猿女のリレー


ドイツの演劇研究者エリカ・フィッシャー=リヒテが、学校教育機関での使用を前提にまとめた『演劇学へのいざない 研究の基礎』という本がある。その第七章「上演における諸文化の編み合わせ」において、異なる文化圏の演劇的要素を取り入れる行為を「編み合わせ」と呼称し、20世紀初頭における編み合わせの実例として日本の川上音二郎一座のヨーロッパ公演を取り上げている。当時、ヨーロッパの演劇界は文学からの脱却を志しており、部分的な改良ではなく根本的に演劇を革命すべきという意見があがっていた。川上一座がもたらした公演は彼らに新しい演劇の可能性を感じさせたが、それとは対照的に日本において演劇の文学化が進んだことは興味深い。それはともかく、リヒテが20世紀初頭における編み合わせとしてとりあげた例は日本とヨーロッパを中心に極めて具体的だが、1970年代以降の編み合わせに関する概念は極めて抽象化されたものとなる。旧植民地の独立とテクノロジーの普及によって、全地球規模で未知の演劇文化に接する機会が増え、特定の実例で編み合わせを説明することが困難になったためである。

リヒテによれば1970年代以降の編み合わせは以下の3つのケースに集約できる。

1他国の演劇を自国に(主にフェステイバルで)招待する。

2ある演劇文化にほかの演劇文化を取り入れる。

3異なる文化を持つ芸術家と共同作業で演劇を作成する。

 2020年7月に座・高円寺で上演されたカムカムミニキーナの「猿女のリレー」はストーリー及び演出に、日本の伝統芸能の一つ能の要素が取り入られている。戯曲の設定では天岩戸で裸踊りを踊ったアメノウズメの子孫を猿女(サルメ)と呼び、その一族が大久保長安を経由して現在まで伝わっていると設定している。大久保長安は猿楽の出身とされており、猿女との直接的関係はない。大久保は佐渡奉行に任じられているが、佐渡は日本でも有数の能の野外舞台が保存されており、なんと日本の3分の1にあたる数の能舞台が佐渡[1]に集中している[2]。佐渡で能が盛んなのは大久保が任地に赴く際に連れて行った二人の能楽師が佐渡での普及に尽力したからという。劇中の大久保長安は猿女でありながら猿女を裏切り、一族の秘密が描かれた書物を探し続けるが、これは劇作家の虚構であり能と直接の関係性はない。

さて、作品に取り入れられている岩戸の舞説話、そして海彦・山彦の俳優わざおぎ説話は劇中絡み合い一つの物語として描かれているが、実際には別個の文化をルーツに持つと考えられている。河竹登志夫によれば兄弟が釣り針をめぐって諍いをする話はインドネシアから南洋諸島の海洋民族に広く分布しており、岩戸の舞説話は南方民族とウラル=アルタイ系民族の間に分布しており、南北双方の要素を含んでいるという。

岩戸の舞説話はあくまで農耕の年中行事がもとで、説話自体に権力や抑圧といったテーマ性は感じられないが、海彦・山彦説話は被征服者が征服者に捧げる貢献芸能に発展していったと考えられる。

劇作家はこの海彦・山彦説話を発展させ、日本列島に住む海の民、山の民という二つの民族の存在を我々に感じ取らせる。海の民と冒険心、山の民と権力者を結び付け、本来は大和朝廷の儀式であった岩戸舞を海の民猿女のもとに「返す」ことで、芸術が権力者に利用されていく姿を克明に描き出した。劇作家がここで記した本来芸術家に属するものが権力者に奪われていく経過は、実際の日本における芸術の発展を的確に反映している。河竹は『演劇概論』において、被征服者ものであった貢献芸能が権力者に取り込まれる過程について以下のように記している。

「ここで重要なことは、このような貢献芸能も、もとは原始的な呪術的無意識芸能unconscious theatricalsであったものが、統一国家形成の過程において、中央集権力すなわち大和朝廷に捧げられた結果、やがて天皇制機構のなかに組み入られ、呪術祭祀としての意味のほかに、見せる芸能としての機能をもつようになり、次第に貴族化していったという点である。庶民的な民俗芸能が、次の時代には時の支配階級によって取り上げられ、ついに彼らのものとして上流化してその体制のなかで様式化、固定化されていくこの形態は、呪術性ないし祭祀性をいつまでも保有しつづける特質とともに、その後、近世、近代にいたるまで、日本の芸能史を貫く特質となる。」

