町の歴史と特徴 ~山王三丁目~
町の歴史と特徴 ~山王三丁目~
山王三丁目町会は、以前、新井宿三丁目でした。
昭和41年の町名変更により、現在の名前になりました。
そのためか、年齢の高い方には新井宿という地名に愛着を持っている方がおいでです。
このあたりの高台は、古くは荒藺ヶ崎(あらいがさき)と呼ばれていたと云われます。
付近の集落は、荒藺宿(あらいのやど)、中世のころには荒井宿とも書かれ、「新井宿」の名を残したと云われています。
品川から池上方面へ向かう街道(いにしえの東海道)の通る、歴史のある町です。
大正のころまでは長閑な農村でした。関東大震災の後、昭和になると片山広子や山本有三などの文化人が住むようになりました。
昭和30年ごろまでは、環状7号線は車もまばらでした。
環7には中央分離帯があり、川の跡を表しています。
この川のおかげで、中央一丁目の一部も山王三丁目町会の範囲になります。
町会の範囲には、大森郵便局(本局)や東京ガス(ライフバル)、MEGAドン・キホーテ、大森山王病院、芝信用金庫がありますが、なんといっても「善慶寺」と「熊野神社」がこの町を特徴づける2つのシンボルです。
善慶寺
熊野神社
義民六人衆霊廟(善慶寺内)
村人の苦境を救うため、6人の村の代表が時の将軍に直訴を企てますが寸前で企てがばれて捕まり、6人とも斬首となります。村人は禁制を破って6人の墓を作り、そっと弔います。
明治になって、直訴状の写しが見つかり、以降、顕彰運動がおこりました。
毎年2月11日には六人衆の慰霊の行事が行われます。都指定文化財。