フランドン農学校                          

演劇鑑賞のすすめー学校での演劇鑑賞は有益か

 

座・高円寺で上演されている児童向けの演劇に学校ぐるみで観劇しにきている少年たちを見るにつけ、自分が中学生の頃大きなホールでほとんど視力のない両目で必死に生徒たちのため準備された芝居をみていたー中学一年生か二年生だったかは忘れたかがーある放課後を思い出した。

通っていた中学校には当時鵜川メモリアルホールと呼ばれる劇場があり、学校の創設者でもあった初代校長がクリスマスの日に日本人楽団で上演される第九交響曲をどうしてもききたいということで、子供を有名大学に合格させるため大枚をはたいて捻出した親たちの学費を湯水のように費やして千七百人もの大人数を収容できる施設として建てられたのであったが、当然校長一人の趣味のため稼働させるわけにもいかず、しばしばクラス全体で映画などを鑑賞させられたのだがーちなみにその際上演されたものはいずれも思春期教育の点では極めて有益なものばかりで、環境問題を政治利用したとしか思えない「不都合な真実」などを見せられたーどうした訳かその日は入学して初めて演劇を観れるというので自分などはなかなか興奮したものであったが、それを観て随分と失望した。

よく思い返せば小学生の頃「スイミー」を芝居仕立てで上演したのはもちろん、「となりのトトロ」をクラス会でお芝居として上演したりー自分はその頃まだ一番身長が高い方ではなく、トトロよりも一回り小さい中くらいのトトロを演じたーしたが、中学に入ってからからは演劇や芝居といったものは通常の授業の中から一切姿を消した。それでもふかふかの観客席に座って観劇できるというので期待したのだが、不恰好な三人組が泥棒に入った家である少女と出会い心の交流を深めるというこれまた極めて心温まる話であった。記憶に残っているのはそのうちの一人が服を脱いで褌一丁になるシーンで、我々などは角度によってはその逸物が見えたりしないかと気を揉んだものであり、物語の展開そのものに対して心を動かされなかったしあまり記憶にも残らなかった。

結局二千人近く収容できるホールで出演者が数人程度の芝居を上演すること自体が土台無理な話で、これなどは大ホールに無理矢理演劇を入れようとした失敗例であり、その点高円寺の劇場はクラスで観劇するにはちょうど良いキャパシテイである。筋立ての話をすればやはりどぎつい何かが欲しく、「フランドン農学校」のように人間が豚を演じるのは大人になった今からすれば実に背徳的でドキドキする。子供時代に見れば何か子供騙しのようなものと思うかもしれないが、注文の多い料理店の人を食うくだりは映像ほど怖くはないが少しドキッとするはずである。芝居の中で設けられた花道・劇中劇・六法飛び・ダンス・風船などは舞台芸術特有の仕掛けで、学童達に演劇入門の入り口として見せるのにふさわしいと思う。

 

アカデミー11期 奥田知叡 2019.10.29