金曜日の深夜0時過ぎ。
ようやく終電で最寄り駅にたどり着いた陽菜子ひなこは、小さく息を吐いた。
「今週も終わったぁ……」
眠気と疲れを引きずりながら、いつものように近道の公園へ足を向ける。
公園の木下に月明かりに照らされ、キラキラと光る動かない人がいた。
陽菜子は恐る恐る近づいた。
キラキラ光っていたのは血だった。誰かに暴力を振るわれたような怪我を顔や腕にした、赤茶色の髪色の青年が木にもたれかかっていた。
陽菜子は驚いて、声をかける。
「大丈夫ですか!?」
「ん…」と短く反応しうっすら目を開ける青年。視界がぼやっとしてよく見えない。
「救急車呼びましょうか!?」
「いや、呼ぶな…」
「でも…」
「頼む。」
「……分かりました。でも、せめて応急処置だけでも。」
陽菜子はそういい、その場を去り、近くのコンビニに行き、消毒液と絆創膏、包帯を買った。
急いで公園へ戻る。
「救急車呼ぶなと言うなら、手当てさせてください。」
困っている人を放っておけない陽菜子。
「少し染みますよ。」
傷口へ消毒液をかける。
青年は眉をひそめるが、声は上げない。
「我慢強いですね。」
「……慣れてる。」
「とりあえず、応急処置はできましたよ。」
ふぅとため息をつく。
「…すまない。助かった。」
そういい、ふらっと青年は立ち上がった。
よろめきそうなところを陽菜子は支えた。
「大丈夫ですか?帰れますか?」
「あぁ…」
と短く返事をして一人で歩こうとするがふらふらしている。
みかねた陽菜子は青年の腰に手を回した。
「捕まってください。家まで送りますよ」
と強引に青年を家まで送ろうとする。
「いや…」
ふらついている。
「私に頼ってください!あなたを一人で帰らすわけにはいきません。」
「…わかった。」
陽菜子は青年の腕を自分の肩に回した。
ふわりとシャンプーの香りがした。
(近い……。)
二人は歩き出した。
青年はぼやっとする視界で陽菜子を見る。ぼやっとする視界と夜が更けていてよく顔が見えないが、身長差は20センチほどあるだろうか…
まぁこの女性はこんな時間に、知らない男を助けるのか。 危機感がないのか……いや。馬鹿が付くほど、お人好しなんだ。 と感心した。
青年の道案内により、公園から徒歩10分くらいの青年のマンションに到着する。
マンションの廊下の電気が切れている。階の角部屋、暗がりの中、青年は鍵をあける。
「助かった。」
部屋の電気をつける。無駄な物が一つもない、生活感の薄い 1LDKの部屋が見える。
2人の顔もよく見える。
青年をソファに座らせて、はじめて二人はくっきりと顔が見えた。
陽菜子は青年の顔を見た。耳にかかる程度の長さの赤茶色の髪、青白い肌、細身だがしっかり筋肉があり、八重歯がちらつく。
「……ちくわくん ?」
陽菜子がなんとも奇妙な名前を口に出した。
青年の視界や意識が戻ってくる。
「ッは…!!」
初めて、その女性の顔を真正面から見る。青年に電撃が走る。
(……春宮、陽菜子さん。)
心臓が跳ねる。鼓動がうるさい。 呼吸が浅い。 茶色のセミロング。
柔らかな笑顔。
優しい瞳。
その瞬間――
青年の思考が止まる。
青年は陽菜子をよく知っていた。
「あ、ごめんなさい。あなたがうちの犬にそっくりで!」
「…っ。」
顔を真っ赤にする青年。無理だ。これ以上一緒にいたら…
「あ、ありがとうございましたっ!!もう、帰ってもらって結構ですッ!!」
急に敬語になり、目をぎゅっと閉じ、陽菜子に言う。
「わ、わかりました。しじゃあ、お大事にしてください」
と言い、陽菜子は去っていった。
玄関の扉が閉まる音がした。
青年は真っ赤な顔をしながら、今にも泣きそうな顔で膝から崩れ落ちた。
「陽菜子さん…」
震える声で、その名を口にする。
「…会えた。」
月曜日の朝、陽菜子はいつも通り出勤をした。
経理部は朝から忙しい。
お昼前、
「春宮さん、悪いんだけどこの領収書、不備があるから営業部まで行ってきてくれる?」
経理部の先輩が陽菜子にお願いしてきた。
いつも営業部は適当な領収書をもってくる。
営業部にはイケメンがいるらしい。そのイケメンは営業トップでどうやら冷酷な人らしく「氷の王子」と呼ばれている。イケメンを拝みたいがあまり、いつも経理部の女性職員たちは我先にと名乗り出る。
しかし、手が空いているのが春宮しかいなかったため春宮が任命された。
「はい。行ってきます。」
陽菜子ははじめて営業部へ行く。
陽菜子は営業部のイケメンなど頭にはなく、金曜日に助けた青年のことを考えていた。
(ちくわくんにそっくりな人、あれから大丈夫だったかな?)
