罪を赦された罪人として 2026.2.8
「『キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた』と言うことばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。」(Ⅰテモテ1:5)
パウロの「私は罪人のかしらです」という告白はなんと驚くべき告白でしょうか。私たちが聖書を読むと、パウロは世界中に福音を伝えた立役者であり、神様が用いられた人物です。そんな立派な信仰者の告白に驚きを隠すことができません。
しかし、パウロは一方で自分がキリストを知る前には、クリスチャンを容赦なく迫害する者のリーダーであったという過去と向き合っていました。そんな真っ只中でキリストに出会い、人生が180度変わったのです。だからと言って、パウロは過去に目を背けることなく、神に背くという罪を犯したという深い自覚を持ちつつ、罪が赦されたことを受け止め、命がけで福音を伝え続け、決してそれらを誇ることがなかったのです。
私たちがクリスチャンとして生きる時に、この両面を持つことが必要です。すなわち私は神に背くものであり、自己中心的に生きていることが罪を犯していたということに気づき、自覚を持つことと、「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」という神のことばと罪の赦しを受け入れることが必要です。前者だけだと、自暴自棄になりますし、後者だけだと、赦されたことを忘れ、正義を振りかざしているつもりで罪を犯します。
私たちの信仰には「罪を赦された罪人」と自覚することが、キリストの救いの恵みを味わうために必要な意識です。