獅子の舞う場所(庭)を祓い清める儀式。棒や剣を使う方を「棒使い」や「棒振り」と 呼びます。 棒使いが、カツカツと音を立てて棒をぶつけ合うことにより、獅子が舞う 場所(庭)を清めます。
熊野神社の獅子舞は、「風流系(ふりゅうけい) 一人立ち三匹獅子舞(ひとり だち さんびきししまい)」といわれる獅子舞です。
3頭で仲良く戯れている獅子。突然、花笠の中に女獅子が 隠れてしまいます。男獅子(大頭・法眼)達が、花笠の中にいないかと中を覗き込んだり、辺りにいないか見渡したり、女獅子をさがしている場面です。
大頭が歌に合わせて御幣を振り、お祓いをしている様子です。歌が終わると大頭は 御幣を後ろへ投げあげます。この御幣は縁起物で、かつては人々が争って取り合った、大変縁起の良いものとされています。
仲立が、ヒョットコの面をかぶって舞います。手に持っているのは、「ディノコボ」とか「ダイノコボ」といわれる神具。 五穀豊穣、子孫繁栄を願って男女交合を暗示した呪術的な動作で、全国的にも数多く残されている神事です。
獅子舞の上演中に、司会者が説明していた、下福田のささら獅子舞のそれぞれの場面の解説内容です。
獅子の舞う場所(庭)を祓い清める儀式として執り行います。「後見人(こうけんにん)」の指揮により始まり、実際に棒や剣を使う方を「棒使い」や「棒振り」と 呼びます。
棒使いが、カツカツと音を立てて棒をぶつけ合うことにより、獅子が舞う 場所(庭)を清めます。
棒使いによるお祓いが終わると、仲立を先頭に、獅子の入場となります。 この演目を「すり込み」といいます。 獅子舞というとテレビなどでは、お正月に二人で一匹の獅子を演じるものがおなじみですが、あれは「伎楽系(ぎがくけい) 二人立ち獅子舞」といわれるもので、大陸から渡ってきたもので全国的に伝承されているものです。
下福田のささら獅子舞は、伎楽系(ぎがくけい) 二人立ち獅子舞とは別系統のものとされている「風流系(ふりゅうけい) 一人立ち三匹獅子舞(ひとり だち さんびきししまい)」といわれる獅子舞です。主に東北・関東地方に分布しているもので、特に東京・埼玉・神奈川といった、かつて「武蔵の国」と呼ばれた地域の農山村に多く伝えられているものです。
仲良く戯れていた獅子たちですが、突然、オカザキの花笠の中に女獅子が 隠れてしまいます。雄の大頭が女獅子のいないことに気付き、花笠の中にいないかと中を覗き込み、女獅子を訪ねるといった場面を演じます。
歌:「思いもよらぬ、朝霧がおりて、そこで女獅子がかくされたよな」
もう一方の雄である法眼も女獅子を取られまいと、大頭の邪魔に入り ます。大頭と男獅子が背中合わせをするのは、邪魔をする男獅子を大頭が追い払っている場面を演じているものです。
歌:「奥山の岩に女獅子が巣をかけて、岩を砕いて女獅子訪ねる」
男獅子も追い払われているばかりでなく、策を講じ、大頭を飴でつり出そうとします。太鼓のバチを振りかざしているのは、「ほらほら、甘くておいしい飴 だよ」と大頭を誘っている場面です。
大頭は飴につられて、女獅子から離れてしまいました。大頭は道に迷って、女獅子がどこに行ったのか分からなくなり、あちこち探し回っている様子を 演じています。そこを今度は、花笠の中に隠れている女獅子を男獅子が訪ねているといった場面です。
男獅子は女獅子を見つけられたのでしょうか。女獅子隠しの演目が終わると、再び3匹は仲良く舞いだします。
歌:「山雀は、山がういとて、里に出て、これのお庭で羽を休める」
獅子が横並びになり、歌に合わせて、太鼓の縁をゆっくりと叩く演目です。
歌:「参り来て、これのお庭を眺むれば、黄金小草が足に絡まる」
仲立・獅子が丸くなって、頭(かしら)を左右に激しく振りながら舞います。 さらに、獅子がバチを図上で高く打ち合せながら飛び跳ねたり、とても躍動感のある舞いです。
歌:「子供達ささらがみたくば、板戸を出され、板戸の上でも、天狗拍子しよな」
激しい舞いの天狗拍子から一転、この歌が流れると、隊列を組みなおして、神社に一礼し、一庭目(初庭)を終わります。
歌:「国からは、急ぎ戻れと状がくる、お暇申して、いざ帰らんか」
一庭目(初庭)の終わりの退場行進です。天狗拍子で激しく舞い狂った獅子たちは、その満足感を示すように、オカザキに先導されながら、ゆったりとした 足取りで退場します。
二庭目(後庭)が始まるにあたり、始めと同じように、まず場を祓い清めるための棒使いが登場します。先ほどは、剣と剣、棒と棒でしたが、今度は剣と棒といった組み合わせもあり、剣が棒の上を飛び越えたりと派手な見応えのあるものになります。
二庭目も「すり込み」から始まります。獅子がそれぞれ、神社に一礼しながら、舞い始めます。
獅子が、水引を広げて地を這うように前に出て、太鼓を叩きながら後ろに 下がります。田んぼの草を取っている動作のように見えることから「田の草 とり」「田の草踊り」といわれていますが、実際には、ひれ伏して神前にお参りしているところを表しているものと考えられています。
大頭が御幣を振って、お祓いしている様を演じます。歌が終わると大頭は 御幣を後ろへ投げあげます。
この大頭がお祓いに使った御幣は縁起物で、家に持ち帰って神棚に飾って おくと、「豊作になる」といわれ、かつては人々が争って取り合った、大変縁起の良いものとされております。
歌:「松山の松に絡まる蔦の葉は、縁が切れるとほろり、ほろりな」
仲立が、オカメのお面をつけて、しゃなり、しゃなりと女性らしく、獅子の周りを回る演目です。
仲立が、ヒョットコの面をかぶって舞います。手に持っているのは、「ディノコボ」とか「ダイノコボ」といわれる神具で、間近でご覧いただけば、何を象徴しているのかは、お分かりいただけると思います。これも大変な縁起物で、「女の人がディノコボをおっつけられると蚕があたるとか、お米があたる」といって喜ばれるものです。古来より、五穀豊穣、子孫繁栄を願って男女交合を暗示した呪術的な動作で、全国的にもこうした神事は数多く残されております。
舞いの中で、獅子が突出す手が、織物の綾(あや)を組んでいるように見える ために、「綾拍子」と呼ばれています。
歌:「鹿島から、きより、きよりと望まれて、ならい申した、綾拍子よな」
歌:「今日のささらの切りをちがえた、今日のささらの切りをちがえた」
歌:「仲立は京の生まれで、伊勢育ち、腰に差したる伊勢の方はらいな」
二庭目の終わりの退場行進です。疲れを知らない獅子たちは「まだまだ、舞い足りない、もっと舞い狂いたい」といった名残惜しさを足踏みで表現します。