 劇中大海人皇子(のちの天武天皇)はサルメの物語を天皇家の都合の良いように改変しようと、猿女に圧力をかけるが彼らは激しく抵抗する。彼らのうちあるものは権力者の意に沿ったものを書くが、もう一方はそれとは違う物語を書き続けることで、抵抗の物語を後世に残そうとする。

 中世日本において、物語が抵抗あるいは反抗として使われた点は能楽師の安田登も指摘している(安田登 2011)。「猿女のリレー」では海の民と山の民という区分けがされているが、これは海彦・山彦説話に基づくと考えられる。兄は海、弟は山で生活していたが、道具を交換しようと弟が言い出し、結果釣り針をなくすものの、それを責めた兄を屈服させる。兄である海幸の一族は、山幸一族への服従を示すために海でおぼれたさまを演じ続けることが記紀神話に記されている。この行為を安田は以下のように説明している。

「永遠に続く屈辱の記憶の繰り返しは、彼らから復讐への意志を奪い、その魂の深部に底なしの空洞を空けてしまう、征服者による恐ろしいまでに残酷な心理作戦だ」

「武力では征服者に勝てないと悟った彼らは、屈辱のまねびを続けていくうちに、芸能を続けていくうちに、芸能を通じて復讐するという隠喩を考えたのだろう。」(安田 2011)

 しかしながらこの隠喩は命がけのものであり、権力者にその意思を見破られれば一族の破滅につながる可能性もあるわけだが、その命がけの様は劇中に詳しい。劇中猿女たちは真実を記した書物を記すが、黒づくめの人たちがでてきて次々その書物を別のものにすり替えていく。

 さて、このように能は劇の物語と多少関係を持ちながら、直接的な因果関係が語られるわけではない。「猿楽のリレー」ではなくあくまで「猿女のリレー」だからだ。

しかし演出において能は大きな貢献をしている。能で使用される能面が二枚使用されているのである。

 演出家の岡本章は1971年から能楽師をはじめとして現代演劇以外の芸術家との共同作業を続けている。リヒテの分類では3にあてはまる。岡本は「能の型や様式を方法的に一度離れて、型や様式の根源に戻ってみる(岡本 2018)」ことを目的としているが、そのためには型や様式を習得している能楽師の参加を前提とし、能楽の訓練を受けてない俳優が実践することは困難である。「猿女のリレー」は能楽の中から能面だけを取り出すことで、能楽の訓練を受けた演者を舞台に出すことなく能の何事かを現代演劇の俎上に載せることに成功している。

能面を現代演劇に使用した例としては、演出家武智鉄二[3]が演出した三島由紀夫作「綾の鼓」がある。金春流の能楽師櫻間道雄、観世流の観世静夫が出演している。レポート作成者が確認したところ、岡本章の演出でも、「ハムレットマシーン」と「現代能『ベルナルダ・アルバの家』」の二作品で能面の使用が認められる[4]。両者ともに能楽師が能面をつけており、またセリフの使用が認められるが、今回の「猿女のリレー」では面をつけた状態での発話は一切されていない。

まず一枚目、年老いた女性をかたどった能面が、舞台前方の町石卒都婆の形に積み上げられた石のそばに置かれている。演者が触ることはなく舞台美術として使用されていた。卒都婆の前に置かれた老女の面は能の「卒都婆小町」を連想させる。卒都婆小町は99歳になり果てた小野小町が主人公だが、老齢の無残さを直接表現することは避ける。たとえば櫻間道雄が昭和55年に春日神社能楽殿で演じた「卒都婆小町」では、悲しみをたたえながらそれを表に出すことなくうちに込めた老女の面を使用している(堀上謙 1989)。老女といっても面によっては苦悶の表情を浮かべたものもあり、能面を選択するシテ方の意図[5]がどこにあるかはっきりわかる。曲目は違うが、昭和60年に南條秀雄が演じた「鸚鵡小町」でも苦しみの顔を顔に出さない老女の面が使用されている(堀上謙 1989)。

