ジョルジュ・サンドとショパン

    

 観劇レポートを書くときはいつも何かしらそれらしい問題を提起してからそれに答える形で進めるのだが、今回は純粋に感想をとりまとめてみた。一つはリーデイング形式の表現をどう理解すればいいのかまだピンときていないのと、今手元に「ジョルジュ」があるのだが読み返してみるとなかなかの名文で一杯でただ感想をつらつら述べても字数が埋まりそうなので。全部書き出すとスクリーンをタッチしている指が痛くなるので(一応途中からキーボードを使用した)、男女の恋愛について書かれたものを中心に11個に絞って書き出してみた。

以下全て 「ジョルジュ/ブレヒト・オペラ 斎藤憐 両立書房 2000」から引用した。

 

ミッシェル「そして、社会に対する無関心から抜け出さなくてはならない。さもなければいっそ自分の右手を切り落とし、書くことをやめるべきだと言いました。」p6  

 明治以降の日本文学は作家が自分の内面をひたすら見つめる私小説の時代が長く続き、その結果桑原武雄が『文学入門』で嘆いているように「文壇文学は狭い世界にとじこもって、今日の問題を解こうとせず、民衆の信頼を失った」(桑原1950)。

結果文学者になろうとしている文学青年が読むぐらいで、純文学は「健康な精神」を持った社会人から見放されてしまったわけだが、そもそも日本には社会に関する問題を公に討論する習慣がなく、おまけに桑原が言うように日本人というのは昔から「いそがしすぎ、苦しすぎて、読書においてまで緊張するにたえない」のであり、折角の余暇を自分個人ではなく日本社会の問題について費やそうという気にはなれないだろうから、ミッシェルの言う通り社会に対する関心を持ち続けることは非常に大事だが、それを表現する際はそのまま文字にしただけでは社会主義国家のプロパカンダと変わりなく(そもそも社会主義の国だって北朝鮮のように極端な例を除けば、国家ぐるみの芸術というのは11月の中国の建国記念式典のようにある程度凝った表現をするもので、反体制を自称するアーテイストが作る作品はプロパカンダというよりむしろ戦前のシュプレヒコールに近い)、もう少し表現方法の多様さと表現対象を考えるべきだ。

 

・ジョルジュ「同志ミッシェルに、愛していますを十回。」p6

「ジョルジュ」の中で二番目に好きなセリフ。

「愛してます、愛してます、愛してます、愛してます、愛してます、愛してます、愛してます、愛してます、愛してます、愛してます」と書くと、冗長とかくどいという前に怖い。自分が小学生の頃はよく「好きだ✖️6」なんていう表現が流行ったが、意味の明瞭さで言えば後者に軍配が上がるものの、「何々を十回」と書くよさはそれを実際に口にしている相手が想像できることで、「愛しています✖️10」というと全く同じ熱量の「愛してます」が十回繰り返されるだけだが(もとより掛け算とはそういうもの)、「愛していますを十回」と書くと、一回目の「愛してます」と十回目の「愛してます」が違う重さで聞こえてくるのだ。  

表現を省略してはいるが記号的にはならないのが素晴らしい。

 

・ジョルジュ「五月革命の敗北について討議するときも、ベッドの中でも、私を一人の人間として扱ってくださいました。」p6

 これまたドキッとするセリフ。実際にジョルジュとミッシェルがまぐわっている映像を流すよりただ書いたほうが読者が想像する分、より明瞭に二人の関係を表現できる。

 

・ジョルジュ「再び革命を起こさない限り、私は誰とも結婚できないのです。」p8

アガサ・クリスティの作品『エッジウェア卿の死』においてエッジウェア卿夫人が自分の夫を殺す動機はまさしくこの夫と死別したもしくは相手方の不貞によらない限りカトリックの教義においては女性側の申し立てによる離婚は成立しないことが原因であった。クリスティの時代はもはや法律上の問題はないのだが、エッジウェア卿夫人が現在の夫と離婚してまで結婚しようとした相手がよりによって熱心なカトリック信者で、エッジウェア卿が生きている限り夫人と結婚することは彼にとってはおおきな不名誉であり、二の足を踏んだ結果エッジウェア卿夫人は殺人に踏み切った。ジョルジュたちフランス人が革命を起こしてくれたおかげでたとえ不幸な結婚をしても合法的にやり直すことができるようになった。

 

・ミッシェル「君の、女性が着ているドレスを脱ぎ捨てるべきだという主張も魅力的だが、実際に着物を脱ぎ捨てたベッドの中の君のほうがもっと魅力的で、僕は時間を失ってしまった。」p8

「ジョルジュ」の劇中三番目に好きなセリフ。直前でジョルジュの、女性は男性が好まれるために胸を強調するコルセットの類をつけることはやめるべきだという趣旨の発言に対する返答がこれだ。折角ジョルジュが女性の自立を目指しているのに、その賛同者であるはずのミッシェルまでこれでは永遠女性は男性の愛玩対象にしかならない。「ミッシェルもっとしっかりしろ」と思わず心の中で声をかけてしまった。