そんなことを考えながら営業部へ。
営業部に行く間、女性職員たちが噂している。
「今日は神崎さん、朝から大口商談だったらしいよ。」
「営業トップだもんね。」
「でも近寄ると怖いんだよね。」
「『氷の王子』って呼ばれてるし。」
そんな噂など耳も入らず、営業へ到着した。
「あの、これ、不備があるみたいなんですけど…」
営業部の出入り口付近にいた男性職員に話しかける。
「あれ、ほんとだね。これは佐藤君のだな〜」
そこへ、朝から外回りをしてきた営業部のトップのイケメン、氷の王子が後輩を連れながら帰ってきた。
女子職員たちが「王子帰ってきたよ〜」今日もかっこいい」などときゃあきゃあ言っている。
「あ、佐藤君、ちょうど帰ってきた。これ不備があったって。神崎君ちゃんと見てやってよ〜」
その社員は外回りしてきた2人に言う。
陽菜子はその2人に目線を向ける。
「あっ…。」
陽菜子は声が出た。
スーツ姿。
整えられた赤茶色の髪。
金曜日の深夜の公園で助けた青年が目の前にいる。
陽菜子の愛犬に似ているあの青年が。スーツを着て目の前にいる。
(え…。この人…。)
「ちくわくんだ…。」
陽菜子が思わず声に出ていた。
氷の王子は陽菜子を見て目を丸くする。
「…っ。(え、陽菜子さん⁉陽菜子さんが俺専用のあだ名を呼んでくれた!) 」
「ちくわ君ってなんですか?」
後輩の佐藤が呑気に質問する。
陽菜子は慌てて、氷の王子の名札を見る。
[神崎 紅夜かんざき こうや]
それがあの深夜に助けた青年、営業部トップの氷の王子の名前だった。
「神崎紅夜さん。」
陽菜子は名前を読み上げる。
「…はい。」
(陽菜子さん!陽菜子さんがフルネームで呼んでくれた!俺の最推しの陽菜子さんがッ!!今日も生きていてくれてありがとうございます。午前からあなたを見られて幸せです。)
みるみる神崎の耳が赤くなる。手が震える。
「お疲れ様です。」
ペコリと頭を下げる陽菜子。
「お、お疲れ様です…。(俺に挨拶をしてきた。無理。尊い。)」
動揺しながらあたまを下げる神崎。
「あれ、お二人知り合いなんですか?」
佐藤がまたも呑気に質問する。
「佐藤、そんなことよりもこれ、不備」
さっきの営業部の社員が佐藤に領収書を渡す。
「あっちゃー!日付、書いてもらうの忘れてた。すみません。」
ささっと日付を書いて陽菜子に謝り、渡す。
「あ、はい。ありがとうございました。では、失礼しました。」
陽菜子は挨拶をしてきた経理部へ帰っていった。
立ち尽くし、膝から崩れ落ちる神崎。
「神崎さん!大丈夫っすか!?熱中症っすか?」
倒れた神崎を心配する佐藤。
「…大丈夫です。ただの立ちくらみです。」
(ここは会社、冷静でいなければ…。)
他の社員たちもそんな神崎を不思議そうに見ていた。経理部の子と何かあるんではないかとすぐに噂になった。
経理部への帰り道、そんな噂など知りもせず。
(ちくわくん、元気そうでよかった。でも会社では雰囲気違うな~)