 レポート作成者は客席の一列目で観劇した。断定は難しいが、ほりが深く、老女の面ではなく痩女やせおんなの面を使用したと思われる。体力の衰えをはっきりと感じさせる面であり、肉体の衰え、病魔の苦しみを連想させる。能「卒都婆小町」では小町の苦しみをストレートに表現することを嫌う。そもそも、能舞台では能面単体が登場することは極めてまれである。「翁」においては能面を舞台まで携帯し、観客の前でそれをつけるが、それ以外の能では能面は必ず能楽師の肉体を伴って出現する。しかながら今回、世界的なパンデミックに襲われているなかで、苦しみの表情を浮かべた女の面を役者の体から切り離し、能面単体で卒都婆のそばに置くことで、演出家は伝統的な訓練をうけた役者の肉体の力を借りることなく、能面単体をイメージを拡散する装置として使用することに成功したといえる。

 さてもう一枚は実際に俳優が装着して使用された。俳優の田原靖子氏が演じた「タカシナ」という役がそれだ。使用された能面は小癋見と推定される。タカシナは主人である武田勝頼の護衛ではあるが、一言も発することなく大きくうなずくだけである。上下に顔を振るのは、造形が平面的なため顔を左右に振っても表情が変化しない能面の宿命というべきだが、如何せん下に向いたときの角度が足りず、顔の向きと仮面の視線の向きのずれが気になる。レポート作成者も2019年に「石王尉」の能面を使用して10分間の映像パフォーマンスを作成したことがあるが、能面をつけた状態で能面の視線の向きを想定して動くことは困難を極めた。「猿女のリレー」劇中では能面ではない仮面も多く使われていた。セリフを発したり顔の位置が大きく動く現代演劇では、能の訓練を受けてない俳優が能面をつけて演技をするということは困難だという結論に至った。しかしながら「猿女のリレー」でのセリフを伴わない能面の使い方は効果的であり、能面を飾ることなく床に置くことで能面の威力を制限し、松羽目の能舞台ではないにもかかわらず能面が浮かない舞台空間を創り上げた松村武の演出は見事だと思う。

 

 

参考文献

『演劇概論』河竹登志夫 1978 東京大学出版会

『能・修羅と艶の世界(改訂版)』堀上謙 1989 能楽書林

『異界を旅する能 ワキという存在』2011 安田登 筑摩書房

『河童が語る舞台裏おもて』 妹尾河童 1998 文藝春秋

『「現代能楽集」の挑戦 錬肉工房1971-2017』 岡本章 2018 論創社

 

アカデミー11期 奥田知叡 2020.7/16


[1] 能舞台の多くは神社に付随しており、レポート作成者も昨年の八月に、佐渡で宝生流の猩々を観劇したが、境内の樹林が結界のように張り巡らされており、素晴らしい舞台であった。

[2] 複数の舞台美術家が佐渡の能舞台に関心を示しており、舞台美術の分野にも大久保長安は貢献したことになる。堀尾幸男氏は開帳場についてのレポートを書くため佐渡の能楽堂を訪れている。妹尾河童氏はオペラ「炭焼姫」の舞台デザインを発注する際佐渡の能舞台を引き合いに非常に細かい指示を出しており、佐渡の能舞台への関心の高さがうかがえる(妹尾 1998)。

[3] 武智鉄二の演出に関しては『武智鉄二 伝統と前衛』に詳しい。

[4] 前者の作品には金春流の瀬尾菊次(櫻間金記)、後者には観世流の観世榮夫、観世流銕仙会の山本順之、金春流の櫻間金記が参加している。興味深いことに、武智鉄二の公演に参加した能楽師も同じく金春流の櫻間家に属する能楽師と観世流の中の銕仙会に属する能楽師であった。能楽では宗家と家(会)という概念が存在する。3つのケースとも宗家の系統に属する能楽師ではなく、家(会)に属する能楽師が出演している。また3つともに参加者は若手の能楽師ではなく評価の定まった能楽師である。能以外の公演に参加する環境が整備されていないことがうかがえる。

[5] レポート作成者は2020年春に能「卒都婆小町」の現代語訳の上演に取り組んだ。その際能楽研究者の小田幸子氏に話を伺う機会があったが、氏いわく「卒都婆小町」は小町の姿を通して女の様々な一面を華麗に見せているところが見どころであるという。小町の姿に普遍的女性の姿が投影されているという見解は氏の卓見だが、「卒都婆小町」の主役はあくまで小町であり、また必ずしも小町の苦患をみせることが目的ではない、という見解は小田氏をはじめ表章など法政大学出身の研究者に共通のものであり、梅原猛や天野文雄ら京都を拠点とする研究者たちと一線を画している。