 

 

・ミッシェル「男性も女性も同じ人間であると僕も思うけれど、僕は神様が丸い乳房やお尻を女性に与えたもうたことに感謝した。もし、この世が男ばかりになったら、僕は明日にでもセーヌ川へ飛び込むでしょう。」p8

 似たような文章をどこかで読んだ気がするが、これに関しては自分もミッシェルに大いに賛同。

 

・ジョルジュ「ミッシェル、あなたがまだ私を愛しているなら、助けてください。彼を征服するのはイギリスを占領するより難しい気がします。ジョルジュ」p10

 よりによって自分の前の恋人にキューピッドをお願いするとは、悪女ここに極まれりだがこうまで奔放だと嫌らしさがないし、逆に人生で一度くらいこういう無理難題に挑戦してみたい気もする。その要求に不満を述べながらなおも抗いきれないミッシェルが実に哀れ。

 

・ミッシェル「人生という舞台の上で、僕ぐらい報いられない苦労をさせられる人間もいないでしょう。恋敵に向かって、君を抱き君に抱かれることがいかに楽しく、そして崇高な行為なんだと説得しなければならないとは」p14

 『ハリー・ポッター』の中でセブルス・スネイプは初恋の相手リリー・ポッターを愛するあまり自分が最も憎むジェームズ・ポッターの息子を命懸けで守る羽目になった。自分の愛が愛する対象によって報われないと知りつつ尚もその愛に殉じようとする、客観的に見れば愚かで哀れだが同じ立場に立てばきっと自分も同じことをしてしまうのだろう。

 

・ミッシェル「神が不公平なのは、この世に金持ちと貧しい者を造りたもうたばかりではない。この世に愛される者と、人の幸せを手助けする役割の者とを生んだことだ」p17

 なぜかミッシェルのセリフはひどく胸に響く。これまた名台詞。斎藤の作品は何作か読んだが、ミッシェルの言葉が最も共感を誘う。

 

・ジョルジュ「恋愛について書くことより、実際恋をすることのほうがずっと素晴らしいことです。音楽の解説を読むより、音楽を聴くことのほうがずっと素敵なことです」p25

 新約聖書に出てくる「嘘つくクレタ人」なみに矛盾したセリフだが、やはり実践だけではいずれ消化しきれなくなる。おそらく理論と実践は五分五分である必要はなく理論は三割程度に留めておくのが表現者にとっては良いのだろう。

 

・ミッシェル「私は、彼に健康を維持するために少しでも食べることを口を酸っぱくして申しておりますが、あなたからの指示通りに、『私が指図に従って見張っている』なんて決してショパンが気づかないように慎重に振る舞っております」p31

 「ジョルジュ」の劇中最も好きなセリフ。自分の恋敵の恋を成就させるために力を尽くす自分の愚かさを愚痴っていたミッシェルだが、ここまでくるとジョルジュの命令に文句も言わず甲斐甲斐しくショパンの世話をしている。先に挙げたp17のセリフに比べて悲惨さはなく、ミッシェルの中に葛藤も見受けられないが、p31のセリフは心理の不思議さをよく表しており真実みを感じる。

ジョルジュの指図に従っていることが「決して」気づかれないように振る舞っているミッシェルを想像するだけで笑えるが、中世喜劇のような滑稽さではなくむしろ人生のリアルさをこの文章から感じるのはなぜか。仮にミッシェルが東洋人であれば愛する人の恋を手助けするという大いなる矛盾に苦しむあまり神経衰弱になるはずだが(東洋的な考えでは解決不可能な問題を解決するには「平家物語」の平重盛のように死んでしまうのが手っ取り早い)、ミッシェルがジョルジュに対する恋心をどのように処理したのかその理屈ははっきりとは分からない(ジョルジュ自身は恋心を捨て去ってただの男友達に戻ったと告白しているが、しかし彼女への恋慕を止めることができなかったからこそ彼はp14とp17で自分の愚かさを客観的に見つめている)。

いずれにせよ不平不満を言いながらも最終的には天が人類に与えた天才作曲家の健康のために尽力するところに、不満を不満としてため込まず社会貢献の行為に昇華させる西洋的健全な(?)社会人像がみてとれる。先ほど『ハリー・ポッター』のセブルス・スネイプを取り上げたが、たとえ恋が報われなくても逆恨みしたり人生を諦めたりストーカー行為を働いたりせずより多くの人々の幸福のために尽力するキャラクターがいる。「アーサー王伝説」に登場する偉大な騎士ランスロッドもこのタイプだと思うが、歌舞伎や能には見られないこの種の男性キャラクターは西洋文学にはよく登場するのではないか。いずれこの種の類型的登場人物にも演劇に基づくなんらかの心理用語を命名してみたい。

  

 参考文献

 文学入門 桑原武雄 1950 岩波書店

 ジョルジュ/ブレヒト・オペラ 斎藤憐 2000 両立書房 

 

 アカデミー11期 奥田知叡