次女夫婦が暮らした。また、庭を介して建てられた「倅の家」には長男家族が暮らした。

竣工時の再現模型(東京工業大学那須研究室制作)

計画案には、「”老教授の家”平面図 1/50」と記され、当初は父・清家正の住まいとして計画された。東側道路に入口があり、シゴトベヤの前を通って入る。図面には移動畳も描かれている。